アナキズム、社会主義、国家 | 気になる映画とドラマノート

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オウム真理教、アナキズム、社会主義

 


 

 アナキズムとは、公の秩序、法治に基づく権力行使の必要悪性の、その「必要性」さえ認めない立場であり、共産主義、社会主義は、公の秩序、法治に基づく権力行使の必要性は認める点において、アナキズムとは、ちがっている。

 


 

 また、共産主義と社会主義のちがいをあえて言えば、共産主義とは、民族国家の廃絶を理想としており、社会主義は、民族国家の廃絶まで可能であるかどうか、わからないために、とりあえず、人権、社会福祉を最優先とする立場だといえるかもしれない。

 


 

 昭和20年代の作家田中英光は、2014年現在では、多くの作品が文庫化されておらす、また、個人全集も全国の図書館にたぶん、滅多に所蔵されてさえいない、したがって一般読者の目に触れることさえ、難しい状態になっているという意味では、忘れ去られた

 

、と言っていい作家である。

 


 

 一般に田中英光は、太宰治の弟子、あるいは太宰に心酔していた作家というイメージを付されて紹介される。

 


 

 だが、田中英光の「風はいつも吹いている」には、太宰治について次のように書かれている。「私は彼(太宰治)を友達扱いに呼べず、ていねいな口調で、さんづけするのに、彼は私を君づけ、あるいは酔うと、呼び捨てにするのだった。このことは前々から、少し気になっていたが、この日は、ゆがみっぽい気持ちになっていた私に、とくにこれが気になった。」

 


 

 しかし、それでも、最後に田中が太宰治の墓の前で自殺したのは、「太宰は、自分に敏感なだけ、私にもおもいやりがあり」という部分にあるように、田中にとって、太宰治は、心底、信頼できる人間で、そして、あまりにも、多くの嫌な人間を見てきたから、死の間際に太宰の思い出にすがりたくなったのかもしれない。

 


 

 田中英光は、死ぬ一週間くらい前に、宇留野元一という日本共産党系の文芸評論家に、「大衆の前衛である党を裏切ったことは、僕にはなんとも言えない心の重荷だ」と語ったあと言われる。「党を裏切った」というのは、あいまいなのだが、というのも、普通、裏切るというのは、スパイのような行為を言うので、実際には、田中は、脱党したに過ぎないのである。脱党を申し出たことを、裏切り(もし、宇留野氏の言う事が本当だとして)と言ったとすれば、そんなところにも、田中英光の頭の整理のつかないふうな、特徴が現れている。

 


 

 田中英光という人は、戦後日本共産党の末端の党員から、中央委員レベルの何人かとの交流の中で、実にひどい目にあって来た人である。

 


 

 ひどい目にあって、憤りを込めて、それを私小説ふうの作品として書き、共産党員の文芸評論家に「反共」という「折り紙をつけられる」ところまで言った。

 

 田中は、私に「反共」という折り紙をつけたけれども、読者諸氏よ、私は、共産党の否定的現実だけを書きましたか?よく読んで見てくださいよ、ほんとうにそう思いますか?というような抗弁を書いている。

 


 

 そして、これについては、評論家いいだもも(という名前)によると、窪川鶴次郎は、田中英光の死後には、「田中英光に対して共産党員が、田中は共産党を誹謗中傷する作品を書いたという噂が流れたのは、不当だった、と書いたが、窪川は、田中生きていいる時点では、雑誌に、田中英光の人間不信は共産党とは、何の関係もありはしない。田中の個人的性格欠陥の問題だ」と書いたではないか、と非難している。

 


 

 そういうことも含めて、日本共産党の機関紙アカハタの売上金を横領したのではないか、とかも含む、なるほど、これでは腹も立ったろう、くやしかったろうという事が憤懣やうかたないと言ったふうに田中の作品にはあふれている。

 


 

 さんざん日本共産党についての、うらみつらみを吐き散らかすように書いた「風はいつも吹いている」の、「風」というのは、赤旗をひるがえす風のことなのであり、それでも、全否定はしないのだ、という田中の共産党への愛の表明が披瀝されている。

 


 

 田中には、無惨とも言えるような、半可通の政治知識があり、そこに絡め取られたというところがあった。たとえば、勘のいい太宰治は、きっぱりと共産主義から足を洗ったし、多くの私小説作家はおよそ共産主義がなにかも、レーニンの著作を詠んだこともなかったろうが、田中はまさに「ヘタに読みかじったほう」の知識人だった。これが案外、致命傷と言えるくらい田中の思考をおかしなものに、している。

 


 

 田中は、戦後、日本共産党に入党したきっかけを「共産主義が第二次世界大戦のゆくえを間違えることなく、予想して当てた(彼の言葉によると、「見透しを正しく成し得た共産主義」)から、と言っているのだが、これ自体が大きな勘違いだったことは言うまでもない。だいいち、当時、共産党を支持したり入党した人にも、千差万別があったにちがいなく、田中のように、第二次世界大戦の 見透しを正しく成し得た共産主義、とまでかんがえた人というのも、存外、そう多いともいえなかったのではなかろうか。

 


 

 もうひとつ、田中のあぜんとするような、彼の浅い認識を示す言葉がある。

 

 田中は、共産党の街頭演説の担当者として、「戦争中、日本は、ひとりの天皇のために、8000万の国民が死ぬことが正しいと強制されたようなひどい時代があり、いまでもそういうひどい状況がある」という意味のことを泣き声で演説する。

 


 

 この演説は、共産党の仲間うちでさえ、国民の反感を買うのではないか、と心配から、田中英光は、党幹部から、ああいう演説はやめたほうがいい、と注意を受ける。

 

 この共産党幹部の心配はともかく、日米戦争は、なにも天皇を守るために、行われたわけではないのが、真実なのだから、天皇への露骨な批判が国民への反感を買うかもしれないから、よくないと言う以前に、そもそも、歴史事実として、馬鹿げた誤解をしている。

 


 

 共産党幹部が、田中のあまりに、過激な天皇批判に恐れをなして、その時田中が、興奮して、トラックのフチに片足をかけて演説したその格好が、行儀が悪すぎる、あれでは、聴衆にイメージが悪い、共産党が誤解される、と忠告されるのだが、田中は、なんと察しが悪くて、話の内容ではなくて、トラックのフチに足をかけた事を難癖つけられた、と憤る。

 


 

 また、田中英光は、「事大主義」と言う言葉を多様する作家だが、「権威主義」と混同して使っている、というように、言葉の誤用が多く、言葉の誤用がそのまま、思考の乱れにつながる傾向があった。

 


 

 が、それでも、田中英光の作品の多くは、彼が必死にもがき苦しみ書いているということは、信じられるのであり、そこに正直に書かれた彼の考え方は、多かれ少なかれ、当時の「二流の人」、つまり平均的知識人の胸奥にありがちだったかもしれない観念がまざまざと刻印されているように思われるのである。

 


 

 たとえば、田中英光は地の文で次にように書いている。「いい生活からこそいい文学が生まれる」というわかりきった、素朴な文学の原則、と。

 


 

 これは、次のように言い換えても書かれている。

 

 「政治的社会的事件に正しく対処することを通じて、文学的創造をなすべきだ」と。

 


 

 つまり、田中英光は、原発事故があれば、脱原発をめぐる小説を、戦争がせまっていれば、それに関する小説を、戦いを通じて獲得した洞察を書くべきだ、と言っている。

 


 

 しかし、この考えは、文学の一面をしか言っていない。ほんとうは、そんなふうであってもいい、と言うに過ぎない作家の態度を、田中は、そうであるべきものと主張している。それでいて、太宰治に心酔していることからくる田中自身の実感的な文学の価値観と整合性のある理論を立てられないことから、田中はつねに懊悩していた。

 

 その現れが「ボクには、共産主義を否定するだけの、合理的な理論のもちあわせがない。だからなんと言っても、共産主義が正しいとしか言えない」という一節の奇妙な転倒になりもする。「こういう理由で共産主義が正しい」というのではなく、もはや、否定する理論がないから、正しい」というのだ。そんなことをい言い始めたら、イスラム教であれ、仏教、キリスト教、何の宗教でも、「否定できないから、正しい」ということになるから、そういう変な言いぐさはないのだが、田中は大真面目に書く。

 


 

 正しい党員となるよりも、(党から離脱して)正しく自分自身として成長しきってみたい、というのが、田中が最後に、戦後すぐに入党した日本共産党の歴史使命を信じたままに、それでも、やはり離党する理由だった。

 


 

 田中は、「それでも、死ぬまで人民の立場(に立った)の道を歩いてゆくということだけは言える。」と書いている。

 


 

 こういう表現は、2014年のいまでは、とうてい使えまい。が、田中英光は、本気で書いていた。「たとえどんなに貧しく辛い生活であっても、(流行作家になんかなろうとは思わずに)民衆と一緒の生活を選ぼう」とまで、書いている。

 


 

 そして、「清教徒(キリスト教の敬虔なピユーリタン)の集まりではない共産党に、酒を飲むな、という決まりはないが、(党の地区活動をしていると、窮迫した民衆の生活がわかり、また、多忙のためにも、ついぞ酒なぞ飲む気になれなかった」のが、(俺は孤独だ、コップ一杯だけ。。。にはじまって、彼はぐでんぐでん酔っ払っていく。そして、翌年には、民衆と一緒に進むどころか、妻子を残して出奔し、愛人と暮らし、ヒロポン、アドルム、アル中におぼれ、つにには、愛人を包丁で刺して、精神病院に入院させられてしまう。

 


 

 これは、井上ひさしが、反核運動だ、憲法9条を守れだと言いながら、結局は、現実には、妻をあばら骨が折れるほどに、殴る蹴るし、実の娘には、死ぬまで断絶して、泣かせたのとも似ている何か歯車の狂ったところがある。

 


 

 ところで、こうして私がざっと述べた事。

 

 何が言いたいかというと、結局は、新興宗教であれ、右翼政治党派、左翼政治党派であれ、脱原発運動、憲法9条を守る運動・・・そうしたあらゆる「個ならぬ共同の理念に基づく運動体」は、かならず田中英光が直面した問題が出てくるということなのである。ことにも、それが、「必要<悪>」ではなく、「正義そのものの運動」と認識されている場合に、なおさら、である。オウム真理教も、創価学会も、フェミニズム運動も、脱原発運動も、反核運動も、反韓国・朝鮮人の在特会も、あらゆる「正義を信じた人々の共同体」に人が個人として飛び込む時、かならず、個人の生を圧殺するドラマがそこでは開始されるのが必然だと、私には思われる。

 


 

 自己自身の存在のあるべき姿と、「民衆」「日本民族」「人民」と言った個人を超えたなにものかの悲願めいた利益が関連付けられて、意識される未来構想運動の共同体と言える。が、ほんとうは、あらゆる共同体は、国、宗教、反政府抗議団体を含めて、懐疑の余地を含む共同体であり、民衆の運命、国民の運命を担い得る価値を顕現しうるものではないし、かならず、個々の無知、エゴ、暗愚のぶつかりあう場だという問題性を田中英光の作品群が、彼の必死の著作を通して残しているのだが、多くの人は、田中の体験を知らず、何度でも、田中の通ったと同じ轍(わだち)を踏む。

 


 

もう少し、具体的に言ってみる。わたしたちは、脱原発の集会や主張において、彼らが頻繁に、「あの人たちは、精神異常だ」と言っているのを聞かないか?また、在特会は、日本国民、日本民族のためを思って、在日韓国・朝鮮人に「死ね」と言っているだろう。

 

また、従軍慰安婦問題で、弱い者の味方に立つ者は、日本民族の残虐性、を言い立ててやまない。それは、個人が沈思黙考する場所から、オーバーランし、やがては、内部抗争を必然とする運動なのである。

 


 

田中英光全集第7巻の資料編には、昭和24年「群像」の尾崎一雄、亀井勝一郎、佐々木基一の鼎談が載っているが、そこで彼らは、田中英光について、

 


 

亀井「左翼に対する態度でも、世間の通念通り(の見方)で、考えが彼は、非常に雑なところがある。」

 


 

同じく亀井「富裕の家に生まれて、罪悪感とセンチメンタリズムを持っている。奥さんや愛人に対してもわがままだが、死んだのもわがままだと思う。

 


 

同じく亀井「言葉に対する感覚も非常に最後のほうほど荒っぽくなってきていて」

 


 

 まったく、亀井の言うとおりなのである。しかし、在特会も、オウム真理教も、脱原発の主張の中の言い分も、皆共通して、思考が雑なのじゃないか。

 


 

そして、田中の小説のデタラメな言葉使いは、太宰が共産党をいったん見限って、いわば、内心、現実の運動になんら価値を見出さず、小説創作は小説創作の工夫ひとつにしか情熱の傾ける価値はないと思い決めたところからくる言葉の選択のキメ細かさに太宰の真骨頂があったとすれば、田中英光は、ヘタに内心、現実の日本共産党の価値を信じる気持ちが残り続けたために、そこから離れた自分の生の無価値性が彼に身に沁みて、なおさら、言葉の使い方が放恣に、デタラメに流れて行ったのではあるまいか。

 


 

 脱原発の人々も、結局は、再稼働を止められず、さりとて、焼身自殺抗議の覚悟もない以上、いずれは、自己の生活倫理の破綻、内部分裂を起こすことは必然だろうと思われるだ。容認派、無関心派を精神異常呼ばわりした自分自身に飽きたらなくならないわけがないではないか。ところが、この種の運動、宗教でも、政治でも、他者否定と自己否定を往還した果てに、人知れず破滅するのが、正義の共同性の特性なのである。

 


 

これは、反体制運動でなくても、国家という共同体もまた、持っている特性で、だからこそ、アメリカは断固としてテロリストととりひきしないと言ったり、戦前日本が特攻隊を出したり、拉致被害者に関心が薄く、そのために、多くの被害者が生じているということも起きる。韓国は日本よりもさらに、自国の拉致被害者に無関心だ。

 


 

 たとえば、いま、朝日新聞では、福島の線量を毎日掲載している。これなど、北海道、九州の線量と比べないと、多いのか、少ないのかわからるわけがないのに、万全と眺めている。いや、眺めていられる神経が信じられない。