琵琶湖の最北端の賤ヶ岳、国道8号を敦賀に向かうといつも
看板が目に入っており、あまりにも有名な地名ですが今回
はじめて訪れてみました。
賤ヶ岳の高さは422メートル、山頂近くまでリフトが設けられて
います。
賤ヶ岳の合戦は、戦国時代に本能寺で倒れた織田信長の後を狙う豊臣秀吉と
柴田勝家の主導権争いで、激しい戦いの後に累々と屍が重なり、
武具を洗い流した余呉湖の水は真っ赤に染まったと伝えられます。
余呉湖周辺に幾万の戦死者の塚が散在していたのを、昭和57年、賤ヶ岳合戦
400年を機に景勝のこの地へ集められました。
毎年4月、山開きの際に慰霊祭が勤められているそうです。
山道が山頂への登山道。
リフトを降りて10分ほどで山頂です。
中央の一番高い山が伊吹山、そのすぐ右下が浅井家の城跡小谷山です。
賤ヶ岳から東南の方角になります。
山頂の小屋には観光、歴史説明ボランティアの方がお二人おられ、
この日訪れたのは私だけだそうで30分ほど、景色を見ながらいろいろご説明を
頂きました。
賤ヶ岳の戦いと言ってもこの山の上で戦ったわけではなく、すぐ北の余呉湖の
周辺に豊臣軍が大群をもって柴田軍を待ち受け、この地が合戦地であったと
いいます。
余呉湖の上(北)の山間が北陸、敦賀へ通じる唯一の街道で、この地を北から柴田軍が
福井から進軍するしかなかった。
今でも北陸自動車道、国道8号、北陸本線はすべてここを通っています。
この戦いにおいて秀吉の近集の加藤清正ら7人が槍を取って真っ先に進み
柴田軍を突き崩したことから、賤ヶ岳の七本槍として知られるところ。
加藤清正、福島正規、加藤嘉明、脇坂安治、平野長泰、糟屋武則、片桐且元
であるが、脇坂氏を除く大半が徳川政権になってからは御家取り潰しなど
苦難に遭った。
南は琵琶湖。曇天で見晴らしがよくありませんが、すぐ下には竹生島、
琵琶湖南岸には長命寺山、安土山をうっすら望むことができました。
夕方の水辺を歩く女の子。
歴史ボランティアの方々のお話を伺えたこともあり、楽しい賤ヶ岳探訪に
なりました。
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