旧国鉄 添田線 は 今 その3(上伊田駅周辺の名所)
旧上伊田駅周辺は、 名所・ 見るべき所が多くあります。 まず鉄道 平成筑豊鉄道 は 1989年(平成元年) 10月1日に 国鉄第三セクターで 起点 行橋駅 終点 田川伊田駅 延長26.3kmの田川線で開業し 平成元年にちなみ 平成筑豊鉄道 と命名されました。 勾金駅は、昭和18年に香春駅を勾金駅に改名の駅で 現在は駅舎といっても駅の仕事は? 田川伊田駅方へ1.3 kmで 2001年(平成13年)に新設の 上伊田駅 が誕生 しています。
また 勾金駅と 上伊田駅のほぼ中間に 煉瓦造りの中津原三連橋 があります。 平成筑豊鉄道の営業区間には 筑豊の近代化遺産(筑豊風土記の2013年5月6日 平成筑豊鐡道 内田三連橋と石坂隧道 記載済) に該当する 石坂トンネル・ 内田三連橋(国の有形文化財) なと゛多くの近代化遺産が ありますが この 明治の代表橋 中津原三連橋 もそれに劣らない立派な煉瓦造りさらに複線化を考えた綺麗な煉瓦積み構造です。(実は この地区では明治橋以外に 大正・昭和橋と構造・時代の違う橋が 近代化遺産 の本の中に 詳しく紹介されています。)
鉄道以外の名所も 旧福岡県立田川農林高校の 敷地には 平安時代j末期(仁平11年(1152年))源為義の八男 鎮西八郎為朝(弓の名手で竜王山の竜を成敗した昔話しが飯塚には伝わっています。) の豊後国臼杵より移住の館跡であった場所です。 また 田川市鎮西公園 は、 天台寺跡 のあった 場所で 田川地方唯一の 古代寺院跡で 中門・ 金堂・ 講堂が並ぶ寺院跡 で その址からは 朝鮮半島の 新羅・ 百済・ 高句麗系の瓦が出土し新羅系の軒先瓦は唐草文が 大宰府・大分寺(飯塚だいぶ) から出土の文様と同じ白鳳時代(7世紀末)の史跡 として 田川市指定文化財 天台寺跡(上伊田廃寺) となっています。
また 平成29年には 創立100年を迎える 福岡県立田川高校 は 筑豊炭鉱王の 蔵内次郎作・保房氏の創設の学校 が 中津原三連橋から見える高台にさらに正門前の踏切を平成筑豊鐡道が 新車両400型の菜の花カラーに水・緑・空色の3本ラインの列車が通過する景色もなかなか 素敵です。
もう一つ 香春岳 添田線の初回の 最初に掲載の写真 少し曇りの日で 香春岳が かすんでました。 多くの方からのブーイング(それだけ田川地区では愛された山) 今回は、田川市鎮西公園からの香春岳アップ これでもまだ ブーイング受けそうですが 1996年に 諸藤浩之先生画かれた 香春岳 もうこれだけ 石灰石 採られたんですね この 香春岳 を見ながら 次の 添田線今任駅 にさらに進みます。
平成筑豊鉄道勾金駅舎 勾金駅名標
平成筑豊鉄道の菜の花カラー 1 平成筑豊鉄道の菜の花カラー 2
中津原三連橋の遠景 中津原三連橋の近景写真
平成筑豊鉄道 上伊田駅 上伊田駅名標
旧田川農林高校跡(鎮西八郎屋敷跡) 旧田川農林・鎮西八郎屋敷跡の説明版
鎮西八郎為朝屋敷跡の説明版 田川市鎮西公園碑・天台寺跡
天台時跡(上伊田廃寺)の説明版 添田線跡より天台時への案内板
天台寺(上伊田廃寺)の説明版 天台寺跡の遠景写真
鎮西公園より望む香春岳 20年前の香春岳随分形変わりました
福岡県立田川高校正門 もうじき創立100周年の掲示版
地理情報 一本松駅 北緯 33度39分22秒 東経 130度50分08秒
上伊田駅 北緯 33度38分53秒 東経 130度50分01秒
上伊田廃寺 北緯 33度38分48秒 東経 130度50分09秒
田川高校 北緯 33度39分05秒 東経 130度50分14秒
平成筑豊鐡道 勾金三連橋 北緯 33度39分00秒 東経 130度50分08秒
平成筑豊鐡道 勾金駅 北緯 33度39分06秒 東経 130度50分32秒
平成筑豊鐡道 上伊田駅 北緯 33度38分53秒 東経 130度49分49秒
次回は、 旧国鉄 添田線 は 今 その4(上伊田-今任駅) へ