蝦夷とは?アイヌとは? | 古民家の伝道師・秋葉のブログ

蝦夷とは?アイヌとは?



歴史好きな私は、古代史の大きなテーマのひとつである

「蝦夷とはなにか」について調べたので

触れておきたいと思います。

蝦夷とは、中国の中華思想の影響を受けたもので、

当時の日本、朝廷が(中国では倭と呼ばれた)支配地域外である

東夷に住む人たちのことです。

朝廷が呼んでいた名称ですから、呼ばれた当事者がなんと

自らをよんでいたのかわかりません。

大陸と地続きの時代に縄文人が今の日本に住んでいて、

その後、弥生人が大陸からやってきて支配地域を広げ、

北上していったために北方に駆逐された。

それが蝦夷であり、同時にアイヌ人だ。

というのが、一般的なわかりやすい解釈でした。

戦後には、考古学上の研究がすすむにつれて、

そんなに単純な図式ではないことがわかってきました。

いまでは、朝廷が「蝦夷」と称していた人たち、あるいは民族は、

「和人」に含まれるのか、「異民族」なのか。

も研究されました。

弥生時代になって稲作が現在の東北地方に伝わっても、

稲作の痕跡は一時的であり、縄文的な狩猟で生活していた

ことが分かっています。

蝦夷征討で有名なのは「坂上田村麻呂」です。

当時、蝦夷との境界線が、いまの新潟県中部から福島県北部にかけての線

(大雑把で恐縮です)となっていました。

789年紀古佐美の率いる朝廷軍が、蝦夷軍に大敗し、

797年桓武天皇より征夷大将軍に任ぜられた田村麻呂は

3万5千人の大群で征討にむかい、アテルイ(族長)とモレを降伏させた。

京都へ連行し、田村麻呂はアテルイとモレの助命を嘆願するが、

公家たちの強硬な意見により、殺害されました。

これ以降支配地域は、徐々に北上して広がっていきますが、

北海道でアイヌは独自の文化をはぐくむのです。

北海道にて、アイヌ人の文化や風習が隆盛を迎えるのは

13世紀以降のことであり、それに至る間には、

縄文時代にはじまり弥生時代、続縄文文化、擦文文化、

オホーツク文化、和人からの文化などの影響をうけ、

あるいは混血していきました。

縄文人をルーツとする蝦夷と呼ばれた人たちがアイヌ文化を

確立されたとみるべきでしょう。

南側からだけでなく、北方からも影響を受けているのです。

江戸時代は、幕府が松前藩を設置して、アイヌとの交易に

従事させます。

江戸期までは、アイヌの独自の文化が続いていきます。

アイヌ人は国家を形成していたわけではなく、大きくは

樺太アイヌ 千島アイヌ 北海道アイヌ 東北アイヌ

に分かれていました。

この博物館で、アイヌ文化は独特の文化であることがよくわかりました。

明治以降は、入植がはじまり徐々にアイヌは少数派となり、

本州人との同化がすすんでいきますが、

その過程で差別の対象にもなっていきます。

蝦夷の流れをくみ、和人や北方民族の影響を受けて、

北海道にて独特の文化を発展させたアイヌ人に

興味は尽きません。

一夜漬けの知識ゆえ、表現や説明が不十分で、かつ正確でない

ことをお含みください。

写真は、アイヌの住居「チセ」

秋葉建設株式会社 http://www.woody-akiba.com

一般社団法人 千葉県古民家再生協会 http://www.chiba-kominka.com/