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は~。。気付けばブログが1週間も放置ですた。。
生きております相変わらず、周りから見たら元気なおばちゃんでございます
本人は、けっこう疲れてるって思ってるんだけど、いろいろと目にとまっちゃうもんでさじっとしてらんないのおおお。
ところで、そろそろアメリカのながい夏休みは終わりに近づきました。。
新学期に向けてタロ~とジロ~の文房具なんかそろえなきゃね。。
学校用の新しいキャリーバックを選びに行ったり大忙し
学校が近づいてきたのでめっきり落ち込み気味なタロ~とジロ~。
元気ださせなきゃと、ママは声を掛けますっ!
「タロ~。次は2年生だね!楽しみだね~」んなわけないだろうが。ぶっ!
「ジロ~。次の先生は優しい先生だとイイネ~。」ほんと、優しい先生になりますように。。去年の先生は怖かったもんね~。
日本育ちのママから見たら、二人の学校生活はね、ほんと過酷にみえるのよね
いえね、おやつタイムもあるし、机に肘つこうが自由だし楽といえば楽なんだけどね。。
その部分ではなく、人との関わり方などの教育が根本的に違うんだな~って。
子ども達が成長して行くに連れて、アメリカが火で出来た教育ならば、日本は水で出来た教育かのように根本的な考え方から全く違う気がしてきた
ママがうけた教育とタロ~達がうける教育が違うから、自由の国アメリカって過酷に見える。。
自由ってほんと過酷ね。。
昼食時間ね、席が決まっているわけではないみたいで、自由に座る。
人気のある子の周りの席をみんながとりあう。
ジロ~はいつも仲良しお友達が作れず、席選びを必死にしているらしい。
「今は誰とランチで座ってるの?」って聞くと、いつも「レイン!優しいから好きなんだよ。」って答えてくれるけど、それはね、助手のおばちゃん先生のこと
「そっか!ミセスレインは優しいからいいよね!」っていってあげるんだけどね。
で、ママは助手の先生を見つけて食事をとっているジロ~がとっても可愛そうだなって思うんだけど、ジロ~は全く気にしていない
先生達にもそれが可愛そうだとか恥ずかしいという感覚では見ていない。
友達をうまく作れないことも本人の責任で、一人でいることもその子が選べる自由と意見の一つとみなしているみたいなの!驚き。。
うちの大きなおじちゃんに相談すると「ん?自分で座りたい人をみつけてるんだから何も問題はないよ。無理して他の人と座る必要はないし、座りたければ自分で言いにいけばいいことだ。」との返事。
なるほど。。自由とはママがうけた教育からしたら助けが無い過酷なことにみえる
日本だとさ、「あの子は一人だわ。」って先生が気付き、「みんなで座りましょう。さあ、あなたはこのグループです!ひとりぼっちを出すことは可愛そうなことです。」って感じでしょ?
そんなことしてもらえないのよ。
先生が子ども達をグループとしてみてないの。個人一人一人としてみてるから、仲間に入れてあげなさいという感覚はない。
一人一人がそこに集まっているという見方。
ついでに、仲間に入れてもらえないことが大変だという教育はないので、本人も集団を作れていない混じれていないと思ってない。次は、どうやってランチを食べる相手をみつけようかな?っていつも思っているだけなの。
モンスターズユニバーシティーの映画の中にも、幼いモンスターが遠足で一緒に組むパートナーを見つけられない場面があるけど、ほんとあれって普通にこちらではあるのよ!
あの映画でも先生はそれに対して他の子どもをあてがうわけではなく、自分が組んであげていたわよね。
それも本人の努力の上にあった結果だとしたら、間違いではないという自由。。
その結果がいやなら、自分の努力で自分を変えるべきなのである。
そう!だからジロ~は一人でいる自由はもうしっかり教育され、一人が嫌だから、頑張ろうと今努力中
あいたたた。。真っ先に、ひとりぼっちでいる自由を学んでることにうける。ぶっ。
さて、その上の歳のタロ~になると、教育はまた一段階上がり。
自分の意見を出す教育がどんどん加速していくの
それは断る自由や選ぶ自由もともにくっついてくるので、ママはもっとオドオドする
例えばね、この前聞いたのは、タロ~とお友達になりたいってクラスの男の子が言ってきたんですって。
で、タロ~はその子は意地悪だから、親指を立てて下に向け、「それは嫌だ、バットなこと。」の意思表示をしたらしい
ママはそれを聞いて、「そんなことしちゃダメよ。せっかく友達になろうって言われたのに!」っていったんだけど、それはこちらではママの意見が間違ってたようでした。。
タロ~の話しだと先生がきてタロ~に「どうして嫌なの?」って聞いたんですって。
「お友達に意地悪なことを言っているのをよく見るから、友達になりたくない。」とタロ~。
そしたね、先生は普通に「OK!」って言って、お友達の方に「タロ~がどんな人と友達になりたいのか聞いてみたら?」って言って終わったんですって。
最終的にどうなったかというと、「意地悪しないようにする。」って友達は言ってくれたけど、それでも嫌だったから嫌だっていったら「じゃあお友達になってくれるときは教えてね。」って。。。
なんか普通に終わっていく会話に驚く。。
すごくない?
嫌だと言ってよい自由ってすごい。。
でもそれは逆に言えば、嫌だと言われる側にもなるわけで、ひとりぼっちになっちゃうという自由もついてくる可能性もある
でも、それもそれで一人ぼっちはOKって教育がされる。だから気にしない!それもOK!
このことがあったあとね、ちょっと考え込んだわ。
タロ~は体格が小さいほう。そのお友達はものすごく大きな南アメリカ出身の男の子。
やっぱり、こちらの世界では、ママはこの自由ってありがたいって思った。
弱い子だったらさ、意地悪な強い子と遊ばなきゃいけないといじめられるじゃん!
休憩時間は心も休憩したいから、辛い思いはしたくない!あのこと遊ばないっ!と言える自由と、それが普通だという環境が学校に無いときついわよねって思ったわ。
子どもの学校生活が長くなってくると、今まで全然見えてこなかった教育の違いと社会の違いがヒシヒシとくるね。。
大人になれば火の教育で育とうと水の教育で育とうと、お互い普通に接することができるのでちょっとの文化の違いとしてしか見えないけれど、こんなにも違う価値観で育っているのかとびっくりだな。
日本から他の国に留学をしていく子ども達って、たぶんねみんなが思っている以上に、いろんな思いをしてると思うよ。
ママは大人になってから来たから、全然わからなかったけどね、うちの子達の教育見たらね、日本の教育をうけて途中まで育った子が突然やってきてお友達に気を遣って一生懸命しても評価されなかったり、マイナスされたりすることあるだろうなって。。
逆に、他の国から日本の学校に途中から転校した子は、わがままと見なされてしまったり、相手のことを思いやれないと評価されたりするだろうなって。
でもそれってね、それぞれの国で社会の成り立ちにあった行動を学校が教えてきたってことなのよね。
だから、ほんとどちらも間違いではないと思うわ~。
さ、週末は新学期の文房具全部そろえてこよっと!
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