山口県身体障害者アーチェリー協会 | こうせいのブログ

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車いすバスケとアーチェリー、日々の出来事書いていきます。



今日は、県身障協会の創立のお話と 私がアーチェリーに復帰した訳を書いてみます。

1999年4月、県内各地(県協会各支部所属)で活躍していた身障アーチャーが 徳山支部の事務局をされてたY本さんの呼びかけで集まり 設立しました。(その時いきなり副会長に任命されました)

21歳の時(だいぶ昔の事です)に参加した 「全国身体障害者スポーツ三重大会」で 1点差で優勝出来なかったのがあまりにも悔しくて 車椅子バスケの方にのめりこみ、アーチェリーは中・高生の指導と審判のお手伝いをするだけで、選手としての競技参加からは遠ざかっていました。

私が、副会長に任命された訳は 「中・四国身障者大会」を山口県が引き受けることが決まって、車椅子バスケで各大会の事務局をしていたので、段取り等出きるだろうからひとつ引き受けて欲しいとの事でした。

しかし、「裏方だけでは面白くないので選手としても出ます。」と言い切ったので 新しく弓具1式揃えました。これが、復帰の理由です。

2000年 「第22回中・四国身体障害者アーチェリー大会」(岡山県日生町)が 復帰して最初の試合です。

自分の成績は、良くなかったのですが団体優勝メンバー(3名)の1員に入ることが出来ました。

2002年 「第24回中・四国身障AC大会」山口県(長浦海浜スクエア)引き受け。前日のレセプションから大会まで天気にも恵まれ また多くの方のご協力・ご支援で無事終了することが出来ました。

私も 個人2位、山口県団体優勝と最高の結果を残せた大会でした。

この年は、第2回全国障害者スポーツ大会「よさこいピック高知」に山口県選手団の1員として参加し、念願の金メダルを取ることが出来ました。

2004年 JAPANのジャンバーを着て 韓国の大会に参加することが出来ました。



写真は 参加記念に頂いたポロシャツです。サイズがXXLなので大きすぎて着てません。胸の文字は 「全国洋弓選手権大会」と書いてあると思うのですが。わかる方教えてください。


2007年 今度は監督として「秋田わか杉大会」に参加させてもらいました。



この帽子は、選手についてくれたボランティアの娘(秋田美人でした)がかぶっていたのを、山口のと交換してもらいました。そうです、日曜日にきらりんぴっくの試合中にかぶっていた分です。


前半のミスを帳消しにして頑張らせてくれたのは 彼女のお蔭かな・・・・・・・??!!