「マトリックス」 | 書道教室 墨屋好文堂

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初めて買ったDVDがこれです。当時まだVHSが主流だったのでビデオテープの方も買いました。それほどに衝撃を受けた映画であり、その世界観、思想、哲学に共感したのを憶えています。


主演のキアヌ・リーブスがかつて映画「リトル・ブッダ」で釈迦の役を演じたり、キアヌ自身も仏教徒であることは偶然ではないでしょう。


そもそもこの映画はサイバーパンク、ジャパ二メーション、カンフー、といった4番バッターの三大要素で成り立っている。いわゆるポップカルチャーのサンプリングであるといわれています。また、3つの要素でいうなら物語の軸となる、「悟り」「信」「愛」。モーフィアスはネオを何よりも信じ、トリニティーは何よりもネオを愛している。そしてネオは悟りに至る。ここに「三位一体」が見出せます。(トリニティ(Trinity)は、キリスト教における三位一体を意味する)


というように、いろんな資料から抜粋してまとめてみました。


登場人物の名前や街の名前にも意味があり、”モーフィアス”は、ギリシャ神話の眠りの神ヒュプノスの息子であり、夢を司り、睡眠に入った人間に2つの門のどちらかを選ばせる神の名、”パーセフォニー”は同じくギリシャ神話の冥府の王ハデスの妻の名前で、彼女が実はハデスにさらわれて妻にさせられたというエピソードがある。”ザイオン”という街の名は、旧約聖書でダビデ王が宮殿を建てた丘の名から取られたもの。

といったように、現代における神話の再構築をこの映画では試みているともいえる


主人公ネオは日頃、「この社会、この世界はどこかおかしい」という疑問をもっていた。そしてある日、モーフィアスに出会い、「現実という名の夢」から目覚めさせられる。彼は、自分の見るもの聞くもの感じるものすべてが、実は現実ではなく、単なる脳内の電気信号、まやかしのインプットにすぎないことを知る。生まれてこの方言い聞かされてきた世界が、実は絶対的なものではなく、しかも架空のものに過ぎなかったと知るのだ。
こうしたことは仏教では2000年以上前から問われてきたことであります。

まさに無眼耳鼻舌身意、無色声香味触法。般若心経の教え。
「無眼耳鼻舌身意(むげんにびぜつしんい)」・・・眼も耳も鼻も舌も身体も心もない。
「無色声香味触法(むしきしょうみそくほう)」・・・形も声も香りも味わいも触覚も心の作用もない。

「眼」が認識するものは「色」→「眼識界」
「耳」が認識するものは「声」→「耳識界」
「鼻」が認識するものは「香」→「鼻識界」
「舌」が認識するものは「味」→「舌識界」
「身」が認識するものは「触」→「身識界」
「意」が認識するものは「法」→「意識界」

となります。

これらが言わんとしていることは、6つの感覚器官は、迷いや妄想を引き起こす原因となる。それらを認識することによってそこで初めて不満、ひがみ、嫉妬、憤慨、などなどのネガティブな感情が生まれてくる。日々の生活の中で人間は色を感じ、声を感じ、香りを感じ、味を感じ、暑さ寒さを感じ、楽しい悲しいを感じます。しかし、それらを無くすのではなく、とらわれすぎることなく日々を過ごすことができれば、平穏無事な毎日を送ることができると「般若心経」のこの部分はそんなことを説いています。


目に見える現実はかりそめの世界」であるという発想はおよそ世界の宗教全般に共有されるものであり、私たちが今正しいと感じている世界もまた作り物であることを否めない。社会に溢れている、言葉、思想、文化、歴史、地位、システム、アイドル、ファッション、通貨・単位、流行、常識、人生モデル等の既成概念や価値観のどれをとっても、確固とした実態があるわけでもなく、ただ洗脳され、押しつけられるままに我々はそのなかで生きている。世の中は実は驚くほどバカげた決めつけや思いこみ、巧妙な嘘で動いている

私たちは過去の教育により、社会のシステムを「善」として刷り込まれてきました。
そのような情報を受けつづけると、その情報を疑い、思考することが出来なくなります。テレビがいい例です。

テレビで放送されている番組やニュースを当たり前と思ったり、常識と思ってしまいます。実際その中には嘘(やらせ)もあるし、多くは欲望を駆り立てる内容の放送がされている。それを見ると欲求不満が無意識の中に貯まってしまい翌朝の目覚めは良くない。

というように知らず知らずのうちに潜在意識にインプリント(刷り込み)されてしまっています。

真実は、「この世は何か変だな」と感じる感性のある人にしか伝わらず、この社会のシステムに洗脳されると、深く思考することを止めてしまいます。また、真実を知る準備は、病気や不幸による挫折(時期)をしないと気づかないこともあるようです。
そんなこともあり釈迦やキリストでさえ、覚りの教えは難しすぎると考えて教え書きを残すことをしていない。(今に伝わるものは全て弟子たちによるもの)

マトリックス1の映画で、私たちは仮想現実に住んでいて、コンピューターに操られています。
子供の時にコードを繋げられるとその仮想現実の世界で生活し、熱を発生します。
その生命エネルギーがコンピューターにとって必要なのです。
私たちは感覚器官から伝わってきた情報を真実と信じ、仮想現実の中で何でも出来るとは信じていません。


プラトンの哲学に「人間とは洞窟内に鎖につながれ、手の込んだ人形芝居の影絵を見ている囚人」との喩えがある。
囚人たちは人形そのものを見ることが出来ないため、影絵のほうを本物だと思い込んでいる。
ある人が洞窟の外に出て戻ってきた。彼は元の友人たちに言う。
「真実の世界は、光り輝く世界だ!」
だが洞窟の中では誰もその言葉を信じない・・・。

赤いカプセルを飲む前のネオは、マトリックスが影絵であると見抜けないでいた。
映画のラストで、実はすべての物質は流れていく緑色のコードであり、AIに制御された超高度な人形芝居であると暗示している。

そしてエンディングに鳴り響くのは、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンの”ウェイク・アップ”、”覚醒”である。

ついでに、「かいじゅうたちのいるところ」 で紹介した、アーケイド・ファイアの”ウェイク・アップ”も。