学校に通う意味 | かずえ☆since2016.4 大崎上島、親子で移住、古民家暮らし。

かずえ☆since2016.4 大崎上島、親子で移住、古民家暮らし。

平成28年3月に19年勤めた小学校の先生を辞め、広島の大崎上島に家族で移住しました。
子どもは、8才と7才の男の子です。子ども達はずいぶん大きくなりました。

そんな我が家の子ども達の成長や、私の気づきを記録していきます。

「学校って、なんで行かないといけないんだろう。」

って思うこと、一度や二度はあると思います。



通っているだけで、参加しているだけで、自然と身についていることもあると思います。


そこに居ることの大切さというか。



今、体育でソフトバレーボールをしています。


今年初めて取り組むので、ほとんどの子どもが初体験。


昨日で3回目。


ネット型のゲームは、する場所が必要なので、学校という場で取り組む価値があるな、と思う競技。


1時間目、ボールに親しむ活動。
2時間目、ネットをはさんで打ちあう活動。
3時間目。ゲームにしていくために、最低限のサーブとローテーションを教える。
次くらいからようやくゲーム。


体調を崩していて、3時間目の昨日から参加した子どもが、
「足をひっぱっている気がする。」
なんて振り返りをしていました。

「無理しなくていいよ。」
なんて、声をかけたのですが、確かに、他のみなさん、なんとなく動きがバレーボールになってきています。


回数を重ねるうちに、ゲームを理解し始め、考えながら活動しています。


体育なんかは、成長が見えやすいのですが、他の学習にしてみてもそうなんだろうな、と思います。


そこにいることで、どの人も自分なりに賢くなっておられるのだろうな、と思います。


私は、
「勉強することをあきらめないで。」
とよく子ども達に声をかけています。

私の声が届く人、届かない人、様々ですが、どの人にも声をかけています。


あきらめないで学校に通い続け、取り組み続けることって、大切な気がします。


様々な事情で、学校に来にくくなってしまったり、教室に入りにくくなってしまったりしてしまった子がダメといいたいわけではありません。

その子にはその子の事情があり、その子に適した学びがあると思います。
また、みんなと違う行動を取っている中で否応なく自分と向き合い、もがいている中に学びがあると思っています。


でも、お子さんが普通に学校に行け、普通に過ごすことができていることって、すごいことなんだということを、保護者が思い、認めていくことがだいじな気がします。


「当たり前に当たり前のことができる」
ということのすごさを感じる今日この頃。


友だちとの関わりの中で、子ども達は育っています。
時にはケンカやいさかいもありますし。
その時々に子ども達は学んでいます。


「うちの子は…」
と言いたいことは山ほどありそうですが、毎日何かは学んでいるような気がします。


それを頭にいれておくだけで、接し方が違ってくるのでは、と思うのは、私だけなのでしょうか。

No.227