筑豊風土記 | 筑豊風土坊のブログ

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筑豊風土記 の名称は明治前期の石炭採掘より 筑前の遠賀・鞍手・嘉麻・穂波の4郡と 豊前の田川郡の5郡の石炭組合の設立によって 筑前・豊前の頭字を取り 筑豊 の名称が使われました。 この 筑豊の歴史・生活を知って頂ければの 筑豊風土記 です。

 

        筑豊の街 今は 飯塚市内 (永楽通り) その1


 平成26年7月現在、飯塚中心市街地は大きく変わろう しています 飯塚バスセンター付近・ 本町旧ダイマル付近・ 本町火災跡地付近・ 旧長崎街道隣接の付近・ そして今回の主題である 永楽通り付近 です。


飯塚中心市街地は江戸時代の筑前六宿の宿場町 として 石炭産業の最盛期には筑豊炭都の中心都市 飯塚(筑豊風土記の筑前六宿飯塚宿で掲載) として栄えた地域です。 古くから人が集まり、生活・ 文化・ 産業が交流する中心地でありました。 そのため 多くの祭り・イベントが開催されるコミュニケーションが受け継がれた場所 でもありました。  


この中で 永楽道り を、振り返ってみました。 永楽道り は、昭和道り栄橋が入口でアーケード街 を進むとケーキの さかえ屋さん を過ぎ 途中右側に 樽屋町の入口 が在り まっすぐ進むと 永楽館映画場 さらに進むと右に 永楽ぜんざい 左に 公設市場 更に進むと 本町の交差点 これまでが 永楽通り 本町通りは旧長崎街道で 少し澄ました商店街 永楽通りは、公設市場に面した地味な商店街 だと筑豊風土坊感じていました。


このごろ、中心市街地の開発で イザなくなってしまうとなんだか 体の一部がなくなったような 寂しい状態になりました。 果たして開発されると 飯塚中心拠点にふさわしい活力・賑わいの街となってくれるのか? 人に優しい街になってくれるのか?  市民の集いの場・多くのイベントが開催される新しい永楽地区 として変身してくれることを願い 筑豊風土坊 永楽道りを 去ります。

 
  T01  T02
  昭和13年ころのさかえ屋・永楽通り入口         昭和13年ころさかえ屋

  
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     昭和3年永楽館の映画館開業               昭和4年公設市場設立
  
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         現在のさかえ屋               公設市場・永楽通りビル裏道路

  
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       永楽通りの昭和通り入口                  永楽通り魚成付近
          
  
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     永楽通り裏の樽屋町の路地      永楽館跡の飾り山展示場とモニュメント

   
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       永楽通り 額縁のますや             永楽通り永楽ぜんざい付近

  
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      平成23年永楽通り魚成付近           平成13年永楽通り終点付近

  
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      平成25年永楽通り・本町交差点               交差部のドゥム部
 
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       公設市場旧白水橋付近より                永楽通りの解体前


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              昭和30年当時の住宅地図 永楽通り付近
    


                               位置情報
  永楽通り昭和道り入口    緯度 33度38分16秒  東経 130度41分10秒 

 永楽道り長崎街道交差点   緯度 33度38分16秒   東経 130度41分06秒


 

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