『ケルト幻想物語』 | 手当たり次第の本棚

『ケルト幻想物語』


これは先日紹介した『ケルト妖精物語』の対になるものだ。
というのは、イェイツによる原書2冊から妖精物語を抜き出したものが『ケルト妖精物語』であり、それ以外のものを収めたのが本書である、と編・訳を勤めた井村君江が記しているからだ。
従って、本書は、魔女や悪魔、聖人、あるいは巨人、幽霊といったようなものが主に扱われているが、それとて妖精とそれなりに縁が深いものもあり、やはりアイルランドは妖精の国なのだなあ、と思う。

さて、今回たまたま、『ドイツ怪異集』を先に再読していた事で、気付いた事が一つあった。
『ドイツ怪異集』では、妖精の国が死者と縁が深いという考察を述べており、その類例をいくつもあげていたのだが、なぜそうであるのかという理由については書いていなかった。

しかし、本書の方では、次のような見解が記されている。
まず、妖精というものが、天国にとどまるほど良くはないが(罪はあるが)、地獄へ落とされるほどではない者なのだと信じられているということ。
そして、天国へ行くほどの徳はないが、地獄へ落とされるほどでもない死者は、妖精に連れ去られる事がある、という話だ。
つまり、地獄へ落とされるほど悪いわけではないが天国へ入れてもらえる事のないものたちは、何によらず、地上をさまよう運命にある、とケルト・ゲルマンの人々は考えているのではないだろうか。

そういえば、アイルランドの妖精は、地上の人々と同じく、教会を持っている事もあるらしい。
ブルターニュ沿岸では、神の怒りをかった街が沈められてしまうけれど、アイルランドの沿岸では、そもそも水中に住んでいる人ならぬものたちが、自分自身の教会を持っているというパターンもあるのだ。
水中から聞こえる鐘の音も、いささかことなるおもむきがあるようだ。
彼らが、「地獄へ落ちるほどでもないものたち」である証拠のひとつともなるだろうか。


ケルト幻想物語 (ちくま文庫)/井村 君江
1987年8月25日初版