「山月記」という中島敦の有名な小説がある。
よく、高校の現代文の教科書なんかに載ってるので、それで知る人が多いと思う。
かくいう僕も、高校の現代文の時間に読んで山月記を知ったクチだ。

実は、この小説は、僕の人生の中でもベスト3には確実に入るであろう
座右の書のひとつなのである。
文庫本にして僅か10ページ足らずの極々短い短編小説だが、
とても深遠、そして緻密な内容で、読後には毎度深いため息がでる。

優れた詩の才能を持ちながら、挫折への恐怖と己の自尊心の高さが故に
孤立し、貧窮し、そしてついには虎に変身してしまう男の話。
この小説で語られる主人公の
「臆病な自尊心」と
「尊大な羞恥心」という二つの矛盾した内面世界が
高校時代の僕の心を大いに捉えた。
まさに、僕が抱いていた不安や不満そのものであったように思えたのだ。

主人公は、自分の才能が人よりも優れていることを知っていたために、
何もせずに一般人とともに凡庸な生活を送ることを拒み、
しかし、一方で
自分が一流の詩人になることを挫折してしまう恐怖の故に、
あえて師について勉強をすることも、ライバルと切磋琢磨して自分を磨く努力も怠ってしまう。

自分が特別でないことを恐れながら、
自分が特別でなければならぬと憤る。

大学受験を前に、人生の方向性や、自分の将来そのものが
まさに今、決断される時に臨んで、
僕は一体どんな不安を抱えていたんだろう。
山月記の主人公は、まるで自分を鏡で見ているかのように、僕の心を写し出していた。


最近、ひょんなことでこの山月記のリメイク作品を読んで、
懐かしさに駆られて、原作を紐解いてみた。
十代の頃というのは、多感な時期だ。
高校の頃に感じた深い感慨は、大人になった今、少し和らいで、
もっと冷静な目でこの小説を読める。
まず、そのことに驚いた。

ある意味で僕は、己の珠にあらざるを何処かで認めてしまったんだろうか。
そう思うと少し悲しい・・・・