『BLEACH (8) 』 THE BLADE AND ME | 手当たり次第の本棚

『BLEACH (8) 』 THE BLADE AND ME

BLEACH 8 「刃と俺」:

物語として、まず、本巻は、非常に少年ジャンプ色の濃い部分だと思う。
すなわち、主人公が最初のデッドラインに立たされ、それをもって、大きく生まれ変わる。
その後も、いろいろな試練を経て、脱皮するかのごとく成長していくとしても、この、最初のクライシスが、ほとんど、主人公を百八十度変える、ターニングポイントとなるのだ。

もちろん、ストーリー上も、ここで一護はじめ、人間側のメインキャラが、ソウルソサエティに行くための最終的な準備を調え、いざ出陣、という形となっている。

さて。
言うまでもなく、これは一人の少年が、異世界において戦って戦い抜く話なのだし、
それは、ジャンプに連載される多くの物語に共通のコンセプトであるが、
「なんのために戦うか」
という事が、各作品の特徴として「カラー」を作っているとも言える。
本作の場合、それはあくまでも、「守り抜くこと」だ。

母を守る事。
妹たちを守る事。
家族を守る事。
友人を守る事。
約束を守る事。
主人公の力が、いかに凶悪に、かつ強大に伸びていこうとも、それは全て「守るため」に存在する。

また、それは一護のまわりのキャラにしても同じ事だ。
織姫は、友人を守りたいと思ったからこそ、その能力を発動させ、
茶渡も、まのあたりにした誰かを危険から守りたいと思ったから、その能力を発動させる、という風に。

それは、後にわかってくる事だが、死神側についても同じで、
彼らも、それぞれ、何かを守りたいから戦っているという事がわかってくる。

興味深い事に、これは根源的なところで、非常に日本的な発想と考えられるのだ。
日本の武術は、戦国期の、純粋に人を効率よく殺すための技術から、近代に向かうにつれて精神性を高め、武術の種類や流派による差異はあるものの、おおむね、このような思想を発展させた。
・ 力とはみだりにふるうべきものではない。
・ 剣(武器)は、なにか(自分自身、自分が属するもの、身内など)を守るために抜くのが良い。
・ 理想的には、力を持つ事で自分の心を律し、それをもって相手を圧倒し、戦う前から勝つ。(それによって、おのれも相手も、命を無駄に落とす事はなくなる)。

卑近に考えると、
力とは、コントロールされていなくてはならないもの
なのだ。
そして、己のためにみだりにふるってはならないもの
でもあるのだ。

そして、このようなモラルがあって、初めて、力とは(真の)プライドとなり得る。

一護は、本巻より、「誰か(なにか)を守る」という、原動力によって動くだけではなく、
力をコントロールするというハードルを乗り越えて行く事になるのだ。


久保 帯人
BLEACH (8)