『妖魔夜行』 あるいは妖怪が求められる時代 | 手当たり次第の本棚

『妖魔夜行』 あるいは妖怪が求められる時代


ここ数年、乱立してきた感のあるPBW(Play By Web の頭文字。ブラウザさえあればできるタイプのゲーム)を見ていると、剣と魔法のファンタジイと同じくらい、現代を舞台にしたホラーアクション的な設定のものがあるように思う。

そういった世界の嚆矢となるのが、この『妖魔夜行』シリーズではないかと思うわけだ。
TRPGと同時展開したライトノベルだが、現代日本で、人間にいりまじり、妖怪たちが存在するという設定で、妖怪たちの間にネットワークがあったり、事件を引き起こして人間との共存を危うくさせるような妖怪に対処したり、そういう物語。
たとえば濡れ女のように、日本古来の妖怪もいれば、格闘ゲームの中に誕生したポリゴンベースの新しい妖怪も登場した。

ふと思うに、かつてアメリカでは植民者たちが「(植民者の)アメリカ独自の神話や英雄」を持たなかったがために、ヒロイックファンタジイのようなものが隆盛したと言われるように、あまりにも現代日本が一見不夜城のような明るさを保ちながら、その実鬱屈したものをどこかに抱えていて、それをうまく言い表す新しい妖怪が、求められていたのではなかろうか。

世界で一番怖いのは、人間(の心)だという。
しかし、人間そのものが怖いとするならば、まわりじゅうに人間がいる事はとても恐ろしい。恐ろしすぎる。
であればこそ、人間とか、人間社会を「恐ろしいもの」にする「なにか」がほしくなるのではないか。

たとえば、路上でいきなり無差別殺人が行われるのは、「通り魔」のせいなのだ……!

そういえば、「通り魔」は江戸時代の『耳嚢』に、幾つか語られていて、胆力とか心得がありさえすれば、通り魔にはとりつかれずにすむ。
そのような対処ができなかった者が、これにとりつかれて惨劇を起こすのだ、と説明されている。


妖魔夜行 幻の巻―シェアード・ワールド・ノベルズ (角川スニーカー文庫)/山本 弘