本好き精神科医の死生学日記 ~ 言葉の力と生きる意味

「こんな苦しみに耐え、なぜ生きるのか…」必死で生きる人の悲しい眼と向き合うためには、何をどう学べばいいんだろう。言葉にできない悩みに寄りそうためにも、哲学、文学、死生学、仏教、心理学などを学び、自分自身の死生観を育んでいきます。

長足の進歩を果たした現代の医療は、
深い問いを人間になげかけています。

「必ず死ぬのに、なぜ生きるのか・・・」

真面目な患者ほど悩み、
やさしい医療者ほど燃え尽きてしまうこの問い。

でもこれは、
「人間に生まれてきてよかった、
 大変だったけど生きてきて本当によかった」

と幸せな人生を送るためには避けては通れません。

専門家でもなく、一般の人とも違う“研修医”だからこそ見えることもあるはず。

最近の連載
>>「医療現場で考える、やさしさの死生学」(仮題)

後学のため、ご感想を頂ければ幸いです m(_ _)m


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人は、死と向き合うとき、
死と向き合わざるを得なくなった時、
どんなことを思うのでしょうか。
どんなことを後悔し、どう感じ、何を恐れ、何を求めるのか。

わかるようでわからない、
このことについて、臨床経験と様々な文献をもとに考えてみたいと思います。

緩和ケア医の岡部健医師は、自身がガンの宣告を受け、
「死への道しるべ」がない、ことを問題提起しています。


自分ががんになって、
初めてケアされる側に立たされてから分かったことがずいぶんあった。
その一つが、人が亡くなる時に伴う“闇に降りていく感覚”である。
がんになって、いざ死んでいくことを考えたとき、
闇の方にどうやって降りていけばいいのか、その“道しるべ”がないのだ。

 (文藝春秋 2012年 06月号より)




死生学を学ぶ、ということは、

避けられない死と、本当に向き合ったときに、
人は何を求めて生きるのか、
どんなことに生きる意味を見出すのか、

そういうことを学ぶということではないかと思います。

頭では、
「人間いつか必ず死ななければならない」
ということは、もちろん分かっていますが、
本音では「まだまだ先かな」と見て見ぬふりをしがちです。

そもそも「自分の死」は、いつも想定外で、
どれだけニュースで死亡事故や事件を見聞きしても、
それはあくまで「他人の死」です。

私たちの人生は、ある日突然終わりを告げるかもしれません。
病の宣告を受け、徐々に肉体が衰弱し、息を引き取るのかもしれません。
ピンピンコロリが本当にいいのか、
考える時間があった方がいいのか、
それは、人それぞれ価値観の違いなのかもしれませんが、
個人的には、きちんと自己と向き合って、死を見つめてから、本当の終わりを迎えたいと思っています。



歎異抄に「火宅無常の世界」という言葉があります。
私たちの住む世界を表す言葉です。



火宅とは、火のついた家。
安心して居られるはずの家も、実は刻々と火が燃えうつっていて、落ち着くどころか今にも崩れるかもしれない不安な状態。

無常が無常と分かれば、どれだけ不安だろうかと、警告されています。

無常とは、常がないこと。続かないことです。
何もしていなくても、時は流れていきます。
自分も周りの人も歳をとるし、世界も移ろう。
変化は楽しいこともありますが、不安でもあります。

安心か満足か、両立は難しいですが、どちらがいいでしょうか?
変化がないのは、安心だけど退屈。
変化があるのは、満足できるけど大変。

そして、不安は幸福の只中にいる、ともいわれます。
「怖いくらい幸せ」とは、頂上には長くいられない、不安と無常を表すわかりやすい一言です。

1つ1つの出来事が変わり移ろい、続かないのも寂しいことですが、やがて自分にとっての世界そのものが崩れる時があります。必ず。

その意味で、すでに、家に火はついているのです。

病気になってから、家に火がつくのではありません。
私たちは最初から、火宅に住んでいるのでした。
そんな火宅無常の世界で、私たちは今日も生きています。

普段はそんなこと考えずに生活していますが、やがて考えずにおれなくなる時は来ます。
避けられない未来は、しかもいつ来るかわからない。
早ければ今晩かもしれません。

抜き打ちテストの勉強は、ぶっつけ本番か、今から備えるか。

過去問があるなら、早めに手に入れたいところです。
死への道しるべも、同じではないでしょうか。

無常を観ることは、悲観的になることではありません。「死んだら死んだ時さ」と開き直って楽観的になることでもありません。

現実を観ることは、ごまかさない、後悔のない生き方をする、第一歩です。



無常観について、続けます。

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ブログを書き始めて以来続けている死生学の勉強を、
そろそろ”もう一段階”深めたい。

そう悩む今日この頃です。


先日、ドラマ「相棒」スペシャルで、
「いわんや悪人をや」というタイトルがあり、心に引っかかっています。

歎異抄の「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」
からだと思いますが、意味深な一文です。

以前から、歎異抄の勉強はしてみたいと思っていましたが、
最近、NHK「100分de名著」で取り上げられたり、
センター試験倫理でも出題されたり、
目にすることが多い気がするので、
ここで気合を入れて、学んでみたいと思います。

以下、「100分de名著」のサイトから引用

「歎異抄」ほど一宗派の壁を超えて、多くの人たちに読み継がれている宗教書はありません。西田幾多郎、司馬遼太郎、吉本隆明、遠藤周作等々……数多くの知識人や文学者たちが深い影響を受け、自らの思想の糧としてきました。また、信徒であるないに関わらず、膨大な数の市井の人々の人生の指針となってきました。なぜ「歎異抄」はここまで強く人々の心を惹きつけてきたのでしょうか?「100分de名著」では、「歎異抄」から一宗教書にはとどまらない普遍的なテーマを読み解き、現代人にも通じるメッセージを引き出していきたいと思います。(中略)
ままならぬ東日本大震災からの復興、世界各地で頻発するテロ、拡大し続ける格差社会……なすすべもない苦悩や悲嘆に直面せざるを得ない現代、「歎異抄」を現代的な視点から読み直しながら、「自分自身の闇に向き合うというのはどういうことか」「思い通りにならない現実とどう向き合えばよいのか」といった実存的な問いを掘り下げ、「人間はどう生きていけばよいのか」という根源的なテーマを考えていきます。
(100分de名著 歎異抄)



「翔ぶが如く」「竜馬がゆく」でも有名な司馬遼太郎氏は、
「無人島に一冊の本を持っていくとしたら『歎異抄』だ」
と言い残したそうです。


「人間はどう生きていけばよいのか」といえば、
最近、「君たちはどう生きるか」も話題です。



人は、なぜ生きるのか。
そして、どう生きるか。

今年は、精神病理、人間観、死生観について考え方をもう一歩深めるため、
「歎異抄」を中心に、色々学ぶことにしました。
座右の書「なぜ生きる」でも、親鸞の言葉は色々学んでいますが、
何か一つの古典を、一点集中で学ぶことで得られることも多いと思うので。




ある、ガン末期の患者さんが
「俺は、欲の塊だ」
とつぶやかれたのも、未だに忘れられません。

どんな心境だったのか、いまとなっては分かりませんが、
少しでも理解できるように、
歎異抄でいわれる「悪人」や「煩悩具足の凡夫」などを学んでいきたいと思います。






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精神科には、
心に病を抱えた方や、
心が疲れてしまった方が多く受診されますが、
こころを診るだけが精神科医では、ありません。
(と、私は思っています。)

また、そう胸を張って言えるように
勉強していきたいと思っています。

食事や睡眠、運動、飲酒など、生活習慣を整えることで、
心の状態も改善することが少なくありません。

こういう考え方は、これからどんどん広がっていくのではないかと思います。
また、そう願っています。


そのための、精神科おススメのブックリスト(参考書)です。

たとえば、睡眠からのアプローチを大切にしている参考書としては、
埼玉県の獨協医科大学越谷病院こころの診療科の井原裕 教授の、
「生活習慣病としてのうつ病」







食事面からのアプローチなら、
こういう本もあります。






呼吸法も大切にしていきたいと思っています。
口呼吸よりも、「鼻呼吸」。
寝る時に口があいてしまって、渇く方にもおすすめです。
朝起きると頭痛がするとか。
熟睡できない場合は、睡眠薬を増やす前に、ぜひ鼻呼吸をお試しください。
(口呼吸から、鼻呼吸に直すための方法として、あいうべ体操も有名です。)








運動は、早歩きでも十分効果があります。鼻歌が歌える程度の速さで。
面白かった本はこちら。





認知行動療法の一種として、
最近話題なのが、マインドフルネス。
人が不安になったり、考えすぎて疲れるのは、
主に、過去のことで後悔したり、未来のことを考えすぎて心配・不安になることが多いのです。
不安になることを考えないようにしようとしても、
かえって意識して考えてしまうので、頭の中だけで整理しようとしても、
どうしてもうまくいきません。

だから、過去のことや先のことでグルグル悪循環に陥らないように、
「いま」に気持ちを集中して、落ち着ける方法です。
具体的には、今の体の動きに意識を向ける、ということ。
人は、2つも3つも同時に別々のことを考えられないため、
あえて一つに意識を向けると、かえって気持ちが落ち着く、という原理。
具体的には、
呼吸するさいのお腹の動きに意識を向けたり、
歩きながら、足の裏の刺激に意識を向けたり、
食べながら、匂いや歯ごたえや触感など一つ一つに意識を向けたり。

色々な本がでています。





こういう、薬の治療以外でも患者さんと向き合い、
治せるところはきちんと治し、
そのうえで、必要に応じて、患者さんの心と正面から向き合い、
時には、人生について、死についても聞き、相談に乗れるように、常に心の準備をしておきたい。

そんな医者を目指していきたいと思います。


また、自分自身の健康管理をして、気持ちを安定させておかないと、
落ち着いて話を聞く余裕がなくなってしまうので、
自己管理はとても大切です。


今年も、どうぞよろしくお願いいたします。







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信頼関係を築くために大切なことの一つに、
「一貫している」
ということがあるかと思います。

治療方針だったり、
医者としての信念だったり、
根っこの部分がコロコロ変わってしまうと、
態度や接し方もフラフラして、
どうしても信じられなくなってしまいます。

人は不安になると、
ああした方がいいのではないか、
こういう方法はどうか、と、
色々な治療法を試したくなったり、
一度決めたことでも、本当にいいのだろうか、
大丈夫だろうかと、優柔不断になりがちです。

また、
患者さんの気持ちに寄り添おうとしすぎると、
情に流されて、冷静な判断ができなくなったりもします。

自分の感情がどう揺れ動いているか、
冷静に見つめる自分がいないと、
ついつい、よかれと思いながらも、
安易な判断をしがちで、
結果的に不適切な対応になることもあり得ます。

相手に合わせるといえば、聞こえは良くても、
合わせすぎるのは、流されているだけかもしれません。

あくまで自分の信念を貫く、という場合も、
相手の気持ちを無視して、大切なものを見失っているかもしれません。

患者に寄り添う医者がいいか、
冷徹でも腕がいい医者がいいか、
みたいな二者択一の議論がありますが、
実際に色々経験してみて、たしかにこの両極端になりがちだなあと、
最近、感じています。

でも、これはどっちの方がいいかという問題ではなくて、
どっちも目指してこその専門家です。

優しさと厳しさは、兼ね備えてこそ、それぞれが意味を持ちます。

優しいだけなら病気は治せないし、
厳しいだけならそもそも治療が始まらない。

「人は変わらざる中心がなければ、変化に耐えることができない。」
(7つの習慣)

相手に応じて変わり、寄り添うためには、
変わらざる信念が必要です。

寄り添うための、変わらない信念が。

それが、患者の安心につながります。

一貫しているとは、
融通が利かないということではなく、
頑固ということでもなく、
熟慮を重ねた上で、自分の芯をつくることかと思います。

必要があれば、それを変える場合もありますが、
変えるならば、それなりの覚悟をもって変えるもの。


「変わらない」「一貫している」ということが、
安心や信頼につながるということも、
これから意識していきたいと思います。


今年も一年、ありがとうございました。

来年も、どうぞよろしくお願いいたします。





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患者さんと接すると、
色々な価値観にあいます。

病気で苦しんでいるという点では共通していますが、
その苦しみから、
他人にイライラをぶつけている人もいれば、
世話をしてもらっていることに感謝している人もいます。

医療者にも気を遣われる方もいれば、
大きな声で不満をあらわにする人もいます。

医者になってから特に
大切にしている言葉があります。

「困った人は、困っている人」

自己中心的だったり、
調子のいいことばかり言っていたり、
急に弱気になったり、
弱音を吐いて周りにすがったり、
いうことがコロコロ変わったり、
「困ったなあ」という人に、色々なところで出会います。

でも、そういう人の話を聞いていると、
大抵、何か苦しみを抱えています。
病気の痛みだったり、
家族関係の悩みだったり、
経済的な心配だったり、
将来への不安だったり、
事情は人それぞれですが、
皆「困っている」ために、
自分で自分をコントロールできなくなって、
周囲に当たってしまっていることが多いように感じます。

「困った人」を見ると、
恥ずかしいなあ、とか、
自分はああはならないようにしよう、とか、
もうちょっと周りの迷惑も考えてほしいなあ、とか、
こっちだって忙しいのに、とか、
色々な思いが去来します。

でも、一呼吸おいて、
自分の都合はひとまず置いておいて、
この人にも何か事情があるんだろうと、相手目線になろうとすると、
「困っている人」に見えてくるから不思議です。

「困った人」には手を差し伸べにくいですが、
「困っている人」には、やさしくなれます。
話を聴こうと思えます。

色々な人が、色々なことを言って、
ぶつかったり、ケンカしたり、争ったりしていますが、
どこかで、相手を思いやる余裕があれば、
もうちょっと、世界も変わるのではないかと思います。

自分は悪くない、相手が悪い、と、
自分と相手に差をつけて、見下していると、
あとあと、自分自身がちっぽけな人間だなと、卑屈になってしまいます。

人間だれしも、違うようで、中身はそんなに違わない気がします。
みんな、何かしら悩み苦しんでいます。
だけど、苦しみから逃れたくて、幸せになりたくて、必死でもがいています。

それは、過去の自分の姿かもしれないし、
未来の自分の姿かもしれません。

特に、死と向き合う患者さんは、
確実な、未来の自分の姿でもあります。

そんなとき、
自分ならどう接してほしいだろう、
どんな言葉をかけてほしいだろう。

よく「患者さんは、自分の家族、親だと思いなさい」
と指導されますが、
家族どころか、将来の自分自身だと思えば、接し方はもっと違ってくるはずです。

他人事ではありません。
正解はないかもしれませんが、
あきらめることも、手を抜くこともしたくありません。

人はなぜ生きるのだろう。
死ねばどうなるのだろう。

自分に悔いの無い生き方をしているだろうか。

そう問い続けることが、医師であり続けることだと思います。




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