2005年4月。


アルファーズに5人の選手が加わった。


佐藤濯(仙台高校⇒日本体育大学)

橘佳宏(鹿沼東高校⇒日本体育大学)

熊谷渡(八千代高校⇒拓殖大学)

月野功大(小林高校⇒大東文化大学)

荒井尚光(宇都宮学園⇒白鴎大学)


いずれも名の通った名選手ばかり。いい補強が出来た。


これだけ一気に入部すれば、また選手の登録争いも激しくなる。


しかし、この選手登録で初年度に失敗をしているので、今回は、全員を横一線に

並べ、登録期限ぎりぎりの5月末まで競わせることにした。





そんななか、悩んでいる選手が2人いた。


「安斉竜三」と「佐藤博紀」だ。




アルファーズのモットーは「文武両道」。


これは絵に書いた餅ではなく、本当にハードなことだ。


仕事を「8時」まで行い、それから練習会場に着くのが「9時」。


選手もわかってはいるものの、練習時間の確保が難しく、大学時代よりも

体力の低下、技術の衰えを感じていた。





そんな状況で誕生したのが「bjリーグ」。


日本発の「プロリーグ」だ。


この2人にbjから声がかかった。


まだスタートもしていないリーグに対する不安と、バスケに専念したいという

葛藤があった。


2人とは、何回も話をした。


もちろんGMとしては、抜けられてしまうと大きな戦力ダウンになるので引き止めたい。


しかし一方で、個人としては、「プロバスケ」へチャレンジすることを応援したい。


なので、私は「無理強いは絶対にしない」、「本人にジャッジさせる」ことを基本に

何回も話し合った。




そして彼らが下した結論は「プロバスケ」だった。




安斉竜三 埼玉ブロンコス


佐藤博紀 大分ヒートデビルス




ドラフトの結果がニュースに流れ、それを見ていて「嬉しい」やら「悲しい」やら。


娘を嫁に出す、父親の心境に近いかもしれない。




そしてもう一人、規定外ではあったが、「清水太志郎」もbjへと巣立っていった。




残ったメンバーと、また1からチーム作りを始めなければならなかった。