【神様のカルテ2】 良心に恥じぬということだけが、我々の確かな報酬である | 本好き精神科医の死生学日記 ~ 言葉の力と生きる意味

本好き精神科医の死生学日記 ~ 言葉の力と生きる意味

「こんな苦しみに耐え、なぜ生きるのか…」必死で生きる人の悲しい眼と向き合うためには、何をどう学べばいいんだろう。言葉にできない悩みに寄りそうためにも、哲学、文学、死生学、仏教、心理学などを学び、自分自身の死生観を育んでいきます。


昼夜を問わず、患者さんのために働く医師達。

なぜそこまで頑張れるんだろうと、尊敬してしまいます。

以下は、映画「神様のカルテ2」のネタバレにはなってない名言です。



■神様のカルテ2


良心に恥じぬということだけが、我々の確かな報酬である

静かな河原に、場違いな声が響いた。
辰也が足を止め、わずかの間を置いて、肩越しに振り返った時、そこに小さな苦笑があった。

「セオドア・ソレンソンだね、懐かしいな・・・」

「お前の好きな言葉だったな」

私は目をそらすことなく、

「ケネディは戦争のためにこの演説をぶったが、
 我々は医業のためにこの言葉を用いようとよく言っていた。
 百万人を殺す英雄ではなく、一人を救う凡人であろうとな」


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良心に恥じない。

信念を貫く。

これ以上に、自分で自分に誇れることはないのかもしれません。


ヒトの幸せは、色々な形があると思いますが、

他人からの褒め言葉や、周りからの評価も嬉しいけれど、

自分で自分を褒めたいと思えることや、

自分のことを信じられること、

自らを誇れることが、何よりも幸せなことです。


まいた種は必ず生える。

咲く花は、必ずしも外からやってくるものではなく、

心の中に咲く花もあります。


どんな幸せを求めるか、

なにをモノサシに生きるか、

それが、豊かさを決めます。


自分の心に恥じない、

自分にウソをつかない、

自分を信じ、自分に誇れる生き方をしたいと思います。


自分は、なぜ生きるのか。

悔いのない道を進んでいるのか。

曖昧なままにしておく後ろめたさや、

中途半端に妥協し、アキラメるのではなく、

自分の生きる意味、目的をハッキリさせ、

歩む道を誇れる生き方をしたいです。