『千一夜物語 (4) 』マルドリュス版 | 手当たり次第の本棚

『千一夜物語 (4) 』マルドリュス版

前巻から続く、アラブの軍記物。
しょ~うじきに言うと、実はこれ、バートン版で読む方が良いと思う。なぜなら、比べた時、マルドリュス版の方が簡素だからだ。
登場人物も、戦場(など)の描写も、バートン版の方がかなり多い。しかもその量、後半ほど差が出ている。バートン版では、これでもかーっというくらい、
「やあやあ遠からん者は音にも聞け、近からん者は目にも見よ」
的な、両軍から勇者が名乗り出る、闘う、キャラによっては「これだーっ」というような定番シーンが入る、というエンタテイメント性が、バートン版にはあるのだけれど、マルドリュス版にはありません(きっぱり)。
戦争がありました、その結果どうなったという事が、あっさりと流されてるのだ。

これは、もしかすると、物語をヨーロッパに紹介した人物のスタンスの違いなのかもしれない。
バートンは、ともかく面白いところを紹介するという心持ちだったらしく、必ずしも一定の版を底本にすることなく、場合により、違う版からのものを挿入しているからだ。
一方、マルドリュス版は、出来る限り使用した底本に忠実に紹介していき、どうしても補完しなくてはならないところだけ、最低限の補完をしている、という事らしい。

どちらが良いかは、もちろん、どういう目的で読むかにもよるけれど、そうだなあ……。
やはり、エンタテイメント性という事では、バートン版に軍配。

「オマル・アル・ネマーン王とそのいみじき二人の王子シャールカーンとダウールマカーンの物語」 ~第145夜
……やっぱ、タイトル長っ。
さて、物語はようやく後半となり、シャールカーンをさしおいて王位についたダウールマカーンも、あえなくみまかってしまう。
唯一の救いは、謀殺ではないという事だろうが、それにしても計算するとダウールマカーンは50になるかならぬかという年頃。これは、14歳で国を出奔してから流浪を重ね、王位についてからは長い時間を戦場で過ごした過労からくるのだろうか。

とはいえ、このあとはいよいよ、ダウールマカーンの世嗣、カンマカーン王子が主人公となる。
ここで、とうとう、ダウールマカーンの姉王女を(なりゆきで)めとった、シャールカーンの元侍従長が、最初から示唆されていたとおり、野心をむきだしにし始めて、父を失ったカンマカーンは、このため、流浪の身となってしまうのだった。
そう、ここから騎士流離譚となるわけで……(でもって、このあたりがマルドリュス版ではかなり簡略になっているのだ。ちっ)。
しかし、カンマカーンの流浪が終わると、とうとうキリスト教国との最後の対決が始まり(ここらへんも簡略になっているのだが。ちっ)、その後は全部きれいに大団円(ここもちょっと簡略に……)、と読み手大満足、な結末が待っている。

「鳥獣佳話」 第146夜~第151夜
これは、語るべきことはあまりない。
アラブ版のイソップ物語というようなもので、ここでは、ドゥニヤザッドやシャーリヤール王が、「これこれこのような話は?」と次々求めるのに応じて、それにかなった動物の話が語られる。

「美しきシャムスエンナハールとアリ・ベン・ベッカルの物語」 第152夜~第169夜

後宮の寵姫と、ある王子にまつわる悲恋の物語。比較的短いものだが、どうしようもない悲恋をせつせつと描いている。
また、その仲介をする二人の男の、誠意と労苦と(教主に知られた時の)とんでもない危険に苛まれる様子が、なんともいえぬリアリティを添えている。

「カマラルザマーンとあらゆる月のうち最も美らしい月、ブドゥール姫との物語」 第170夜~第236夜
これもまた、ちょっと、「とりかえばや物語」的な恋物語というか、冒険物語で、遠くはなれた国に生まれた王子と王女が、それぞれ絶世の美しさを持っているだけでなく、なんとうりふたーつ!
どちらがすぐれているかをかわりに自慢しあう魔神と女魔神の競争心から、奇しくも巡り会った二人がこうむる不思議な冒険の話なのだ。
しかし、これの面白いところは、王子も王女もそれぞれ冒険をするというところで、どちらか一方だけが苦労するというわけではない。
二人とも苦労し、その結果最後にめぐりあってさらに幸せになるというのは、世界的に見ても、ちょっと珍しいのでは。


完訳 千一夜物語〈4〉 (岩波文庫)
1988年7月7日改版