52歳の若さで急逝した“喜劇王”三波伸介を継いだ一人息子の2代目 | koutarouのブログ

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<三波伸介さん>

 昭和を代表するお笑いグループの「てんぷくトリオ」。伊東四朗、故戸塚睦夫、そして、“喜劇王”と呼ばれ、超人気者だった三波伸介の3人が巻き起こす笑いは、まさに「びっくりしたなぁ、もう!」だった。しかし、82年、三波さんが52歳の若さで急逝。09年、一人息子の三波伸一さんが名前を継ぎ、二代目三波伸介になった。今どうしているのか。

「めでたそうな顔してるせいか、オヤジの遺産で悠々暮らしてんだろう、なんてよくいわれるんです。確かに長者番付の常連だったオヤジは2時間スペシャル1本のギャラが2000万円。テレビだけなら石原裕次郎さんや美空ひばりさんを抜いて日本一だった。新宿にあった敷地90坪、14SLDKの家に住んでましたからね。でも、オヤジは酒も飲めないのに、ぜ~んぶ周りにバラまいて、死んだときは遺産どころじゃなかった。アタシは今、中野の6畳一間にカミさんと質素に暮らしてます。ホント、苦労が続いたおかげで、こんなにハゲ上がっちゃった、ハハハ」
 東京駅に近いホテルの喫茶室で会った2代目、こういってツルツル頭を撫でた。頭以外は初代とうり二つの声と顔だ。
「今ね、このハゲ頭、右手で触れば恋愛運、左手なら金運がアップするって巷じゃ大評判なんです。マジな話、行く先々で、触らせて! って長蛇の列でして。本業もそのくらい引っ張りだこになればいいですけどねぇ」
 本業とは98年から活動し、座長を務めているコメディー劇団「萬天舘」。
「弟子が6人いて、ボクが書いたコメディーミュージカルを公演したり、あと、『三波伸介一座』として企業や行政のパーティーに呼ばれたり。ただ、最近はお笑いの系統も変わって、“喜劇”って言葉さえ使われない。やっかいな時代になったもんです」
 イベントや結婚式の司会はお手のもの。また、相撲通でも知られる。

 さて、日大芸術学部美術学科油絵科卒の2代目は、18歳から21歳まで石坂浩二ミュージカルエンタープライズの演出コースに在籍し、ドラマや舞台に出演する一方、ラテン歌手としても活動していた。
「お笑い一本で食っていくのは大変で、20代後半の4年間、水商売にどっぷりつかりましてね。これが存外うまくいき、芸人を辞めようか、と本気で悩んだ時期もありました。けど、夢半ばで死んだオヤジを思うと、辞めるわけにはいかなかった。棺の中のオヤジの目頭に光ってた涙が、目に焼き付いて忘れられないんです。な~んて、この風貌に人情話は似合わないか、ハハハ」
 09年、「二代目三波伸介」を襲名した。
「襲名後もボク自身の生活は何も変わっちゃいない。周りの人が名前を呼びやすくなっただけでしょう。これからの目標?ウ~ン、劇場から出た“小屋系”のコメディアンは多分、自分らが最後の世代だと思うんです。で、これからも昔ながらの“喜劇”を引き継ぎ、大ゲサかも知れないけど、新しい“東京喜劇”を目指せたらなって思ってます。それに絵や書が得意だったオヤジが残した作品を展示する展覧会や移動記念館をやれたら、なんて考えてるんですよ」
 2代目監修の三波伸介画・書集「夢の途中」(イーステージ出版刊)が発売中だ。

(日刊ゲンダイ2012年6月4日掲載)
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