【悪人正機】ニルヴァーナ(涅槃)への旅13【闡提成仏】 | 光明の生活

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実相無漏の大海に、五塵六欲の風は吹かねども、隨縁真如の波の立たぬ日は無し。まあそんな感じです。


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前回は阿闍世がブッダの所へ向かう事になった所まででした。



さて、場面戻ってここは沙羅双樹の下、ブッダの所です。 周りでお見舞いに来ていた迦葉菩薩はちょっと不満でした。


迦葉菩薩はこう思っていました。



「なんで阿闍世ばっかり特別扱い?」


「総代の子だからかねぇ。」(注1)



ブッダはその迦葉菩薩の気持ちを察して、こう言われました。



「阿闍世とは、すべてのロクデナシ、親不孝者、欲深き者、救いようの無い者の代表者である。



私は前に霊鷲山で『法華経』を説いた時に、すべての生き物がブッダとなれるよう、苦しみなく幸せな身になって欲しいといつも思っていると言った。


今回も同様である。私は総ての生き物、仏弟子を自分の一人息子であるラーフラと同様に大切に思っている。



この現世の体が終わったとしても、すべての者が救われない限り、私はニルヴァーナ(涅槃)に入らないであろう。」と。(注2)



本年のニルヴァーナのお話は以上です。続きは来年です。


来月はオセロの中島さんのように、占いに迷った王さまの話です。



―今回の以下の注は読み飛ばして構いませんー


(注1) 阿闍世の父であるビンビサーラ王は祇園精舎と並び称されるような竹林精舎という御寺を立ててブッダに寄付している。


(注2)『法華』「寿量品」に曰く。


「毎自作是念 以何令衆生 得入無上道 速成就佛身 」文 云々。


この句の内にまた、本門寿量品の肝心・本地難思境智冥合・久遠元初・自受用報身如来のご当体あるべし。


『観心本尊抄』に曰く。


「我が如く等くして異なる事無し、我が昔の所願の如き今は已に満足しぬ。一切衆生を化して皆仏道に入らしむ、と。妙覚の釈尊は我等が血肉なり、因果の功徳は骨髄に非ずや。 」文 云々。


私に曰く、『新約聖書』「ルカの福音書」15章の「放蕩息子のたとえ話」に曰く、云々。


(注3)本年の常楽会涅槃経講説は以上。これで四座講式やった事にする。


しかし、これいつになったら終わるのか私にも見当つかん。まあ、『涅槃経』の説く所が仏身常住だから、久遠にやってるのも経説の意に叶うかと云々。



この記事を読んで頂き、有り難うございます。

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