『ARiA』5月号で山中ヒコさんの『死にたがりと雲雀』第4回を読みました!


新しい作品、新しい作家さんを知る一番手軽な手段は、雑誌を読むことでしょうか。同じ雑誌を読んでいると目当ての作品でなくてもいつも何となく読む作品というのが出てきて、いつの間にかそっちの方がメインになったりしていることもよくありますね。


でもなかなかいままで読んでなかった雑誌に手を出すのはちょっと勇気が要ります。私が『ARiA』を購読するようになったのも『進撃の巨人 悔いなき選択』が連載されているから、というはっきりした動機があったわけですが、せっかく雑誌を買っているので、その中でいい作品がないかと思っていくつか読んでみているわけです。


その中で印象に残った作品の一つが、この『死にたがりと雲雀』でした。


もともとは6月号に載った第5回の方を読んだのですが、もっと前の回を読もうとバックナンバーを探してみたら、この5月号はあったのですがそれ以前のものはもう処分してあったのです。でもこの5月号の第4回が、とてもよかったので今日はその感想を書くことにしました。


長屋で暮らし、寺子屋に通う少女・雲雀は、父の辰五郎が押し込み強盗を働いたことを知り、その罪を寺子屋の師匠・朽木に押し付けようとしたのですが、同心の細目に見破られ、辰五郎は遠島になってしまいました。一人になった雲雀は引き取り手もなく、迷惑をかけた相手だと理解しながらも、朽木に引き取られることになったのでした。


そこまでが第4回の「これまでのお話」に書かれていたことです。


引き取られてから雲雀はせっせと働きます。寺子屋の机を拭き、ご飯を炊き、みそ汁を作る。梅の枝を生け、廊下を雑巾がけする。朽木はいちいち雲雀を褒め、雲雀はうるさそうな口を聞きます。


ある日朽木は、寺子屋の生徒四人(小鉄・大介・竜二・雲雀)の前でいろは歌を書き、「この歌の文字を覚えるとこの世の言葉のすべてを書くことが出来るぞ」と言います。「うそだ!」という子どもたちに、子どもたちの名前すべてがこの歌にあるということを確かめさせ、子どもたちをびっくりさせます。そしていろは歌の読み書きから手習いをはじめるのでした。


雲雀はいろは歌にすべての言葉が入っていることを改めて確かめて、「おいらこんな不思議なこと、初めてだよ…こんな不思議なことがあんなら、お化けや天狗もいるんじゃねえかって思うよ」と言います。このあたりの感動というもの、凄く純粋でいいなあと思いました。自分が文字を覚えた時、あいうえおの五十音ですから合理的で、そんな感動をした覚えはないのですが、いろは歌から教わったら、あるいは明治以前の子どもたちはみな、そんな感動をしたのかもしれないと思いました。


まず自分の名前を練習した子どもたちに、朽木は「好きなものを書こう」と言います。子どもたちはてんでに「うなとと」とか「うみ」とか「だんご」と書きますが、雲雀は「たつごろう つる(両親の名前)」と書き、竜二はみなに内緒でこそこそと「ひばり」と書いたのでした。この辺は泣かせますね。


長屋の安兵衛さんが寺子屋を訪ねてきたとき、雲雀のひび割れだらけの手をみて朽木に抗議しようとしますが、自分はやりたくてやってるんだ、といいます。父ちゃんを喜ばせたくて裁縫を覚えたり、布団を干したり花を生けたりしても全然気がついてくれなかったのだけど、でもそれは母ちゃんが死んでしまって何をするにも億劫そうだったから仕方ないんだ、と言います。でもここじゃ先生が俺が何かすると大仰に喜んでくれる、と。


「父ちゃんが帰ってきたら花を飾ってやろ、お稲荷さん食べさせたげよ、あったけえ布団に寝かせてやって針が使えるようになったって話もして、そんなたくさんのあれもしようこれもしようが、糸が切れた凧みてえに宙に浮かんでる気がしたよ」


そういう雲雀の話を聞いて、安兵衛さんは「辰五郎は大馬鹿だ!」と言って体を振るわせます。このあたりは本当にいじらしくて、いいなあと思いました。


あるとき朽木と竜二が大八車にひかれそうになり、雲雀が慌ててすっ飛んで行ったことがありました。雲雀を撫でてくれる朽木の手を、無くしたらどうしよう、と思ったのでした。


そしてその夜、朽木は「好きなもの」を手習いした紙が張り出されているのを改めて見ます。そこには「たつごろう つる せんせい」と書かれていました。


先生に迷惑はかけない、と一生懸命健気に働いていた雲雀ですが、先生にほめてもらって糸の切れた凧

みたいな自分の気持ちが居場所を見つけたということに気がついたのでしょう。子どもの行為にはときどき反則だと思わされるくらい泣かされることがありますが、この話もとてもよくできた話だなあと思ったのでした。