三国志:武器防具等 - 鎧 | 鸞鳳の道標

鸞鳳の道標

過去から現在へ、そして未来へ。歴史の中から鸞鳳を、そして未来の伏龍鳳雛を探すための道標をここに。

 漫画やゲームでは、小説とは異なり、絵によって状況が表現されています。
 『三国志』関連の作品も当然、登場する武将たちは武器を携え、鎧を身にまとって戦っています。
 しかし、その武器や鎧が必ずしも、当時の正しい姿とは言い切れません。ずっと時代が下ってから、その時代の人間が当時の武具を装備させた絵もあり、それらを参考としてそのまま漫画やゲームで使われているものもあります。
 それらの本来の姿を、一部紹介していきます。

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 ●札甲【さっこう】
 短冊の形をした鉄片を縦横に織り込んだもの。胸、腹、肩のみを覆う。

 元々は北方異民族が装備していたもので、馬にまたがって戦うことができるよう、動きやすい形態となっています。比較的簡素で、戦国時代から漢代までの主流。


 ●魚鱗甲【ぎょりんこう】
 楕円形の鉄片を縦横に織り込んだもの。胸、腹、肩のみを覆う。

 札甲をさらに頑丈にしたもので、前漢代でもその装備はまだ充分に行き届いてはおらず、将軍格の者しか着れなかったようです。魚の鱗のように、楕円形の鉄片が重なりあっているため、矢を通しにくい安全設計。

 両者の画像は、こちらで見ることができます。(→参照
 横山光輝氏の漫画『三国志』や『史記』を読んでいる方には、兵士や将軍たちが装備しているのでお馴染みの格好ですね。


 これらがさらに進化したのが。

 ●筩袖鎧【とうしゅうがい】
 「筩」とは「筒」のことで、「筒袖鎧」とも書きます。筒状の袖が綴られた鎧。

 胴と袖の部分が一体となっていて、脇の下も覆われています。これを装着するときには鉄帽も併用され、非常に頑丈。後漢というよりは、魏晋~南北朝時代に使われるようになったものです。

 ●明光鎧【めいこうがい】
 胸の部分、左右それぞれに半円型の鉄板をつけたもの。

 胴鉄などで造られた鉄板はピカピカに磨きあげられて鏡のようになり、太陽光を反射して輝いて見えることから「明光」と称されるようになったもの。腰の部分も覆われているのが特徴です。筩袖鎧と同様、魏晋~南北朝時代に使われるようになったものです。

 ●黒光鎧【こくこうがい】
 明光鎧を黒く塗装したもの。
 
 (→参照:筩袖鎧=画像「十一」の右側。馬上の兵士。明光鎧=「九」


 ●両当鎧【りょうとうがい】
 胸と背中の両面に鉄板をあて、肩と腰の部分を帯でつないだもの。

 騎兵が使った鎧で、軽量。上半身から膝の部分まで覆ったもの。側面が無いのは、騎兵は側面から攻撃されることが少ないためです。

 ●環鎖鎧【かんさがい】
 日本の「鎖かたびら」のようなもの。環にした鉄の鎖を綴ったもの。

 四世紀頃、西域の亀茲【きじ】国で使われていたとされるもの。非常に軽量でありながら、槍の穂先や矢では貫通できないほどの強度を誇る代物です。ただ、鉄をハリガネ状にして環にして結ぶというのは大変な技術を要したため、後漢~三国時代では主流とはいえず、おそらく指揮官でも上位クラスの人間か、特別に選ばれた兵士のみが装備できたものと思われます。

 ●馬鎧【ばがい】
 馬のための鎧。

 騎兵の戦いでは、的の大きな馬を狙い、戦闘力を奪うという戦法が行われていたため、馬を守るために使われた鎧。首、腹、胸、尻を覆うものがあり、それらを装備すると足の部分以外が覆われてしまい、槍の穂先や弓をも防ぐことができた代物。もっとも、すべて装備すると重量になってしまうため、頭だけを覆うだけの馬面という簡素な馬鎧も使われていたようです。
 曹操と袁紹が戦った官渡合戦では、袁紹が二百組の馬鎧を揃えたとあります。
 ちなみに『水滸伝』でも、呼延灼【こえん・しゃく】が「連環馬」という馬鎧で覆った騎馬軍団を繰り出した際、徐寧【じょ・ねい】が扱う鈎鎌鎗で、茂みの中から連環馬の足を狙うという戦法で勝利しています。これは馬鎧が足にまでは装着させていないことを狙いとした方法と言えます。

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 一般に使われた「札甲」や、少々複雑な「魚鱗甲」以外のものは、当時のとある一覧表に記載されているものです。
 それは、『先帝賜臣鎧表』というもので、曹植【そう・しょく】(字は子建)が曹操から貰った様々な、珍しい鎧の一覧です。

 曹植というと、『演義』では才気煥発な天才詩人としてのみ描かれているため、野心や武勇とは無関係な文学少年というイメージを持っている人も多いのでは。
 しかし実像は、むしろ自ら戦場に立つことを望み、勇猛な将軍たちと親交を結んでは、戦場での武勇談に耳を傾けて心躍らせるような人物だったようです。教育係だった楊脩【よう・しゅう】(字は徳祖)に対しても、手紙で「詩文で名を残すことが立派とは思えない」「武勲を挙げることが本望だ」と、なかなかの男ぶりを発揮しています。また彼の詠んだ詩でも、内向的な文学青年のそれというよりは、意気に溢れた力強いものが多く、猛々しさすら感じさせます。曹丕と曹植は、『演義』のそれはむしろ実像から離れた別人と言ってもよいほどなので、いずれ詳しく。

 武器や防具の研究において、魏晋~南北朝期については、この『先帝賜臣鎧表』は必ず使われるものなので、これに絡むと「曹植のイメージが変わった」という人もいるほどです。

 もう少しだけ補足すれば、「筩袖鎧」は諸葛亮が発明したともされ、強靭な弩【ど】で討ってもビクともしなかったとされています。弩が遠距離射撃の武器として主流となっていたために、鎧もそれに対処するものが増えていたのと、当時は鉄の精製技術が飛躍的に高まっていたために、鎧に使われる鉄片に強靭なものが使われるようになったこととを合わせれば、ただの伝承として片付けることはできないでしょう(弓と弩については武器の回で)。

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 「なう」で、「馬豆腐」さんからのリクエストを頂いた「武器、防具、衣装」の第一弾です。
 改めて調べると、いろいろな情報が出てきて面白いテーマです。もっとも、後漢末期~三国時代は特に情報が少ないため、どのような過程でどのような武器・防具などが、誰の手に使われたかなどが分かりづらいのが難点でしょうか。
 三国無双シリーズや、三国志大戦、あるいはその他の漫画やアニメ、ゲームなどでも、三国時代当時というよりは『演義』の描かれた明代や三国時代以降の内容が含まれているために、三国時代には存在しなかったはずの武器や防具が描かれていることがあります。それを参照に、また絵を描けば、ますます別のものを描いてしまうこともあります。
 実像に迫るのが難しい内容ではありますが、分かっている部分を少しでも採り上げていって、多少なりとも役立つようなことがあれば、幸いです。

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