風の伝えるままに

読んだ本、見たニュースなどを、いろんなものにたとえながら。あるいは雑学ネタなど想うがままに。


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≪本文≫
秋風起兮白雲飛
草木黄落兮雁南歸
蘭有秀兮菊有芳
懷佳人兮不能忘
泛樓船兮濟汾河
橫中流兮揚素波
簫鼓鳴兮發棹歌
歡樂極兮哀情多
少壯幾時兮奈老何

≪読み下し文≫
秋風起りて 白雲飛び
草木黄落して 雁南に帰る
蘭に秀有り 菊に芳有り
佳人を懐うて 忘るる能はず
楼船を浮べて 汾河を濟り
中流に横たはりて 素波を揚ぐ
簫鼓鳴りて 棹歌を発す
歓楽極りて 哀情多し
少壮幾時ぞ 老いを奈何せん

≪大意≫
秋風が起こって、白雲は飛び交い、
草木は黄色く染まって、雁は南へと帰る。
蘭は秀美、菊は芳香、
佳人を思い起こして、忘れることなど出来ない。
楼船を浮かべて汾河を渡り、
中流で横たわって白い波を上げる。
簫や鼓が鳴り響き、哀悼の歌が流れる。
歓楽は極まり、それなのに哀情は増すばかり。
若い時はいつまで続くのか。老いていくのをどうしたらよいのか。


 これは前漢の武帝・劉徹が四十四歳のとき、汾陰に行幸して后土(土地神)を祀った後、汾河で付き添いの者たちと船遊びをしている最中に詠んだもので、「秋風辞」と呼ばれるものです。
 現代ならば四十四歳であれば仕事などで熟練の域に入り、脂の乗った年代とも言えますが、古代や中世に至る頃ではすでに老年期で、肉体や精神の衰えを感じさせる頃合いと言えるでしょう。
 前漢の武帝は、匈奴に対して屈辱的外交を強いられていた漢王朝のこれまでのやり方に反発を覚え、文帝や景帝による「文景の治」と呼ばれる安泰期に国力の回復が十分に成されたこともあり、積極攻勢に出ていきます。オルドスを回復した時点で、かつて天下を統一した秦の領土を上回ることが出来たのも、彼の治世においてです。
 秋風辞では、歓楽が極まっても楽しくないと、老いるのは嫌だと、まだまだやる気に溢れているかのようです。一方で、佳人を思って忘れられないと、焦っているかのようです。佳人とは、見目麗しい女性という意味ですが、誰のことであるのかまったく分かりません。衛皇后こと衛子夫は生年不明ですがそろそろ四十代に達するかと思われ、夭い女性という感じではありません。ここでは理想上の女性ということでしょう。
 この三年後に、天と地を祀る「封禅」の儀を行い、人生の最高到達点に至るのですが、その後は実によろしくない。
 諫めるものを遠ざけ、媚びへつらう者たち、いわばイエスマンだけで周りを固めて、自分の意見を強引に押し通す。財政面でも文景の治の財産を食いつぶし、民衆の生活を圧迫し、各地で反乱が頻発します。そして、 「巫蠱の獄」により、多くの者が「巫蠱」と呼ばれる呪術を使っているとして逮捕・処罰され、戻太子もまたこの罪をでっちあげられ、それを信じた武帝に殺されそうになった太子は反乱を起こしてしまうのです。
 歴史的に残る事件として最後に、李陵事件があります。これは匈奴征伐に赴いた李陵が奮戦したにも関わらず衆寡敵せず降伏したもので、武帝はこれに激怒します。この時、李陵をかばったのが司馬遷で、ただそれだけのことで、司馬遷は宮刑に処せられて宦官にならざるを得なかったのです。これについては『史記』の成立に関わる話なので、詳しい状況は追って機会を設けるつもりでしますが、ひとつだけ。司馬遷が李陵をかばったのを、知り合いだからとか友人だからとする意見がありますが、問題はそこではないのです。友誼があったという形跡も、特に見当たりません。単純に、健闘した功績を無視して一度の降伏だけで罰せられるのはおかしいと意見を述べたに過ぎません。しかし武帝はもう一人の将である李広利が活躍して欲しかったのにそれがうまくいかないことに苛立って八つ当たりをし、そして群臣たちも誰一人として司馬遷の意見に賛同せず、武帝におもねったのです。勇壮で積極的で現実的で激情的な人物はすでに、偏屈で聞き分けの無い、わがままで老害を撒き散らすだけの、過去の栄光に成り下がってしまっていたのです。
 老いを奈何せん。

 では、次のような詩をどう感じるでしょうか。

≪本文・一部抜粋≫
神龜雖壽 猶有竟時
騰蛇乘霧 終為土灰
老驥伏櫪 志在千里
烈士暮年 壯心不已
盈縮之期 不但在天
養怡之福 可得永年
幸甚至哉 歌以詠志

≪読み下し文≫
神亀は寿なりといえども なお終わるの時有り
騰蛇は霧に乗ぜども 終(つい)に土灰と成る
老驥は櫪(れき)に伏せども 志は千里に在り
烈士暮年に 壮心やまず
盈縮の期は ただに天のみに在らず
養怡の福は 永年を得るべし
幸甚至れるや 歌いて以て志を詠ず

≪大意≫
神亀は長寿だが、それでも終焉の時が来る。
騰蛇(龍)は霧に乗るというが、終わりには土塊と化してしまう。
老いた駿馬は馬小屋に伏しているが、志は千里先にある。
烈士は晩年においても、壮年の心は忘れない。
満ちたり縮んだりする時期は、ただ天に定められたというものではないのだ。
喜びの心を養えば、永い年を得られるのだ。
幸甚の至りではないか。さあ、歌って志を詠じよう。


 これは三国・魏(曹魏)の武帝・曹操が詠んだ『歩出夏門行』(別名・碣石篇)五首の五首目で、「亀寿雖」と題されるものです。第二首の「觀滄海」で「東臨碣石 以觀滄海」と詠まれているので、碣石の地を通りかかった建安十二(二〇七)年の作で、五十三歳の時でしょう。
 彼は後漢末期の混乱期において、各地で朝廷を無視して自立の動きを見せる群雄たちと戦い、当時では最強の軍閥であった袁紹(七年前に病没)の残党との戦いにようやく終わりが見えてくる頃です。まさに晩年で、そろそろ引き際を考える年齢と言えるでしょう。
 ところが詩の中で彼は、老いたといってもそれは外見だけで、志は限りなく大きく、心はまだ壮年だと言っています。それどころか、心を養っていけばまだまだ大丈夫だと、自らを励ましているのです。
 実際、彼はこの後に烏丸との戦いに出向き、それどころか六十六歳で亡くなるまで戦場の最前線に何度も赴いているほどです。晩年は負け戦をしたり、内紛を起こされたりしても、大局に関わるような政治的失策は見受けられず、むしろ支配領域や権勢の拡大に励み、子の曹丕は曹操が亡くなった翌年に皇帝に就任するほど、最後まで積極的に、気を抜かずに生き延びています。

 今の歓楽に耽りつつ、佳人が欲しい、老いたくないと言い、晩年に老醜をさらけ出して失策の限りを尽くした前漢の武帝。
 老いなんて吹き飛ばせ、まだまだ喜びはあるぞと、最後まで駆け回り、息子に天下を与えた魏の武帝。
 辞や詩には、人ぞれぞれの心意気や未来予想図も潜んでいるものです。
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 仕事や学業などをしていて、その成果が現れないというのはよくあることです。
 それが単に努力が足りないというのであれば、より切磋琢磨するか、あるいは手順などのやり方を模索するのも一策ですが、そもそも、成果に繋がらない無駄な行動を繰り返している可能性もあるわけです。
 『韓非子』「外儲説左」にこんな話があります。
 
 韓宣子は言った。
「私の馬は餌をたくさんあげているはずなのに、どうしてこんなに痩せているのだろう。心配でたまらない」
 周市が答えた。
「餌をたくさん食べさせていれば、たとえ太るなと言っても無理なこと。表向きはたくさん与えていることになっていても、実際には少なければ、痩せるなと言っても無理なこと。あなたが実情に疑いを抱かず、ただ座って心配しているだけでは、馬が太ることなどありません」

 ことわざでいえば、「骨折り損のくたびれ儲け」といったところでしょうか。あるいは「鹿を追う者は山を見ず」といったところでしょうか。
 「鹿を追う者は山を見ず」 とは、目先の利益を追う者は、それ以外のことに目を向けようとしないこと。一つのことに夢中になって、他のことを考慮しなくなることをたとえた言葉です。
 出典は『淮南子』「説林訓」。
 逐獣者目不見太山。嗜慾在外、則明所蔽矣
(獣を追う者の目には泰山が映らない。嗜好への欲望が外に溢れ出ていると、聡明さも覆われてしまうのだ)
 太山とは泰山のことで、歴史的には秦の始皇帝や前漢の武帝が「封禅」の儀式を行った場所であり、宗教的には道教が五岳として重んじる五つの山でもっとも尊貴であるとしている霊峰です。それほどの山に入り込んだのに、見上げようともしない。気づこうともしない。
 目の前のことに集中するのは悪いことではないけれど、考えが足りなければ、かえって害になるかも知れない。そんな話が『列子』「説符篇」にあります。

 邯鄲の民は、正月元日に(趙)簡子に鳩を献上していた。簡子は大いに悦び、これに厚く賞した。客人がそのことについて質問した。簡子は言った。
「正月元日に生き物を放ってやることで、恩情を示すのだ」
 客人は言った。
「民はあなたが鳩を放ちたいがために、競って鳩を捕らえようとします。そのために死者まで出るほどです。あなたが鳩を生かしてやりたいと思ったならば、民にこれを捕らえることを禁じればいいのです、捕らえて放つより、捕らえずにおくことのほうが恩情があるでしょう」
 簡子は答えた。
「その通りだ」

 放生は良い行いであるけれど、それがために死者が出ていてはなにもならない。愚かなことだと笑うのは簡単ですが、これが笑い話で収まらない現実があるのです。
 仏教に「放生会」という、捕らわれた生き物を野に返す儀式があるのですが、一部の国ではそこで放つための動物を売る店が出ることがあります。放つために捕える、何の功徳でしょうか。履き違えとは、まさにこのこと。
 ここで取り上げた韓宣子こと韓起、趙簡子こと趙鞅の両名は決して凡庸な人物ではなく、むしろ俊才と言ってよい人たちです。どちらも春秋・晋に仕えていた人物であるのは採択のうえでの偶然ですが、偶然でないのはどちらも、それを諫めて正道へ戻した人たちがいて、その助言を聞き入れたこと。これは彼らだけに限らず、偉人によく現れる傾向です。逆に恵まれた才能を活かして時代の頂点に上り詰めながらも、他人を信用せず、協同せず、諫めを聞かず、栄華を得てもわずかな期間ですべてを失った人物というのも、これも歴史上にいくらでも例があることです。
 歴史に名を遺した人物ですらそうであるなら、それに及ばぬ我ら凡人であれば、他人に意見を求めることに何の恥を感じる必要があるのでしょうか。
 なぜかうまくいかない。そんなときには、こんなことわざを思い出すのも大切かもしれませんよ。

聞くは一時の恥。聞かぬは一生の恥
 
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 日本の中国地方は、山陽地方と山陰地方に分かれています。
 昨今、山陰地方の「陰」という文字が暗い印象を抱かせるということで、一部では改称を要請する運動も起きているようです。
 瀬戸内海側を山陽と呼び、日本海側を山陰と呼ぶ理由は中国での呼び方に由来しています。

 たとえば、中国の王朝でも多く首都となった「洛陽」は、洛水という川の北に位置します。
 前漢を起こしたのは劉邦ですが、それを軍事面で支えた韓信(かん・しん)の出身地は「淮陰」といい、これは淮水という川の南に位置します。
 川の北に位置する地域が「陽」で、南に位置する地域に「陰」という文字が割り当てられているのです。
 これにはもうひとつ法則があって、山の南に位置する地域に「陰」が、北に位置する地域に「陽」の文字が当てられます。
 なぜこうなるかは、太陽が南天に上るからと考えましょう。
 北を上とした地図で見た場合、南から太陽の光が来ます。
 川の水面で太陽光は反射します。反射することで明るくなると感じるのは北側です。太陽を背にする南側に立っていては、水面に影を落としてしまいます。
 山の場合で考えた方がより理解しやすいかも知れません。聳え立つ山に南から太陽光が当たると、南側は明るくなります。北側には太陽光が届かないので暗いままです。

 「陽」は、川の北側、山の南側。
 「陰」は、川の南側、山の北側。

 中国地方の中国山地を境として、その南側は太陽光で明るくなので「山陽」。北側は暗いままなので「山陰」というわけです。暗いままというのは印象がよろしくなく、改称したくなる気持ちは分からないでもない。
 元々の中国でいえば、「濮陽」は濮水の北、「歷陽」は歷水の北、「済陰」は済水の南、「汾陰」は汾水の南と、この法則によって名付けられています。
 余談ですが、かつての中国では川の名前には「水」が用いられています。いまでは、穎水が穎河、汾水が汾河と改められたようにこの法則は通用しませんが、かつて「河」といえば「河水」のことでした。これだけではどこのことか分からないと思われるかも知れませんが、これは現在の黄河のことです。『春秋』などの古典ではこの表記となっています。
 余談のついでに、「川」というのは中国語では、日本と同じく水の流れる「川」という意味の他に、「平地」という意味もあります。中国語で「平川」と書かれていれば、それは平地のことです。また、現在ではたんに「川」とあれば四川省のことです。「川椒」といえば四川省で採れる胡椒のことで、「川馬」といえば四川省で産まれたの馬のことです。日本と同じ文字でも、意味も用途もまるで異なるので要注意です。

 さて、この陰陽の地名の法則はすべてに当てはまるとは言いきれません。中には、その名を冠した山も川も付近に見当たらない場合があります、改名されたために現在では分からなくなってしまったのか、あるいは別の理由があるのか、不明な場合もあります。
 その中でも秀逸なのが一例。
 戦国・秦の首都は咸陽ですが、咸の名を冠した山や川があるためではありません。
 咸陽の南には渭水が流れていたので、これに基づいて命名するなら「渭陽」となるはずです。
 しかし、北に九嵕(きゅうそう)山が聳えているので、これに基づくならば「九嵕陽」あるいは「嵕陽」という名前にも成り得たのです。
 実はこのように、山と川という条件が揃っているのは珍しいこと。
 そのため、「みな」や「ことごとく」を意味する「咸」の字を用い、『咸陽』となったというわけ。
 ひとつだけ自己の想像を入れるなら、「みな」を意味するなら「全」や「都」でもいいはず。 「咸」という文字は、甲骨文では、神への祈りを捧げる祝詞を入れた箱を鉞で守る形であり、鉞で箱の周りを「すべて」守ることから、転じて「すべて」の意味となったのです。秦は平地の多い東方の他国とは異なり、山で周りを囲まれた地であることも含め、「囲まれる」意味と「守る」も込められた「咸」の文字を用いたのだと思われます。
 意味のある地名は、推察するのも楽しい。
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