アメリカの核爆弾投下直後にトルーマンが言ったこと | 気になる映画とドラマノート

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1944年7月、米軍はサイパン島などマリアナ群島を制圧。


 なぜ、日本がフィリピン、他南太平洋地域の諸島で米軍と戦わなければならなかったかと言うと、そこを占領しないかぎり、日本本土上空に空爆してくる大型飛行機の基地として使用されてしまうからである。


 すでに、日米戦争をさかのぼること、40年前、大統領セオドア・ルーズベルトは、海軍次官次官時代、海軍大学教授アルフレッド・マハンの「海上権力史論」を読んで共感し、太平洋のハワイ・ミッドウェイ・サモア・フィリピンなどに、アメリカの海軍基地を布陣して、太平洋を制圧することが、アジア貿易の主導権を握ることだ、という構えを持っていた。


 そして、それらの太平洋制圧は、敵国からのアメリカ太平洋岸のサンフランシシスコ、ロスアンジェルスなどの本土攻撃を防御する布陣でもあった。


 また、この構想をアルフレッド・マハンは議会の公聴会でも証言して、多くのアメリカの議員の共感を得ていた。


 そして、当時、アメリカはチャイナ・朝鮮とちがい、日本人は白人に劣りはするものの、アジアではいっとう優秀な能力を持ち、アジアの当面の安定をまかせる(朝鮮統治を容認する)から、その代わりに台湾の目と鼻の先にあるフィリピンはアメリカにまかせておけという桂・タフト協定を結んだ。


 これは、アメリカの内心で、いずれは日本がアメリカと衝突しかねないもっとも、警戒すべき相手であることをセドア・ルーズベルトは意味した。妄想でふくれあがったアメリカの頭は、対日対策でやる気満々なのである。

 しかし、いま、衝突するわけにはいかない。もっと、アメリカが日本をはるかに、しのぐ軍備を保有するまでは、けっして日本と衝突するわけにはいかない。


 そこで、ルーズベルト大統領は、サンフランシスコの排日運動を弾圧した。


 これは、表面上、日本側からすれば、セオドア・ルーズベルトは、排日運動をおさえる親日家だというふうに見えた。


 日米戦争までに、アメリカは、火炎放射器、ナパーム弾、日本、ロシア製よりも遥かに分厚い車体の戦車などを保有することに成功していた。


 サイパン島から日本上空に飛び立った戦略爆撃機B29は、従来の約二倍の6トンの高性能焼夷弾を搭載。油脂焼夷弾、黄燐焼夷弾エレクトロン焼夷弾を、ゼリー状のガソリンを50センチの筒に入れたナパーム弾・・これらを大量に東京、大阪などの大都市に空爆した。


 日本国民は、これが一般市民を殺害する国際法違反の戦争であることを知らず、これが戦争というものなのだろう、とおののくしかなかったろう。


 東京にかぎっても、1944年11月14日から1945年5月25日の間に106回の大規模な空襲を行なった。


 このため、東京は焼け野原になり、非戦闘員である都民8万人が死亡した。

 ディズニー映画白雪姫は、1937年。ピノキオは1940年。ダンボは1941年。バンビは1942年公開であり、アメリカ国民は自分たちを人道的な感性と思想を有するキリスト教国国民と自認していた。


 戦国時代に城を取り囲んでろう城する武士と女たちのいる城に対して、水や食料の供給を止めれば、それ自体が戦のひとつであり、刀で切りつけることが戦ではない。そんな事はアメリカにはわかっていたが、戦後の日本人は、アメリカに都合のいい解釈をした。



 日本人が先に攻撃したから、アメリカが怒ったのも、当然と。



 以後、日本人はこういう発想が癖になる。拉致犯罪も、元はと言えば、朝鮮の人たちを苦しめたからだと言う意見が日本人の中に絶えない。


 アメリカは、英国、オランダ、イギリスによびかけて、日本の外国からの石油供給、主要資源供給を完全に止めて、日本の国内産業の流れを止める作戦に出た。


 そして、その上でアメリカ国民には、次のように説明した。

 「日本は開戦にあたりパール・ハーバーを空襲したが、いまや、何十倍もの報復を受けたのである。」と。


 もちろん、トルーマン大統領は、パール・ハーバーの前にわれわれは、日本に主要資源の輸出を止めた、とは言わなかった。


 8月6日、広島に核爆弾を投下した、その3日後、アメリカのトルーマン大統領は、アメリカ国民に向けて、ラジオ演説を行なった。


 「われわれは核爆弾を獲得したので、それを使用しました。われわれはパール・ハーバーにおいて無警告で我々を攻撃したものたち、アメリカの捕虜を餓死させ、殴打し、処刑したものたちに対して、戦争の国際法に従うすべての虚飾をもかなぐり捨てたものたちに対して、核爆弾を使用したのです。」


 と。しかし、トルーマンは、日本海軍がハワイの市街地は攻撃しなかったこと。アメリカは東京を焼け野原にして、すでに東京の庶民だけでも、8万人が死亡している事実は国民に伏せた。


 1945年8月9日日本政府は、アメリカ政府と赤十字国際委員会に次の文言を含む文書を送付した。

 「アメリカは、このたびの欧州戦争勃発以来、毒ガスそのほかの人道に反する戦争方法は、文明社会の世論が否定しているのだから、相手国が使用しないかぎり、アメリカが先に使用することはない、と声明していた。しかし、この爆弾は、毒ガスその他の非人道的兵器などよりはるかに恐ろしい殺傷力を持っている」と。


 陸軍大臣杉山元は、昭和20年、広島の岩田幸雄(諜報機関児玉機関の創設者)に次のように言ったという。


 天皇陛下は、「日本の核兵器研究に反対された。その理由として、数カ国が核研究をしているという事だが、日本が完成しても、他国もまた、全力を傾注して完成させ、これを使用するようであれば、全人類を滅亡させることになる。


 それでは、人類の悪の宗家(元祖という意味)に、日本がなるではないか」と。


 アメリカは、日本の工業力を徹底的に破壊して、憲法に武力放棄条項をいれて、アジアのひとつの農業国家にした上で、中国大陸の貿易の主導権を中国国民党の蒋介石と分け合おうという計画だったが、その目論見は、ソ連の核開発の成功とともに、中国共産党による中国内戦がはじまり、中国は共産化してしまい、さらに、朝鮮半島でも、朝鮮戦争が勃発してしまう。


 そして、アメリカは、さらにベトナム戦争で共産主義をおさえこむ死闘にアメリカ国民をおくりださざるを得なくなっていった。



わたしがこういう事を、読まれもしないブログに書くのは、アメリカと協調するべきでないというのではない。



 ただ、日本がそんなに悪かったのか、という疑問それしかない。



 中国、北朝鮮の脅威に対してもっとも、強力に抑止できる手段は、アメリカとの協調をおいてほかにない。



 しかし、冷静に日本の歴史の真実もみなければならない。

 そのためには、アメリカの真実も見ないわけにはいかない、それだけのことです。



 人類規模の犯罪という意味では、ソ連、中国、北朝鮮のほうが、アメリカよりも、もっとひどい。