本好き研修医の死生学日記 ~ 言葉の力は生きる力

「こんな苦しみに耐え、なぜ生きるのか…」必死で生きる人の悲しい眼と向き合うためには、何をどう学べばいいんだろう。言葉にできない悩みに寄りそうためにも、哲学、文学、死生学、仏教、心理学などを学び、自分自身の死生観を育んでいきます。

長足の進歩を果たした現代の医療は、
深い問いを人間になげかけています。

「必ず死ぬのに、なぜ生きるのか・・・」

真面目な患者ほど悩み、
やさしい医療者ほど燃え尽きてしまうこの問い。

でもこれは、
「人間に生まれてきてよかった、
 大変だったけど生きてきて本当によかった」

と幸せな人生を送るためには避けては通れません。

専門家でもなく、一般の人とも違う“研修医”だからこそ見えることもあるはず。

最近の連載
>>「医療現場で考える、やさしさの死生学」(仮題)

後学のため、ご感想を頂ければ幸いです m(_ _)m


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病院というのは、様々な人間ドラマが生まれるところですが、

ドラマがドラマたる所以は、キレイごとだけでは済まないから、でしょうか。


患者さんは、時に怒り、愚痴り、周囲の迷惑を考えずに行動してしまうことがあります。

苦しみゆえの、余裕のなさがそうさせてしまうと、頭では分かっていても、

家族や、近しい人ほど、その変貌ぶりに驚き、悲しまれます。

私もスタッフも、慌ててしまうこともあります。



「痛みはその人らしさを奪う」と言われます。

人間、余裕がなくなると、とんでもないことでもしてしまうのは、

お互い様ですけど。。。

これを「人間の本性が現れてしまう」と言われたりもします。


医療者も、余裕がなくなると、患者に冷たく、形ばかりの接し方になりがちです。

外来で何十人も診ていたり、当直で夜中に診察していると、

腹が減って、疲れもたまって、眠くなって、、、余裕がなくなってきます。

「やさしさが売れきれてくる」と表現する医師もいます。

(「医療はやさしさを売るサービス業」という裏の意味もある?)



普段はどんなに優しい人でも、

痛い時、眠れない時、ツラいときは、

相手を思いやる余裕がなくなってきます。

自分のことで精一杯になり、

時に、相手に八つ当たりしてしまったりも。



 弱音さらしたり 愚痴をこぼしたり 
 人の痛みを 見て見ないフリをして 
  (Everything It's you  Mr.Children)


人間の心の奥底には、誰もが、自己中心的な、我利我利の心を潜ませているのでしょう。

でも、そんな心を抱えながらも、私たちは互いの幸せを願う気持ちをもっています。

だからこそ、自分の心配をしてもらえるのは、決して当たり前ではなく、

「有り難い」ことです。

苦しみに耐えながらも、患者さんから

「先生もお体、大切に」と気遣ってくださることもありますが、

本当に、頭が下がります。


弁護士ドラマの「リーガル・ハイ2」でも、

「醜さを愛せ」

という台詞がありますが、

人間の醜さ、弱さ、汚さ、欲深さ、悲しさを知ることが、

「自分を見つめる」ことだと思います。


そしてそれが、

やさしくあるために、強くあるためにも、

必要な心だと思います。


その上で、体力、気力、精神力などなどにおいて、

余裕をもてるような自己管理が大事になってきます。


「やさしさ」は無尽蔵ではありえず、売り切れてしまうこともありますが、

「苦しいときはお互い様」の精神を忘れずに、

人間の苦悩と向き合っていきたいです。



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患者さんの病室を訪れると、

ふいに「先生は、死んだらどうなるか、考えたことありますか?」

と聞かれることがあります。


「突然どうしたんですか?」と戸惑うものの、

「気になってしまうんです」と訴える表情を見ると、

はぐらかしてはいけない、と自分を鼓舞して、

平静を装って、頭を一気にフル回転させます。


「死んだらどうなるのか」

そう言葉にして聞いてくる人もいれば、

聞いてこない人もいますが、

おそらく、考えたことがない人はいないと思います。

闘病中であれば、なおのこと。

「(死について)言葉にすること自体がこわい」という人もいます。

そういう意味では、話題にされる人は、

その恐怖を乗り越えて、意を決して切り出していると思うと、

なおさら、こちらも襟を正してお応えせねばなりません。


死を見つめることは、それまでの生の意味を問うことでもあり、

文字通り「必死」で、なぜ生きるかを考えることです。


なので、

「死んだらどうなるか」

これに対しては、

「自分のまいたタネが、生えるんだと思います」

と答えることが多いです。



平家物語の最後にでてくる、仏教の言葉があります。

「過去の因を知らんと欲すれば、現在の果を見よ。
 
 未来の果を知らんと欲すれば、現在の因を見よ」


未来どうなるかは、現在の自分の種まき次第。

他の誰か偉い人や、神様とかが運命を決めるのではなく、

自分の集大成が未来を決めるのだと思います。。


「自分は、幸せになれるような人間だろうか、

 そういう生き方をしてきたか、幸せになれるように生きてきたか」


生きている間は、周囲と比べて、他人と同じように行動していれば、

それなりに生きてはいけます。

しかし、いざ生の終わりを考え、外面を取り繕う必要がなくなり、

自分の心のうちを問われるようになると、

途端に、自分の生き方が不安になってきたりします。


「まいた種は、必ず生える」

どんな言葉よりも、厳しい言葉かもしれません。

経験上、安心したり、喜ぶ人はいませんが、

それこそが、真面目に自分と向き合っている証拠だと思います。

慰めにはなりにくいことは重々承知で、

「一緒に、厳しく自己と向き合う覚悟を決めましょう」

という気持ちでいることが、

患者さんに寄り添うことだと信じています。




他人のせいにしない生き方、

自分をごまかさないという信念、

そのための究極のモノサシが、

死を見つめることなのだと思います。




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あるブログ読者さんからご紹介いただいた本を読んでみました。

「最後の医者は桜を見上げて君を想う」

死と向き合う場面は特に、とてもリアルな心理描写で、
久しぶりにあっという間に読み切ってしまう本に出会えました。
ありがとうございました!


少しだけ、特に心に残ったところから、
思うところを書き残しておきたいと思います。


ある日突然、白血病を宣告された人の独白から。



■最後の医者は桜を見上げて君を想う
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 この世界に、こんな場所があるだなんて知らなかった。
 いや、もっと言おう。人が死ぬだなんて知らなかった。
 もちろん知識としては知っている。祖父母を看取ったこともある。だが、普段目の当たりにしないから忘れてしまっていた。会社でも、通勤の電車でも、京子と一緒に住む団地でだって、唸り声をあげて苦しんでいる人間なんて見たことがない。トイレで吐き続けているやせた男も見たことがないし、夜中に悲鳴が響き、そしてゆっくりと弱まっていくのなんて聞いたことがない。
 だが、それは存在しないわけではなかったのだ。
 ここに集められているから、隔離されているから、普段意識しないだけだったのだ。
 人は死ぬ。苦しんで、一人ぼっちで死ぬ。そして死からは誰も逃れられない。
 そんな当たり前のことを、浜山は病院でようやく実感していた。





医者も、患者も、誰もが、

いざ死に直面するまで、死とは何かを知らないし、考えようともしません。

たとえ、どんなに想像力をたくましく、死について考えてみても、

本当の死は、想像を絶するものなのでしょう。

だからといって「死んだら死んだとき」とあきらめてしまえるほど、

この確実な未来は、お気楽ではありません。



■なぜ生きる
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
死は万人の確実な未来なのだが、誰もまじめに考えようとはしない。
考えたくないことだからであろう。
知人、友人、肉親などの突然の死にあって、否応なしに考えさせられるときは、
身の震えるような不安と恐怖を覚えるが、
それはあくまでも一過性で、あとはケロッとして、「どう生きるか」で心は埋めつくされる。
たとえ、自分の死を百パーセント確実な未来と容認しても、まだまだ後と先送りする。
「今までは 他人のことぞと 思うたに おれが死ぬとは こいつぁたまらぬ」
と死んだ医者があったそうだが、
ながめている他人の死と、眼前に迫った自己の死は、
動物園で見ている虎と、山中で出くわした虎ほどの違いがあるといわれる。
“体がふるえるような、不安や恐怖”といっても、所詮は、想像している死であり、
襲われる恐れのないオリの中の虎を見ているにすぎない。
山中で突然であった猛虎ではない。




特に医療者にとっては、自分自身の死を見つめることが、

患者さんに寄り添うことになりうることにつながると信じています。

でも、どんなに深く考えたつもりになっても、所詮は想像の死であって、

本物には遠く及ばないという謙虚さも、忘れてはいけないと自戒しています。

そこから、

患者さんから大切なことを学ばせて頂いているという感謝も気持ちが生まれてくる、

そうも思っています。


人が生きる意味は何なのか。

一つの答えが「感謝に生きること」であるならば、

生死の問題を介して、互いに感謝し合える関係を結べる人と出会えることは、

とても幸せなことなのだと思います。







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「病気になってよかった」とおもってもらえる医療ができたらいいなあ、

最近、そんなことを考えています。


もちろん、どんな病気であって、苦しくツラいものですし、

「病」は、甲乙つけがたいから、「やまいだれ」に「丙」と書くとも言われます。

基本的には、病気になんてならないに越したことはありません。

また、病気になろうと思ってなる人は一人もいません。

誰もが「不本意ながら」病気と闘っておられます。


だからこそ、せめて、

「病気になってよかった」とおもってもらえるような、

そんな医療ができたらと、願わずにおれません。


1つは、病気をきっかけに、「生活習慣を見直す」手伝いをすることでしょうか。

食生活や、運動習慣、睡眠についての基礎知識などは、毎日のことだけに、

改善点があれば、その後の人生に影響を及ぼすこともあるかもしれません。

普段は何気なくやっていることについて、

見直すところは、意外と少なくないと思います。

生活習慣病に限らず、生活習慣を正すことで免疫力が上がったり、体力がついたり、精神的に安定したり、

その後の治療によい影響を与えることは色々あります。


また、生活を見直すことを通して、

人生を見つめ直すきっかけにもなるかもしれません。

命に関わる病ならば、なおのことです。

医療の役割は、肉体の治療がメインですが、

それにこだわらず、一人の人間としての患者さんに寄り添っていきたい、そうずっと思っています。


元気な時の「生きる意味」は、生きていられることが前提になりますが、

その前提が崩れた時の「生きる意味」は、次元の異なる問いとなって迫ってきます。

一人で死と向き合わねばならない時こそ、誰かの支えが必要だと言われます。


死と向き合うことから「逃げない」で、

そこに居続けられるだけの強さをもった、医療者を目指して、

「病気になったことはつらいけど、

 この病院に入院してよかった。

 病気になったからこそ、知ることができたこともある」

そう思っていただけるような、そんな医者を目指したいと思います。



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少し前のことですが、

気持ちの整理のために、書き残しておこうと思います。

 


医学部時代の同期だった友人の訃報が届きました。

 

 

医学部6年、医師国家試験勉強中の頃は元気でした。

一人を好むというか、マイペースというか、恥ずかしがり屋というか、

一緒に勉強しようと誘っても、乗ってくることはありませんでした。

それでも、私自身もマイペースということもあり、

ドラゴンボールという共通の青春があったこともあり、

医学生時代は仲がよかったのです。

 

彼は、医師国家試験は残念ながら合格できませんでした。

「のんびりやりすぎた。一夜漬けはさすがにきつかった」と

相変わらずの飄々とした口調で、悔しさをにじませていました。

 

そんな彼が入院していると聞いたのは、そのわずか数か月後。

体調不良が続き、疲れがたまっているのかと思っていたら、

皮膚に内出血が目立つようになり、知人の勧めで内科を受診。

血液検査を行うと、異常値を示しており、

骨髄移植が必要と判断され、すぐに高度な治療が受けられる病院へ転院しました。

 

見舞いに行ったら、病室では会えないからと、ラウンジに通されました。

抗がん剤の副作用の為、髪が抜けてすこし痩せていました。

見舞いの品として、ドラゴンボールの漫画を数冊買っていったら

「なんでこれ?」と苦笑しながらも嬉しそうでした。

彼の体調がどの程度だったのか、よく分からなかったこともあり、

早めに失礼しようと思っていましたが、思いのほか彼から色々な話がでてきて、

少し長居してしまいました。

 

しばらくして一時退院できるくらい回復していたらしいです。

そして何より驚いたのが、

医師国家試験をまた受験するといい、今度は本当に合格。

やればできるんだから、現役の時もそれくらい頑張れよ・・・。

 

そして入院していた病院で、初期研修を開始しました。

体調のことを一番よく分かってくれる病院とはいえ、

大きな病院での研修が忙しくないはずがありません。

それでも、「もう医者だから」と頑張っていました。

「もう医者だから」と何度も繰り返していた気がします。

きっと、「患者」である自分を意識していた時間が、そう奮い立たせていたんだろうね。

でも、その後も何度も入院治療を繰り返していました。

 

 

最期は、突然でした。

数週間前には元気そうだったのに。

意識が急に朦朧としてきて、集中治療室に移り、

精密検査をしてみると脳炎を発症していたとのこと。

治療の甲斐あってか一時は回復の兆しがあったそうですが、

再び血圧が下がり、未明に亡くなったと聞きました。

研修医となってわずか半年後でした。

 

 

病院で患者がなくなることは度々あります。

中には、致死的な病に苦しむ、同年代の患者も担当しました。

しかし、いざ知人が重病になり、亡くなった時の衝撃は明らかに別格でした。

 

みぞおちのあたりが震えるような、

体全体が怯えるような、

それでいて何が起きたか分からなくなるような不安。

 

なぜ彼が。

なぜこんなに早く。

次は自分の番かも。

死ねばどうなるんだろう…。

 

病を発症してなお、医師国家試験の勉強に励んでいた彼の気持ちは

どんなものだったのだろう。

合格を果たし、患者と医者、両者を繰り返す日々に、何を想っていたのだろう。

 

「医者はお堅い人よりも、ゆるキャラの方がいいと思う。

 言いたいことが言えないと入院生活はちょっときつい」

と入院中に言っていたね。

短い間だったけど、きっといい医者として患者さんと接していたんだろう。

 

彼もまた、

医療が命を延ばせれば、それで必ずしも患者が幸せになるとは限らない。

医療は何のためにあるんだろう、

ひとは、なぜ生きるんだろう、と考えていました。

こういう話題で語り合える数少ない友人の一人でした。

 

病魔と闘いながら、

自己の生死と向き合い、その先に何を見ていたのか。

もっと話がしたかった。

病を乗り越えて一回り大きくなった彼と、一緒に肩を並べて仕事をしたかった。

 

病は他人事ではない。

若さも関係ない。

医者も人間。

やがて死なねばならないのは同じ。

患者の苦しみに必死で耐えている姿は、未来の自分の姿です。

 

それを忘れずに患者と向き合っていくことが、

彼の分も生きるということだと思います。

 ゆるキャラの医者で。

 

 

 

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