『闇の守り手1』〈ナイトランナー I 〉 | 手当たり次第の本棚

『闇の守り手1』〈ナイトランナー I 〉

西洋のファンタジイは、キリスト教文化が背景にあるためか、しばしば、「光と闇」の二元的世界で物語が展開される。それが多神教の世界であっても、同じ事だ。
「勧善懲悪」とも結びつきやすく、シンプルな構図である事は疑いがない。
もちろん、シンプルだということは、「わかりやすい」という事でもある。

しかし、それって、
「飽きがきやすい」
という事にも、つながるのだな。
従って、作者は、そのような思想をベースに用いるのならば、よほどうまく味付けして料理していかなければ、ユニークなファンタジイを生み出す事はできない、という事にもなる。

とはいえ、あまりにも突飛な色づけをすれば、それはそれで読者を得にくくなるわけだから、基本、どういうところに重点を置いてユニークさを出すかにも定石がある。
一番やりやすく、かつわかりやすく、読者の心をとらえやすいのは、
「キャラ造形」
これだろう。

こうして見ると、ナイトランナーの主役たちも、脇役も、それぞれが非常にオーソドックスだ。
「え。それじゃだめじゃん!」
そう思うかもしれないが、なに、このオーソドックスさが、かえって本作の場合は、長所となっている。
というのは、まず第一に、オーソドックスであるからこそ、わかりやすく、入りこみやすく、
定番時代劇のように安心できるというのがあげられる。

わかりやすい、というのは、物語の中に入り込みやすい、という事でもある。
キャラの心情は、くどくどと語られてはいないが、その言動から理解しやすい仕組みになっているので、読み手が男だろうと女だろうと、あるいは大人だろうと子供だろうと、
容易に、
「利発ではあるが田舎者、でも弓の名手であり、忠実」
というポートレイトの主人公アレクに共感し、アレクが
「命の恩人であり、(なし崩しに)いろいろな事の師匠ともなる」
サージルに抱く憧れや信頼、友情を体感する事ができるわけだ。

この、読者を問わぬ入り込みやすさというのは、簡単なようでいて、なかなか難しいんじゃないかと思う。
あざとさや、退屈さを感じさせたら、一気に台無しになるものだからね。

なにかこう、邪悪な勢力が胎動を始めていて、
この二人は、サージルの仕事の途上、偶然、「魔術的にやばい」品物を手に入れてしまう!
そこまでの物語前半は、ふたりの巡り会いや旅の始まりを物語り、
後半は、いかにその「やばいもの」を持ち運びながら、サージルの命をまもり、目的地にたどりつくかを描いている。

ふたりのコンビ結成を決定づけるとすれば、非常に納得のいく筋立てだ。

とはいえ、物語はまだ「ほんの冒頭」部分のみ。
しかも、1巻のラストは、非常に「ひき」な状態で終わっている(笑)!
もしこれから手に取る人がいるならば、2巻がすぐに手に入る状態を確保しておいてから、読んだ方が良いかもしれない。


リン・フルエリン, 浜名 那奈
闇の守り手1 - ナイトランナー I
C☆NOVELS