筑豊風土記 | 筑豊風土坊のブログ

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筑豊風土記 の名称は明治前期の石炭採掘より 筑前の遠賀・鞍手・嘉麻・穂波の4郡と 豊前の田川郡の5郡の石炭組合の設立によって 筑前・豊前の頭字を取り 筑豊 の名称が使われました。 この 筑豊の歴史・生活を知って頂ければの 筑豊風土記 です。

 

         JR日田彦山線 S型曲線(採銅所-香春駅間) (4)


JR九州 日田彦山線の採銅所駅と香春駅の間には大変面白い鉄道曲線 があります。 それは S型の曲線 で採銅所駅から香春駅に向かい約2kmで列車は左にカーブし途中、ねじりマンポと言う橋梁さらに金辺川にかかる高さ60尺(18.2m)の高い橋梁を過ぎカーブの始まりから約800m、今度は右にカーブし約800mカーブが終わると間もなく香春駅に列車は入ります。


上記の説明では、わかり難いかも知れませんが 地図 (S型反向曲線図) を見ていただくと地図上には 大きなS型の曲線 が描かれています。 おまけに採銅所からの左曲線半径400mの左への曲線が終わるとすぐにに右への半径400mの曲線が香春駅少し前まで続いています。


 筑豊風土坊 少し鉄道の事、仕事上多少知る者にとって大変貴重な S型曲線(反向曲線(リバース= reverse))と呼ばれる数少ない曲線 です。 半径400mから反対に400mの半径曲線も少なく(鉄道曲線半径400mは、一般には鉄道最低の半径) さらに 中心角180度が反向き180度と美しい曲線 なっています。 多分 明治の後期に、路線計画・測量・工事が成されている と思います。(工事年代は資料がJRに尋ねることができず?) 


ここで誰でもが不思議に思うのはなぜ採銅所駅と香春駅間を直線に近い形で鉄道を造らなかったかの疑問です。 そこには直線で結ぶと 鏡山神社と河内の宮の墳墓 にどうしてもぶち当たる(当然切土か隧道で経費大)と 河内の宮墳墓は現在も宮内庁の特別墳墓 管理地区 にもなっています。


以上のことを考えると 明治時代の鉄道建設事業は、 国力を総動員した大切な事業でしたが それでも S型曲線、まして半径400m曲線を挿入した明治の先人達の努力とその当時の先進国に追いつけ追い越せの大きな力と技術力を見る ことができます。


このことを、総合すると途中の ねじりマンポ・ 60尺橋 ・近代PC橋 がそれぞれ近代化遺産と呼ばれている割には このS型の曲線は近代化遺産の中に無く あまり評価されていません 筑豊風土坊 採銅所-香春駅間のS型曲線  近代化遺産の中でも明治後期の最高の近代化遺産として評価 したいと思います。 (この後、60尺橋・ねじりマンポ・採銅所駅 を近代化遺産として説明します。)


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      地図 (S型反向曲線図)                 大正4年造の採銅所
   
  
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         ねじりマンポ                          現在PC橋

  
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      60尺橋(第二金辺川橋)                       香春駅舎      
 
  
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      香春駅前より香春岳を望む                     鏡山神社

 
  
筑豊風土坊のブログ-河内の宮墳墓   筑豊風土坊のブログ-S型反向点付近
      河内の宮の墳墓(宮内庁)                   S型反向点付近
 
  
筑豊風土坊のブログ-半径400m標   筑豊風土坊のブログ-今日も通貨列車は行く
         半径400m標                       通過列車は今日も


採銅所駅           
北緯33度42分26秒    東経130度51分12秒

ねじりマンポ(欅坂橋梁)   北緯33度41分10秒   東経130度51分10秒

S型反向曲線点        北緯33ど40分32秒    東経130ど51分20秒

採銅所駅           北緯33度42分26秒   東経130度51分22秒



  次回は 60尺橋(第二金辺川橋) と ねじりマンポ(欅坂橋梁) へ