『世紀末サーカス』〈異形コレクション14〉 (前半) | 手当たり次第の本棚

『世紀末サーカス』〈異形コレクション14〉 (前半)

サーカスかあ。
サーカスって好きなんだ。
それも、できることなら、生で見るに限る。
テレビでもいいんだけれどもさ、臨場感はやっぱり大事だ。

ところで、サーカスというと、
「悪い子はサーカスにさらわれてしまうよ。酢を毎日飲まされて体を軟らかくされて、芸を仕込まれるんだよ」
という都市伝説を聞いた事はあるだろうか。
私が物心ついたかつかないかくらいの頃に、叔父から聞かされた(というか、おどかされた?)記憶があるけれども、今はなさそうだし、いつぐらいまで巷で囁かれたのだろう。

このフォークロアは別に日本独自のものではなく、欧米にもあるらしい。
こちらは、「ジプシーに」というヴァージョンもあるようだから、日本より古いかもね。

でもね、なんとなくわかる。
ジプシー、旅芸人、サーカス、これも今はほとんど見ないけど、チンドン屋。
珍しくて、面白くて、ついつい、追いかけていく。
いつのまにか、どこか知らない場所にいる。
今でこそ、迷子がそのまま行方不明になるなんてことはまずないだろうけれど……。

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芦辺宅……「天幕と銀幕の見える場所」
石だ一……「我は伝説」
太田忠司……「黒い天幕」
倉阪鬼一郎……「夢の中の宴」
草上仁……「頭ひとつ」
奥田哲也……「砂の獣」
山下定……「たまのり」
江坂遊……「マイサーカス」
藤田雅矢……「暖かなテント」

横田順彌……「曲馬団」
平山夢明……「Ωの聖餐」
高野史緒……「パリアッチョ」
斎藤肇……「アクロバット」
久美沙織……「フルベンド」
村田基……「猛獣使い」
田中啓文……「にこやかな男」
岡崎弘明……「綱渡り」

速瀬れい……「帝都復興祭」
我孫子武丸……「理想のペット」
西澤保彦……「青い奈落」
竹河聖……「サダコ」
友成純一……「来るべきサーカス」
安土萌……「炎のジャグラー」
北原尚彦……「朋類」
菊地秀行……「オータム・ラン」
井上雅彦……「JINTA」
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芦辺拓のミステリが好きだ。
「天幕と銀幕の見える場所」、これも、芦辺拓による名探偵ものなのだが、ちょっとひねりがある!
通信社の記者が取材に行くにあたり、小林という少年を助手として連れていく。
これでピンとくる人は、私と同類だろう。

そういえば、サーカスの前世紀というのは、映画の無声時代と重なるものなのだろうか。
無声映画から有声映画に移行する時期の凄い怪談が、みごとにサーカスとからんでいる『我は伝説」。
怪談自体も素晴らしいが、気味の悪いサーカスというイメージがそこにぴったりとはまっている。

何かの願いとひきかえに、おまえの大切なものをひとつもらおう。
そういう悪魔との取引は、民話に時々出てくるのだが、今回はその魔的存在が、サーカス。
そう。サーカスは。邪悪なサーカスは子供をさらっていくものと決まっているのだ。

「夢の中の宴」はまさしく、悪夢の中のサーカスだ。
こんな悪夢に落ちたらと思うと、正直、ぞっとする。
悪夢の中で、ヒロインは、身体毀損された少女たちが、サーカス芸人となっている光景を見るけれど、「さらわれる(とらわれる)」、そして「身体毀損(されて見せ物となる)」、いずれも、邪悪なサーカスに関係が深い。

ところで、マジシャンという存在は今はサーカスとは独立した芸人になっていると思うのだけれど、もともと、サーカスの一員である事が多かったのかもしれない。
脱出マジックなんかは今でもサーカスで見られるのかな。
「頭ひとつ」抜けられるなら脱出可能、猫みたいだけれど、もちろん仕掛けがあるわけだ。しかしその仕掛けを知っている相手なら、その芸はどう見えるのだろう。

「砂の獣」はちょっと面白い。書くことに恐怖すら憶えるようになってしまった作家が、サーカスで何をみつけるかという話しだからだ。
しかし、考えようによっては、小説を書く作業そのものが、一種のサーカスなのかもしれない。
ならば、そこにも、ぞっとするような深みの獣が潜んでいるのかもしれない。

サーカスの花形芸は空中ブランコだと聞いた事がある。
しかし、玉乗りも棄てがたい。
正直いうと、一度、やってみたいなあ、と思っていた。そう簡単に乗れるものではないのだろうけど。
しかし、「たま」という言葉には、いろいろと意味があり、あてはまる漢字だってたくさんある。
「たまのり」にはどんな漢字があてられるだろう。

大がかりな設備や人員を必要とする興業は、たとえば、大貴族のようなスポンサー(パトロン)がいなくなると、すたれる宿命だったのだろうか。
しかし、ポケットに入るくらいのサーカスなら、我々でもオーナーになれるだろうか。
「マイサーカス」。いい響きだ。
もしかしたら。たぶん。しかし、そこに罠があるかもしれないのだが。

それにしても、サーカスの邪悪なイメージというのは、なぜこうも繰り返し出てくるのだろう。
それだけ、印象が強いのだろうか。
だが、これほど怖いサーカステントもそうはないだろう。
「暖かなテント」、寒い時には魅力的っぽいがちと怖いぞ。

ノミのサーカスって聞いたことある?
私は聞いた事はあるけど、もちろん、実物は見たkとない。どんなものかも知らない。
見る機会があったら見るかと言われると、これまたちょっと微妙だ。
だってノミだろ? 小さすぎるよね。
「曲馬団」は、そのノミのサーカスを、誰にも楽しめるようにというのがコンセプト。そうらしい。

ひたすらグロテスクな「Ωの聖餐」、スカトロジスティックな気持ち悪さの中で、展開される「サーカス」とはいったいどのようなものなのだろう。
ううん、これはちょっとわかりにくい、ような気がするんだけど、いや、もう、ほんと気持ち悪い。

さて、サーカスにはピエロがつきもの。
道化というのは、殿様に仕えて個人的に楽しみを提供もしたし、大道芸の一種でもあり、演劇にも口上役などとして登場する。
道化芝居というのもあって、これは、役柄が決まっている。
「パリアッチョ」は複数のオペラをコラージュしながら、入れ子芝居のように道化芝居がスラップスティックに演じられる。
ああ、もう、これぞ道化芝居の真髄かも。


世紀末サーカス (広済堂文庫―異形コレクション)/井上 雅彦
2000年1月1日初版