朝5時に起きて、夜8時には寝る生活が始まった。

朝ごはんはキャベツの漬物と白米と納豆、そしてキャベツの味噌汁。

“のぶさん”の家族とは違う棟に寝泊まりさせてもらっていたので、

朝食は自分でまかなう。

 

作業着を着てナタを研ぐ。

「シャッ シャッ」

土色をしていたナタの刃が、銀の輝きを取り戻す。

作業着に至っては、座って作業するので膝にタオルを巻きつけることにした。

トラックが揺れる。

朝の薄闇の中、エンジンの音がやけに寂しさをあおった。

東京の仲間は元気だろうか?と幾日も経っていないのに妙に懐かしい。

 

「ギッ」

サイドギアが引かれ、作業開始の合図だ。

通常一箱に8つのキャベツを入れ出荷する。

キャベツを切る者、キャベツを箱に入れる者、そしてその箱をトラクターの荷台に積み運搬する者。

 

「お昼ごはんにしよ~」

その掛け声が上がるまで、永遠作業は続く。

 

唯一の癒しと言えば、トラックから聴こえる最大ボリュームのラジオ。

「慎太郎君の歌も前に流れてたよ~」

のぶさんが背中でつぶやく。

こうして仕事をしながらラジオの歌を聴く人がいるということを、身に染みて感じた瞬間だった。

 

「慎太郎君、トラクターの運転覚えて」

 

え?と驚く暇もなく、操作を教えられる。

自分の背丈ほどもある真っ黒な車輪と、車体の後ろについた荷台。

ブルンッ ブルンッと音を立て、まるで荒馬のように「俺に乗るのか?」と

睨みをきかすように、いなないていた。

 

トラクターはもちろん、クラッチ付きのマニュアル操作。

レバーが何本も付いていて、まるでガンダムを操縦するようだった。

 

「ブルルンッ!ギギッ!ブルルンッ!ギギッ!」

エンストしてはまたスタート、エンストしてはまたスタートの連続。

どうにか運転が安定したかと思いきや、次は荷台の上げ下ろし練習。

 

ある日、忘れもしない失敗をやらかした。

キャベツ200箱ほど積み上げたトラクター。

確か登り坂の畑だった。

なんと、荷台を上げるのを忘れたままスタートしてしまったのだ。

 

積み上げた箱はジェンガのように崩れ、中からキャベツが飛び出し潰れた。

「何やってんだ!」

穏やかなのぶさんも、これには声を荒げた。

泣きそうな顔で「ど~ぼずびばぜん!(ど~もすみません!)」と叫ぶ。

 

潰れたり、泥にまみれたキャベツは商品にならない。

角がひん曲がった段ボールを眺め、涙目になった。

無口な時間が増え、ただ黙々と作業に勤しむ。

 

キャベツ畑の作業が終われば、午後からは段ボール作り。

グローブのように手はむくみ、

いつからかヒゲを剃るのも億劫になり無精髭が伸びていた。

ギターを持って行ったが、数日しか弾かなかった。

妙に心細く、妙に時がゆっくりに感じ、未来の自分の確約もなかった。

ただ、早く帰りたいと思った。

 

キャベツの黄色い花が咲く。

カラカラに乾いた喉、流し込む冷たい水。

埃まみれの体、髪を伝うシャワー。

 

風に揺れる森、木々の音。

土に生きる虫、鳥のささやき。

 

大雨、屋根を伝い落ちる雨粒。

クマ注意の看板、魚釣りした河原。

 

ラジオからの歌声、夕暮れ雲。

月の光、流れゆく僕の人生。

 

時は流れ、キャベツ畑最後の日がやってきた。

「もうキャベツは見たくない」

あんなにうんざりしたキャベツ達が、少し愛しく思う。

のぶさんの家族や一緒に働いた仲間に深くお辞儀をし、作業着をリュックに入れ込む。

あまり弾かなかったギターも担ぎ、トラックに乗り込んだ。

 

「ガンバってな」

駅までの道、あまり喋らないのぶさんがハンドルを握りながら呟く。

今までも、そしてこれからも、のぶさんは夏が来る度キャベツと向き合う。

僕はほんの3ヶ月。

農業を営む苦労と尊大さ。

なぜ のぶさんが無口なのか、なんだか分かる気がした。

 

自然の中で暮らし、汗を流した日々が終わる。

長かったようで短い、濃縮した日々。

揺れる電車から見た嬬恋の風景は、来た時となんら変わらない。

ただ、僕の一夏の土にまみれた心が、

少しだけ大きく膨らんでいるのを感じていた。

 

何気なくスーパーに売られるキャベツの山。

どこにでもある風景。

僕は”あの日”をキッカケに、

そんなどこにでもある風景に隠されたドラマを想像するようになった。

 

(前編はこちら