『墨攻』 | 手当たり次第の本棚

『墨攻』

これは、墨子教団の物語である。
そうだよなー、タイトルが『墨攻』だし。
しかし、じゃあ、墨子(教団)ってなんだ?

だいたい、高校の世界史あたりで出てくるんだよな?
中国の、春秋戦国時代に、ばらばらと出現した思想家のうちのひとりだ。
孔子に老子に荘子に孟子に……荀子に墨子。
まあ、こんくらいか。

さて、この中で、孔子は儒教を興した人だ。
誰でも知っている。
老子は道教と関係の深い人だ。
誰でも知っている。
孟子だ、荘子だ、このへんも、まあ教科書にちょこっとは書いてある……よな?

でも、墨子って、どうだっけ?

なんか印象が薄いんだよ。
つか、教科書、墨子についてどれくらい触れていた?
(ほとんどなかったような気がするのだが……気のせい?)

作者は、語る。
現在に残されている、墨子(教団)に関する資料は、非常に少ない。
しかし、断片的な記録からその実像に迫っていくと、それは……

その1 すんごい職人集団だった!
その2 清貧の労働者集団だった!
その3 めちゃすごい戦術家集団だった!

ただし、専守防衛。

そしえt、物語は始まる。
大国の争いのとばっちりを受け、今にも攻め込まれそうな、地方の小城を、墨子教団のある男が、たった一人で守りに逝くのだ。
そう、たった一人で。

その手段とは!

しかも、その城を獲りに来るのは、世にも聞こえた戦争の名手なのだった。

その妙手とは!

攻守とも、次々に見事な手際で戦を奨めていくのだが、しかし、いかに戦術の妙を凝らし、戦に用いる技術が巧みであったとしても、戦は所詮、人間が織りなすもの。
将軍も、墨者も、思わぬところで足をすくわれ、思わぬところで裏切られてしまう。

歴史の大きな流れの中では、ほんの泡沫にすぎないような攻城戦の物語だが、不思議と、その結末には、無常感とともに、一種の爽快感をおぼえるのだ。


墨攻 (新潮文庫)/酒見 賢一
1994年7月1日初版