七人の侍、朱蒙、大王世宗 | 気になる映画とドラマノート

気になる映画とドラマノート

厳選名作映画とドラマを中心に、映画、テレビ番組について、思いついたこと、美麗な場面、ちょっと気になる場面に注目していきたいと思います。

 黒澤明の「七人の侍」を現在の20代の青年が映画館で観ることはほぼ不可能と言っていいだろう。

 ただもしかすると、学校の校内体育館で上映する催しをいまの学校でやれば可能かもしれないが、それも無理だろう。というのも、この作品は207分と、特別長いので、学校の企画では無理ということになる。

 私自身は有楽町の東宝劇場で、たぶん日本最後の映画上映だったかもしれない時期に「七人の侍」を見た。

 まったく、驚くべき作品で、なんなんだ、これは、と思ったという記憶がある。

 「七人の侍」が制作上映されたのは、1954年だから、1945年敗戦から、9年後にこのいまだに世界映画史上屈指の作品は作られたことになる。

 もっとも、戦後10年は、イタリア、フランス、スペイン、日本は質、量ともに空前の映画時代で、とくに敗戦国であったイタリアと日本はもう二度とないような豊穣の時代だった。おもしろいことに、アメリカとイギリスのような戦勝国こそ、たいした映画はなく、アメリカはむしろベトナム戦争の失意の後に、深い作品が次々と生まれた。

 一般に日本の映画青年の中には、アメリカ映画に比べれば日本の映画はカスのように思っている人も少なくないが、実際には、成瀬巳喜男、小津安二郎、黒澤明、今村昌平の四人は、アメリカ、ヨーロッパの映画人にとっては師匠格のように受け取られている。


 そうのような意味で、率直に言って韓国映画が本当に世界の映画人から心底リスペクトされているかというと、おぼつかない。

わたしには、一部の右翼的な人々がけなす韓国ドラマの一部の、そのまた一場面にきわめて興味深い場面がある思える。

 閑話休題
 「七人の侍」に初上映の頃、現実には、国会では共産党社会党の数が多く、つねに自民党を脅かしていた。いまの社民党がものすごい数の議席を持っていたようなものだ。労働組合も強く、始終国鉄がストライキをして、列車が止まったりしていた。

 この社会情勢が映画の解釈に影響を与えている。

 いまでは考えられないことだが、「七人の侍」は「自衛隊」。農民は「日本の国民」、そして、村を襲ってくる「山賊」は「ソ連」なのだろう、と解釈してさかんに批判する映画批評がかなり多かった、と言われている。

 つまり、社会党、労働組合は、ベトナム戦争反対や米軍基地反対、自衛隊は憲法違反などと言っていた時代だったから、「七人の侍」は、自衛隊を肯定するけしからん映画というわけなのだ。

 (ちなみに、現在でも、香山リカさんは、「朝まで生テレビ」で侵略されたらどうするんですか、と聞かれて、戦うのではなく、逃げる」と言っている。確かに「七人の侍」は武器を取って戦うストーリーなので、そういう妄想解釈もありえないわけでもない。

 韓国ドラマ「朱蒙」の話だが、歴史家の宮脇淳子さんが、「朱蒙」の中で出てくる地図の高句麗領土が異様に大きくウソ」だと指摘している。だが、領土のことを言うなら、それはほんの一瞬であり、そのことは本当は意味がない。問題は、韓国人にとって、(高句麗ではなく、儒教国家朝鮮が)「侵略したことのない平和国家」という解釈になっていることに関係している。というのは、「侵略したことのない平和国家」というのは、まかり間違えれば惰弱な民族かもしれない、という疑念の余地を残すのであり、この疑念を打ち消すためにこそ、「朱蒙」「テジョヨン」「ヨンゲソムン」の「勇猛果敢な民族性」が韓国人にとって必要だったと考えるべきなのである。

 朝鮮のイ・ソンゲは「高麗」の武将であった。そして、「高麗」と「高句麗」は、真ん中に「句」の字があるかないかの一字違いである。それが韓国人をして、「高句麗」が先祖であったかのような錯覚に陥らせているのだろう。しかし、それは間違いである。高句麗というのは、歴史的に滅びたのであって、現在の中国の祖先でもないし、韓国の祖先でもない。その証拠に、さかのぼっても、両国とまったく、言葉が違っていたことがわかっているからだ。

 これは、たしかに高句麗の王族の子孫が半島に渡ってきたということにはなっている。しかし、これを先祖というなら、ハワイの元々の住民の子孫がアメリカ人を先祖と言っているような話になる。

 たとえば、エスキモーの人々が、後にアラスカに来たアメリカ人の歴史を自分たちの先祖の歴史だと言い張るようなものなのだ。韓国の場合、高句麗が実はまったく違う言葉だということを実感できないから、先祖だと錯覚するのだろうと思われる。

 「大王世宗」では、青年時代の世宗が父親に対して、「突厥人に対して謝罪してください」と何度も叫ぶ場面がある。

 これはきわめて興味深い場面だ。

 もちろん端的には、明らかに韓国人にとって「日本はいっかな真剣に謝罪しない」国であるから、「人間はあやまちを犯したら謝罪するべきだ」という人の道理をさすがに偉大な世宗大王は青年時代からわかっている人で、父親に対してさえひるむことはなかったと作者はいいたいのである。

 興味深いのは、2012.9月韓国大統領選挙のさなか、セヌリ党党首のパク・ウネ候補に対して、韓国のマスコミは父親のパク・チョンヒ大統領時代の人民党事件という無実の人々を共産主義狩りに巻き込んで処刑した事件にからんで、謝罪させようとしていることだ。先祖のしたことをいまの人間に謝罪させようという点では実は、日本への要求パターンと同じであり、これは韓国のものの考え方のきわめて特殊なありかたを際立たせている現象だといえる。