『用心棒日月抄』 元禄と四十七士と用心棒 | 手当たり次第の本棚

『用心棒日月抄』 元禄と四十七士と用心棒

ハードボイルドというテーマで記事を書いた少し後、山川健一さんから、この本はどうだろうと推薦してもらったのだ。
「藤沢周平かあ……」
初めて耳にする名前ではないけれども、まだ読んだ事はなかった。

私が、その名前を最初に心にとめたのは、時代劇チャンネルで、『清左衛門残実録』という番組を放送し始めて、それの番宣を見た時だ。
隠居した武士が主人公っていうのが、なんか渋いな、そう思った。だから、何かいいのがあったら、読んでみようかなあ。藤沢周平。そう思っていた矢先だったんだな。

ところで時代小説っていうやつも、いろんな種類があって、サブジャンルに「剣客(剣豪)小説」っていうのがあると思う。
要するに、剣術使いが主人公の小説っていうやつだ。
これ、私が一番好きなサブジャンルだ。

とはいえ。時代小説が好きだけれども、本筋は海外もの、それもSFとファンタジイがメインなので、時代小説自体、それほど広く読んでいるとは言えない(たぶん)。
一番好きなのが池波正太郎で、司馬遼太郎、山田風太郎、隆慶一郎……。
池波正太郎が、ダントツ。

これらの作家が書いたものに比べると、藤沢周平の小説は、ちょっと違う。
何が違うって、それは、剣劇の描写が違うんだ。
剣客が主人公であるからには、当然、白刃を交えるシーンに迫力がなくちゃいけない。たとえば、山田風太郎は、一番、けれんの強い、極彩色な情景描写をしてくれるし、池波正太郎の場合は、対決している人たちの背景を描写しつつ、迫真性のある剣劇を見せてくれる。
その点、藤沢周平は、そういったリアルさが、ないのだ。

リアルさがないというのは、「リアルじゃない」というのとは違う(笑)。
剣道をちょっとでもやった事があるなら(私は剣道はちょっとしかやってないんだが、それでも)、斬り合いの「手」が、いかにもありそうな形に書かれているかどうかは、わかる。
別に、藤沢周平の描写に、不自然があるわけではない。
ただ、手応えが実感できるような描写じゃないんだよなあ。
「あの試合では、Aがこう、Bがそれを受けてこうでした」
と事後報告を聞いているみたいな、そんな感じ。

藤沢周平自身は、肺病を5年も患ったそうだから、あまりそういう、肉体的に激しい行動を取る人ではなかっただろうというのも想像はできるのだが。
そのせいか、藤沢周平の小説は、周囲の情景であるとか、登場人物の肉体的な感覚よりも、むしろ内面の心情に重点が置かれているように思う。

やむなき事情で江戸に出てきた若い侍が、生活のアテもないままに、口入れ屋にいって、用心棒稼業をする。
それも、華々しい仕事じゃあない。
だって、最初は、犬のおもりなんだから!(笑)
それも、金持ちが膝の上に抱いてるような、きれいな狆とかじゃない。
どこにでもいるような、雑種っぽい、駄犬。
あ~あ(笑)。

あるいは、商家の娘が三味線だか小唄だかのお稽古に通う、その送り迎え。
ストーカーっぽいのがいるよという事なんだけど、大の男、それもかつては百石取りの侍が、小娘のおもり。
や~れやれ(笑)。

でも、生活のためには、あ~あとかやれやれなんて言っていられないわけで、青江又八郎がんばる!
それも、しゃかりきにがんばるとか、そういうのとは違う。
「江戸とはこういうところか」
と、肌で感じながら、かなり淡々と……。
仕事をしていくというより、むしろ、生きていく。
そんな感じがする。
観察者として淡々と周囲を見ながら、いや、自分自身をも観察しながら、生きていくのだ。

う~ん、あまり、ハードボイルドっぽくはないよね(‥
でも、この小説は、面白いのだ。
どこがと言われると、実はこれ、忠臣蔵を
「第三者が外から見ている」
そういう視点で書いたものだからだ!

あくまでも江戸で暮らしている青江又八郎が、偶然、赤穂浪士の関わる事件に、仕事上関わっていくという形。
忠臣蔵をテーマにした小説はいろいろあるけど、こういうスタンスのものは、初めてだ。赤穂浪士というからには、彼らの生活はそもそも関西の赤穂にあるわけで、忠臣蔵を扱った小説なら、一度は赤穂なり、京なり、大阪なりに舞台をうつすものなのだけれど、これは、そういう事はない。
もうほんとに、あくまでも、江戸で用心棒をしている青江がたまたま関わった赤穂浪士を通してしか、事件を見ていない。
朋輩である細谷という用心棒は、かつて同じ家に仕えていたものが浅野家にかかえられたという事情から、もうちょっと赤穂浪士に肩入れをしている感じだけれど、青江自身は、な~んの関係もない。
なので、
「心情的に赤穂浪士に興味はあるし応援もしたいが、格別の肩入れはしないし、吉良家を敵視するというほどのこともない」
そういう、ほんとに、七歩くらい感情的にも隔たったところから忠臣蔵事件を見ている。
そのスタンスが、なんだか、良いのだ。

元禄という、江戸時代では一番豪華絢爛だったような時代が舞台なのに、青江又八郎の目を通すと、それを黄昏の淡い光の中で見ているかのように、ペイルトーンのものとして感じられる。

そこで、ふと思ったのだけど、情に流されず、淡々と生きていく、その生き方が、ハードボイルド的と言えるかもしれないなあ。

著者: 藤沢 周平
タイトル: 用心棒日月抄