美味しんぼ 111 (ビッグコミックス) | |
雁屋哲・花咲アキラ | |
小学館 |
雁屋哲さん原作・花咲アキラさん作画の『美味しんぼ』第111巻「福島の真実2」を読みました!
週刊スピリッツ連載の『美味しんぼ』ですが、すでに111巻になりました。連載開始は1983年ですから、すでに32年目になっているわけですね。最初はグルメマンガと言う感じでしたが、「食の本質に迫る」という方向性から「調理の技術」「調理方法の意味」と言ったことだけでなく、「本物を用いた味」「常識を超えた栽培方法」などが取り上げられて大変面白く、またそれは「問題のある食品の告発」の方向へも行って「ドライビールの不可解さ」を告発したりする作品もあったりしました。また当初から環境保護団体による「捕鯨禁止の押し付け」やアメリカ政府からの「米の輸入の押しつけ」には強く反対意見を描いてきていましたし、長い歴史の食をめぐる紆余曲折が描かれていて、わたしも食品を選んだり新しい食材を知ったり食の歴史を知って認識を新たにしたりするのにすごく役立たせてもらってきました。最近では、福島第一原発の事故をめぐる様々な取材とその表現によって賛否両論の(否の方が多いですが)反響を呼んでいますが、わたしは全巻持っていて、今回の問題もその流れの方からも見えて来るものがあるように思います。
一方ではこの作品は父の陶芸家にして美食家、『美食倶楽部』を主催する食の大物である貝原雄山に敵愾心を燃やす息子・新聞記者の山岡士郎の「父を乗り越える」ストーリーとして描かれている面もあったわけですが、山岡が職場の同僚・栗田ゆう子と結婚するあたりからこじれにこじれた関係の「父と子の和解」というテーマも出てきていました。
この「福島の真実」編ではその食の本質をめぐる問題、特に放射能で汚染された福島の土地での農業の問題と、父子の和解がついに成ると言う展開のなかで、「大団円近し」を感じさせるものがありました。
長年「美味しんぼ」を読んできた立場としては、その「福島の放射能」に対する慎重な、というよりかなり明確に低線量被曝の危険性を訴える内容に対する批判・反発だけでこの作品や作者の雁屋さんが語られるのは、ちょっと残念な気がしています。
雁屋さんの考えというのは、「食の本義」は「身を養うもの」であり、従って「身に害を及ぼす危険性のある食品」は食べるべきではないし、身に害を及ぼす可能性のある環境に住むべきではない、という考えなわけで、明確に「福島の復興は土地の復興ではなく、福島の人間の復興であり、危険のある可能性のある土地から逃げ出す勇気を持ってほしい」という考えを述べているわけです。もちろんその考えに対しては賛否両論があるのは当然なのですが、特に「福島の土地の復興」を悲願とする人たち、また経済的な理由、ないしは科学技術的な理由、あるいはエネルギー問題解決の立場から、あるいは国の政策の誤りを認めたくないという立場、ないしは「失われてしまう土地」に対する補償は避けたいと考える立場などから、強い批判が出ているのが現状だと思います。
どちらが正しいか、ということはわかりません。というのは、低線量被曝の害、というのは結局はあまりよくわかっていないからです。疫学的(つまり統計的にということです)に、甲状腺癌の発生率が高くなっているということは事実のようですが、低線量被曝が身体に害をもたらすメカニズムについて解明されているわけではない。この作品の中で特に問題になった描写、111巻240ページの山岡が鼻血を出す描写がありますが、福島在住の多くの人々は「そんなことは起こったことはない」と言っていますし、作中にも出てくる双葉町前町長の井戸川氏のように頻繁に起こっているという人もいます。鼻血が出るメカニズムとして作中に説明されているOHラジカル・水素ラジカルによるものという説明も、わたしにはよく理解出来ないのですが、その他の説明も巻末に収録されています。それもあまりよくわからないのですが。
ただ、それらのことについて「影響が大きいのだから自分の意見を描くべきではない」という考えについてはわたしはあまり賛成出来ません。まあ実際微妙な問題ですし、意見の闘わせ合いがそのまま死活問題、ないしは「たましいの問題」に直結するという人は多いですから、つい語調が強くなるのもやむを得ないかなとは思います。
結局、どちらにしても、何が真実であるかよりも、何が「真実」であった方が自分に都合が良いか、ということで動く人が多すぎる、ということは残念ながら事実だと思いますし、放射線被曝の問題にしても歴史的事実の問題にしても「本当はわからないこともある」というどんな場合にでも適用出来る真実に、いずれの立場に立つにしてももう少し謙虚であった方がいいと思うのです。
そういうわけで何というかこの111巻は「食の知識の広がる楽しい蘊蓄マンガ」では全然なくなってしまってそれはまあちょっと残念なのですけれども、「福島に住み続ける」という考えの人たちも、「福島を離れる」という選択をした人たちも、チェルノブイリを経験したロシア・ウクライナとの違い(福島には公的な詳細な汚染地図が作られていないのだそうです。それはちょっと驚きました。)などについても描かれていて、いわれているほど一方的な内容ではないように思いましたし、ここで提起されている問題の中にも立場を超えて検討される価値がある内容はあるのではないかと思いました。
(説得力のある意見といわゆるトンデモの線をどこに引くか、ということについてはかなりセンスの問題もあると思いますし、その線の引き方についてはとりあえず自己責任で考えるしかない、と言う難しさは、やはりあるなあといつも思うのですが。)
福島原発事故を扱ったマンガ作品としてはモーニング連載中の竜田一人さんの『いちえふ』がやはり出色の出来だと思いますが、「市民としての立場」で原発事故とその語の問題を描いた作品としては、この『美味しんぼ』はその限界の中ではよく描けていると思います。というか、残念ながら原発推進の立場から描かれたマンガ作品はまだ読んだことがない、ということもあるのですけどね。
今回は少し固い内容になってしまいましたが、マンガというものが日本の現在を描き出す方法として有効であり、強い影響力を持つことはある意味危険ではありながらも、(小林よしのりさんの『脱正義論』『戦争論』なども非常に賛否両論ありましたね)そんなメディアがあるということ自体が日本の現在の特徴でもあると思いますし、さらにマンガというものを読んで行くことの意味を、普段とは角度は違いますが、感じた作品だったと思います。
・・・・・・ホント固くなってしまいましたね。^^;;お付き合いいただき、ありがとうございました。