『君を乗せる舟』〈髪結い伊佐次捕物余話6〉 | 手当たり次第の本棚

『君を乗せる舟』〈髪結い伊佐次捕物余話6〉


本シリーズの転換点はこの巻あたりかなあ、と思う。
もともと、シリーズタイトルにもあるとおり、伊佐次が主人公であったはずだが、ここから、不破の息子、龍之介あらため龍之進が二番目の主人公として台頭してくるからだ。

捕物として、岡っ引きではない伊佐次のみで展開する事に限界があったのだろうか?
いや、そうとは思えない。
この物語は、着実に物語内の時間を進めている。
人が成長し、あるいは老いていくところもまた、面白味のひとつとなっている。
となれば、不破の息子が元服をむかえる事は必至であるし、そうなれば、当然のこととして、奉行所に見習いとして出仕する。

伊佐次やお文の目を通して見ていた捕物の世界を、今度は同心の立場から見る事で、世界観を深める事ができるわけだし、見習いの同心の立場というのも、なかなかに新鮮だ。
そして、どんな世界の物語であっても、十代前半の性根が、大人の世界へ入り、一人前に成長していくプロセスは共感もわくし、面白いものだ。

しかし、その分、伊佐次の活躍が削られるわけでもあって、なかなか床を持てないまま日々努力もするし、挫折もする伊佐次の姿を追うことが一番の楽しみだと思っているファンもいるである事を思えば、ここは賛否両論かもしれない。

ところで、本巻の中では、冒頭の「妖刀」が異色でもあり、面白い一篇だ。
そう、妖刀といえば、それも江戸時代ならば、なんといっても、村正だ。
妖刀という評判があまりにも高く、非常に不気味なイメージがあるのだが、実際には、人の血を求めるとかそういうことではなく、「徳川家に仇をなす刀」というのがいわくのつき始めだ。
つまり、徳川家以外には全く害を為すはずはなかった(笑)。

であるにもかかわらず、鞘から抜かれたら人の血をみずにはすまない、というような妖刀の伝説がふくれあがったのはどうしてなのか。
まず第一に、村正が名刀であるというのがあげられるだろう。
そして、刀というのは古来神霊と関係が深いものだ。
しかも、日本の神霊は、西洋のような正邪に分割されておらず、ひとつお神霊に「にぎみたま」と「あらみたま」があり、言ってみれば、祟りもするが福も授けてくれる、そういう性格を持っている。
ゆえに、神霊と縁の深い刀が、ひとたび「忌まれる存在」とされた時、人を斬るための器物であるというマイナスの性格に、特別な力が付与されたのではないだろうか。

ここで描かれているのも、まさしく、そういう妖刀であるけれども、ちょっとオカルトな能力を持つ刀剣商、一風堂をまじえて、決しておどろおどろしいわけではないのに、背筋がぞっとする効果がうまく描かれている。
これも、卯さえマリの人物描写同様、決して派手でもドラマティックでもないが、「これならありそう」という、いや~な雰囲気が、なんともいえない。
作者は手前の巻のあとがきで、自分がホラー向きではないというような話をしているのだが、いやいやどうして。
「妖刀」は立派に、ホラーだ。
〈異形コレクション〉あたりに収録されても遜色のないものだと思う。


君を乗せる舟―髪結い伊三次捕物余話 (文春文庫)/宇江佐 真理
2008年1月10日初版