本好き研修医の死生学日記 ~ 言葉の力は生きる力

「こんな苦しみに耐え、なぜ生きるのか…」必死で生きる人の悲しい眼と向き合うためには、何をどう学べばいいんだろう。言葉にできない悩みに寄りそうためにも、哲学、文学、死生学、仏教、心理学などを学び、自分自身の死生観を育んでいきます。

長足の進歩を果たした現代の医療は、
深い問いを人間になげかけています。

「必ず死ぬのに、なぜ生きるのか・・・」

真面目な患者ほど悩み、
やさしい医療者ほど燃え尽きてしまうこの問い。

でもこれは、
「人間に生まれてきてよかった、
 大変だったけど生きてきて本当によかった」

と幸せな人生を送るためには避けては通れません。

専門家でもなく、一般の人とも違う“研修医”だからこそ見えることもあるはず。

最近の連載
>>「医療現場で考える、やさしさの死生学」(仮題)

後学のため、ご感想を頂ければ幸いです m(_ _)m


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【ほめる】時のポイントは、

 「結果」をほめるのではなく、

 「タネ」をほめること、と言われます。

 

【評価】は、多くの場合「結果」です。

結果の方が、分かりやすいからです。

 

学校の成績や試験も、仕事も、スポーツも、芸術も、

如何に結果を出すかが勝負です。

どれだけタネをまいたと言っても、結果が出なければ評価されません。

 

では、結果がでなければ、まいたタネは無駄かというと、

決してそんなことはありません。

 

「まいたタネは必ず生える」

 

まだ、結果が現れなかっただけだったのかもしれません。

努力したことは事実であり、

その経験、努力できたこと自体が、他の時にも力を発揮するはずです。

 

努力すれば必ず(すぐ)報われるわけではありませんが、

努力しなければ、絶対に報われることはありません。

 

だからこそ、

効率や、結果が求められるわけではない、

家族や友人、知人など、親しい人間関係では、

結果よりもタネまきを認め合う関係が大切だと思います。

 

頑張ったのに結果が出なくて、

「種まきが悪かった、足りなかった」と不安が強い時こそ、

そこを認めてもらえることは、大きな安心になります。

 

試験の点数も大事ですが、

遊びたいことも我慢して頑張って勉強したこと、

苦手科目にも取り組んだことをほめたり、

 

作ってくれた料理が美味しいにこしたことはなけいれど、

時間を割いて一生懸命作ってくれたこと、

好きなものを選んでくれたことに感謝したり、

 

続けてタネをまけたこと、

自分の弱い心と闘ったこと、

相手の為を想う優しい気持ちなど、

その「こころのタネ」に、感謝したり、ほめたり、一緒に喜んだりできると、

人間関係はとても柔らかな、温かいものになります。

 

評価されやすい、分かりやすい「結果」を急いで、

すぐにほしいと求めてばかりいると、

本当の「自分」「その人」が見えなくなってしまいます。


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また、私たちが感動するのも、

結果そのものよりも、種まきによるところが大きいと思います。

赤の他人の合格結果を聞いても、感動しませんが、

それまでの苦労や努力を知っているからこそ、そこに感動が生まれます。

不器用でたどたどしい子供の演技をみても、

その子が頑張っていることが分かるからこそ、見る人の気持ちを揺さぶります。

スポーツに熱狂するのも、

必死さ、努力、挫折、苦労、思いやりなどが、分かりやすいこともあるかと思います。

天才の華麗なプレーもいいですが、

努力家の泥臭いプレーも負けじと人気を博するのは、

「心を動かす」のは、「こころのタネ」だからではないでしょうか。

 

 

そして、

結果が出なくてもあきらめないこと、

失敗を受け止めて、しっかり反省したこと、

誤りを認めて謝罪し、同じ過ちを繰り返さないことなど、

 

短期的には、

「タネをまいても生えなかった」

と思わずにおれない場合でも、

長期的にみると、

やっぱり「まいたタネは生える」と納得できることもあります。

 

 

病気でつらくても、

「ありがとう」の一言を忘れない患者さんの、

やさしいこころのタネには、医療者の心も癒され、苦労が報われた気持ちになれます。

言葉は無くても、ふとした笑顔に、そのこころのタネが現れることもあります。

 

「苦悩の人の笑顔は、

 幸せな人の笑顔にまさる」

 

こころのタネの偉大さを知るほど、

人生にとって大切なものは何かを、

改めて考えずにおれなくなります。

 

 

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「まいたタネは必ず生える」

という信念のもとに、

「自分を見つめ直す」とき、必ず問題になることがあります。

 

それは、

「こころのタネまき」です。

 

「自分のまいたタネ」を振り返る時、

身体でやったことや、言った言葉は当然問題になりますが、

それ以上に、

「自分自身」を反省した時、

「自分の心」も気にせずにはおれません。

 

心のタネまきは、

態度や雰囲気を醸し出し、

言葉のニュアンスや抑揚となり、

眼差しや表情となって現れます。

 

見えるものを通して、見えないものがにじみ出てきます。


 「なぜ生きる」には、次のようにあります。

 

外にあらわれる体や口の行いよりも、

見えない心が大事にされるのは、なぜだろう。

体や口の行いは、心の指示によるからである。

火の元であり、体や口の行為は火の粉にたとえることができよう。

火の粉は、火の元から舞い上がるように、

体や口の行為は、心の表現であるからだ。
「戦争は心の中ではじまるのだから、平和の砦は心の中につくられねばならぬ」

と、ユネスコ憲章も宣言する。

残虐非道の戦争も、根元は心と見ての訴えであろう。
消火も火元に主力がおかれるように、仏教はつねに心の動きに視点がおかれる。

 

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心のタネまきは、また、

「しない」種まきとしても現れます。

 

良くも悪くも、「しない種まき」は、

決して小さくない結果となって表れます。

 

分かりやすいのは、「無視」でしょうか。

敢えて、視ない、話しかけない、何もしない。

しかしこれは「何もしていない」という種まき“ゼロ”なのではなく、

存在を認めない、否定するという強い心の種まきの表れです。

それは、相手に与える結果・影響の大きさからも明らかです。


 

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逆に、「何もしない優しさ」というものもあります。

見守ることは、何かをするよりも、

暖かく、大きな優しさとして相手に伝わることがあります。

 

人間関係の悩みや、

耐えがたいダルさや吐き気や痛みが襲う病気など、

つらく、打ちひしがれている時、

何かをしてもらいたいわけでも、

アドバイスがほしいわけでもないけれども、

そばにいてほしい、独りでは居たくないこともあります。

そんなとき、そんな気持ちを察して、

ただ、そこにいてくれる、寄り添ってくれることが、

何よりもうれしく、あたたかい気持ちになります。

 

doing よりも、beingがありがたいという事実も、

「心でまいたタネ」に、大きな力があることの証ではないでしょうか。

 

 

 

 

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「ハリー、自分が本当に何者かを示すのは、

  持っている能力ではなく、

  自分がどのような選択をするかということなんじゃよ」

                   (アルバス・ダンブルドア)
 "It is our choices that show what we truly are,

   far more than our abilities."

          (Albus Dumbledore)

 

 

 

「自由」とは、「自らに由る」ことであり、

自分にとって大切なことを自分で選びとることです。

そのためには、

目的をはっきりさせて、選択基準をもつことが大事になります。


とはいえ、必ずしもその後

自分自身で行動しなければならないことではありません。

体が思うように動かなければ、だれかに依頼したり、助けてもらったとしても、

自分が選んだことを実行するためであれば、

それはとても「自由な」生き方だと思います。

 

「自由」には、

「心の種まき」を重んじた自由もあります。

心の向きが、自分の運命の向きを決めるからです。

自分の望む運命に向かって進むことこそが、本当の「自由」ではないでしょうか。

 

だから、自由は、

依存やサポートと対立しないし、矛盾もしないはずです。

 

脳梗塞や頸椎損傷で、四肢が動かず、

自分一人では体を動かせないような方にも「自由な生き方」はあるはずです。

身体を動かす自由は失われても、

自分にとって最も大切なこと、生きる目的を果たすために生きてこそ、

周囲のサポートも意味を持ち、やりがい・生きがいを共有できます。

 

助け合うからこそ、

選択の幅が広がり、より自由に生きられるのではないでしょうか。

 

「自由な生き方」とは、

本当に望むもの、「生きる目的」を共有し、

それに向かって一緒に進み、

支え合うことともいえるのではないかと思います。

 

 

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「自由」であることを、『7つの習慣』では、

「主体的」であると表現しています。

「主体的」とは、「自分の価値観に基づいて行動(選択)する」ことです。

 

自分の悩みを

他人の行動、条件付け、あるいは周りの状況のせいにするのは
とても簡単である。

しかし、私たちの人生をコントロールし、
自分のあり方や人格そのものに集中することにより、
自分の周りの状況に大きく作用を及ぼすことができるのだ。

 

不自由とは、「現状を変えられない不満」ともいえます。

 変えられない他者によって自分のことが決められている、縛られている、支配されていると感じる窮屈さ。

不自由であるとは、他人のせいにすること、とも言えそうです。

7つの習慣では、主体的(自由)ではない、その反対の姿勢(不自由)を、

次のように表現しています。

 

問題は自分の外にあると考えるならば、
その考えこそが問題である。

 

 

 

「幸せ」な生き方は、

必ず、感謝のあふれる生き方です。

 

逆に言えば、「不幸」とは、

感謝の心のない生き方です。

 

私たちは、不幸を他人のせいにしている暇はありません。

幸せに向かって生きているのですから。

 

 

松下幸之助さんも、そう教えて下さっています。

 

松下幸之助さんが、船を下りて波止場を歩いていたら、
いきなり大男にぶつかられ、海に落ちてしまいました。
一緒にいた秘書が、
「社長、大丈夫ですか。私が文句言ってきますよ」
と言ったのですが、そのとき幸之助さんは何と言ったと思いますか?

普通の人なら海に突き飛ばされて、「ふざけるな」と思うでしょう。
追いかけてあやまらせ、クリーニング代くらいもらってもよさそうです。
でも、幸之助さんは一言、「ああ、夏でよかった」と言いました。
そして、文句を言ってやろうと息巻く秘書に向かって、

「馬鹿者。
 今から文句を言ったからといって、私は海に落ちないで済んだのか。
 海に落ちないで済むなら、いくらでも文句を言いに行く。
 だが、そんなことはありえない。
 いまさら文句を言ったところで
 私が海に落ちたという事実は何も変わらないじゃないか。
 先を急ぐぞ

そう言って、ぬれたスーツを手で払いながら、さっさと歩きだしました。

 

 

 

 

限られた命だからこそ、無駄遣いはできません。

本当に大切なことに集中してこそ、

「尊厳な生命」といえるのではないでしょうか。

 

 

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最近、「マインドフルネス」という、瞑想法が流行っています。

テレビでも度々紹介され、書籍もたくさん並んでいます。

 

仏教、特に座禅を基にしたストレス解消法の一つですが、

特徴は、「今ここに」集中する、ということでしょうか。

 

人間の悩みの多くは、

「過去」を思い出しては、悶々と囚われ、後悔し、

「未来」を想像しては、今から不安になってしまう。

 

過去や未来に悩まされないよう、「今ここに」集中することで、

脳をリラックスさせ、気持ちを楽にしようということのようです。

 

 

これは、裏を返すと、

マインドフルネスのように、余程意識しないと、

 

私達は、「今」を生きている時、

「過去」の様々なことに影響され、

「未来」を期待したり、不安になったりしている、ということでもあります。

 

このことを、同じく仏教を説いたブッダは、

次のように表現しています。

 

過去の因を知らんと欲すれば、現在の果を見よ。

未来の果を知らんと欲すれば、現在の因を見よ。

 

現在受けている結果は、過去の種まき(原因)による。

現在の種まき(原因)が、未来受ける結果を生み出す。

 

過去、現在、未来は、

原因と結果の関係でつながっているということです。

 

原因と結果の関係があるからこそ、

過去、現在、未来と、一貫した「自分」があるともいえると思います。

 

因果関係あればこそ、

自分の言動にも気を払います。

 

未来、幸せになりたいから、少しでも今から善いことをしよう。

後々、苦しみたくないから、悪いことはしないようにしよう。

 

今の自分の言動を、良くも悪くも縛るのは、

その結果は自分に返ってくる、

自らに由る(自由)だからこそ、です。

 

自縄自縛とも、

自業自得とも、

自因自果とも言われます。

 

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病に襲われ、それまでの自分の人生を振り返った時、

これからの生き方をガラッと変える患者さんがいます。

 

死を覚悟したとき、

死ねばどうなるのか、その不安と対峙すると、

それまでの人生を走馬灯のように振り返らずにおれないと語る人もいます。

 

自分の人生を振り返り、

自信満々で、一切後悔がない人はいません。

良識ある人ほど、反省の言を述べられる方が多いように思います。

 

自分の弱さ、悲しさ、醜さに気づくのは、

人間の本質に近づけばこそと、拝さずににおれません。

 

洋の東西を問わず、それは語り継がれてきた人間の姿でもあります。

 

 

「不安の概念」でキルケゴールは、「不安」の本質を次のように述べています。

 

 不安は先回りする、

 それは結果を、それがやってくる前に、見つけるのである。

 

 

同じことを、「侏儒の言葉」で芥川龍之介も念を押しています。

 

 罰せられぬことほど苦しい罰はない。

 それも決して罰せられぬと神々でも保証すれば別問題である。

 

 

 

これら2人の思想に共通するのは、

「まいたタネは必ず生える」 という世の道理です。

 

まいたタネは必ず生えるからこそ、

未来の不安は、自己を見つめ抜く、

「汝自身を知れ」という、人間永遠のテーマに行きつきます。

 

未来が暗いと、現在が暗くなる。

現在が暗いのは、未来が暗いからである。

死後の不安と現在の不安は、切り離せないものであることがわかる。

後生暗いままで明るい現在を築こうとしても、できる道理がないのである。

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死とは何か、

死ねばどうなるのか、

という、必然の未来への究極の問いは、

自分自身の心を、徹底的に見つめ抜くことでしか、

答えにたどり着けないのだと思います。

 

 

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「まいた種は、必ず生えますよ」

 

患者さんに伝えたいと思うことの、一つです。

 

 

「もう何もできない、

 生きている意味がない

 どうせ、病気は治らない、未来はない。。。」

 

そう嘆く患者さんと接する時、

どんな言葉をかければいいのか、とても悩みます。

 

前回の記事に書いたように、

鏡となれるよう、相手の言葉をそのまま返す事が、

一つの対応の仕方であり、

相手を傷つけにくい、かつ信頼関係を築きやすい対応だと思います。

 

そこから、もう一歩踏み込んで、

何かを伝えることができるとしたら、

希望を持ってもらうとしたら、どんな言葉をかけたらいいか、

とても難しい問題です。

 

「まいたタネは、必ず生える」

 

よく言われるこの言葉は、諸刃の言葉かもしれません。

 

希望を抱くか、絶望するか、それはその人の気持ち次第。

 

だからこそ、どんな場面で使うかはとても難しいところです。

 

 まだ善の報いが熟しないあいだは、善人でもわざわいに遇うことがある。

 しかし善の果報が熟したときには、善人は幸福に遇う。

      (120)

 

 

 

ブッダの因果律(因果応報)は、

自己の心を見つめ、人生を振り返らせてくれる、不思議な教導です。

 

原因に応じた結果が現れる。

 

そこに善悪の指摘はなくとも、否応なしに自分の種まきを反省させられます。

 

現在の病に苦しむ人は

「なぜこんな目にあわなければいけないんだ・・・」

そう嘆く人は少なくありません。

 

同時に、

これからどうすればいいのか、どうなるのか、

未来への不安も抱かずにおれません。

 

でも、どんな状況でも、

過去は変えられなくても、未来は変えられます。

他人は変えられなくても、自分の種まきは変えられます。

 

自分の運命から目を反らすな、

自分自身の心を見つめるところから始まるのだ、

と、逃げたくなる弱さを厳しくも、優しく、

地に足の着いた時間をもたらしてくれる気がします。


そんな願いを込めて、

「まいたタネは、必ず生えますよ」と伝えたいです。

 

ブッダの言葉に、こんな言葉もあります。

 

過去の因を知らんと欲すれば、現在の果を見よ

未来の果を知らんと欲すれば、現在の因を見よ

 

 

 

現在の自己を見つめることで、これまでの生き方を反省し、

未来に希望を持つために、現在の種まきを考えなおす。

他の誰でもない、自分の人生は自分で決め、自分の種まきが生み出していく。

 

これは、否定しようとすればするほど、

不安が大きくなるように思います。

因果応報を否定したい気持ちは、

自分の種まき・生きざまを否定したい心と同じだからです。

 

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「自分に由る」、本当の「自由」は、

この「因果律」を知り、希望を捨てずに、

未来の幸せのための種まきは、決して無駄にはならないはずだと、

希望の光に向かって、今日という一日を生きていけることだと思います。

 

 

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