激しく後悔。 | くじら座のタウ

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月曜日、とうとう整形外科に行ってきた。
父島に着いて何日目だっただろう? それほど日にちが経たないうちに私は極度の筋肉痛に見舞われていた。それが自宅に戻ってきても一向に良くならない。
全身くまなく痛かったのだが、特に下半身、右の足の付け根からふくらはぎにかけての痛みは正直なところ尋常ではなくて、姿勢を変えようとする度に電流のような痛みが走る。
初めはそのうち治るだろう、が、だんだん、ただならぬダメージを受けているんじゃないか、の不安に変わり、とうとうこの病院嫌いが受診を決心したのだ。

結果は、骨に異常があるわけではなく、腰周辺部の筋肉疲労。3種類の飲み薬と湿布をお土産にもらって、自然回復を待つより手立てはないとのこと。
精神的には、安堵した。

というわけで、やらなくては、と思いながらも怠ってしまった事前の準備とは、「島滞在の十日間を思う存分楽しみ尽くすための体力づくり」というのが正解。
何を隠そう、数年前にぎくっと腰をやってしまった前科の持ち主。
医師からは、運動不足を宣告されて、「楽になったら、スポーツ、何か始めたらいいよ」とアドバイスを受けていた。当時はそこそこやる気になったものの、何を始めても三日坊主で、結局は運動不足の身体を抱えたまま、時折やっぱり痛くなる腰をその場しのぎの安静やストレッチなんかでだましだまし放置してしまったという経緯があった。
運動不足の自覚はしっかりとあったため、小笠原行きが実現しそうだとわかった時点で、水泳をしようと思っていたのだが、結局一度もプールに通うこともなく、出発当日を迎えてしまった。

激しく後悔。
本当に後悔。
気持ちばかりが十数年前の私と同じで、もっと泳ぎたい、もっと深く潜りたい。もっともっと、と楽しむことに貪欲なのに、どうにも身体がついていかない。
泳いでいるうち、パドルを左右に繰り出すうちに、自分の体力の限界が嫌でも見えて、そしてまた実際、疲れ切って、やりたいと思う半分も実行できない。日を追うごとに疲労もたまり、筋肉痛も酷くなるから、気持ちも日ごとに下がっていった。
帰る前の夜、ベッドで横になっていると、理由のわからない涙がこみあげてきて、一人で泣いてしまっていた。どうして泣かなきゃならないのか、翌日になってもまったく理由がわからなかったのだが、しばらくすると見えてきた。

ふがいないまま、終わってしまった。そんな自分に腹を立てていたのがひとつ。
そしてもうひとつは、この海とプーランビレッジとは永遠の別れのような気持ちがしてしまい、悲しかったのだ。
「永遠の別れ、なんて。また行けばいいじゃないか」
相棒にはそう言われたけれど、そう単純な話じゃないのだ。
これからまた何年か後にもし来れたとしても、自分の体力はもはや下り坂。ふがいなかった今よりもっと、やりたいことができなくなるだろう。
私にとって、シーカヤックでの冒険は小笠原へ来る意義とイコール。つまり、シーカヤックに楽しく乗れないならば、小笠原にわざわざ来る必要はない、ということ。
ということは、やりたいことがやれない小笠原にわざわざ来ようと思わない、ということで、この海とはもう一生会えない、ということになる。

もしかしたら、青春時代を懐かしみ、二度と戻れない時を儚み、感傷に浸る、その気持ちと同じなのかもしれない。
その予感……とでもいうのか。

だけど、帰ってきて、その感傷はまだ早すぎる、と思い直した。
医者に行っても未だに腰の痛みは引かず、限りなくこの先の健康に不安を覚えるが、
もう少し経って痛みが引いたら、今度こそ気持ちを入れ替え、自分の体を「運動不足」の状態から脱却させようと意気込んでいる。
そうして、近々、真新しい大きな画用紙を4枚買って、新しい「夢地図」を家族4人で描こうと思う。
数年前に描いた「小笠原旅行に家族で行く」ことを含んだ夢地図は、もう古くなってしまった、と言わざるを得ないから。
描くことは、もう大まかなところは決めている。

その中のひとつにはもちろん「もう一度、小笠原で生き生きとシーカヤックを漕ぐ」が含まれている。
なるか、リベンジ。何年後かなぁ。