本好き研修医の死生学日記 ~ 言葉の力は生きる力

「こんな苦しみに耐え、なぜ生きるのか…」必死で生きる人の悲しい眼と向き合うためには、何をどう学べばいいんだろう。言葉にできない悩みに寄りそうためにも、哲学、文学、死生学、仏教、心理学などを学び、自分自身の死生観を育んでいきます。

長足の進歩を果たした現代の医療は、
深い問いを人間になげかけています。

「必ず死ぬのに、なぜ生きるのか・・・」

真面目な患者ほど悩み、
やさしい医療者ほど燃え尽きてしまうこの問い。

でもこれは、
「人間に生まれてきてよかった、
 大変だったけど生きてきて本当によかった」

と幸せな人生を送るためには避けては通れません。

専門家でもなく、一般の人とも違う“研修医”だからこそ見えることもあるはず。

最近の連載
>>「医療現場で考える、やさしさの死生学」(仮題)

後学のため、ご感想を頂ければ幸いです m(_ _)m


テーマ:

 

「聴く力」と同じくらい、あるいはそれ以上に大切だと思うのが、「言葉の力」です。

 

自分の苦しみを言葉にすることで、気持ちが落ち着くことはもちろんですが、

苦しいとき、ツラいときには、何かの「言葉」を求めます。

 

「言葉の処方箋」

 

「匙加減より、舌加減」

 

などとも言われるように、時には薬以上の効果が、言葉にはあります。

 

哲学者の池田晶子さんは、それをこう強調されています。

 

【言葉の力】

 

水がなければ魚は死ぬ。水の外に出ると魚は生きてはいられないんですよ。

我々にとって言葉とはそういう存在、それがなければ生きてゆかれないもの、したがってそれは「生命」そのものなのですが、人はそうとは思っていない。生命と言うのは、この物理的生命のことだ世ばかり思っているから、その物理的生命を維持するための「現実」にとっては、言葉なんてのは「しょせん」言葉にすぎないと、そう甘く見ているわけですよ。

 

しかし、それならたとえば、その物理的生命、それが明日失われることが確実となったと、こう想像してみてください。明日、私は、確実に死ぬ。こう分かったとき、あなたはどうしますか。

 

まずはとにかく八方手を尽くして、何とか生き延びる手立てを探すでしょう。生き延びようと試みるでしょう。しかし、それは不可能だと、いかなる手立てももはやないと分かったら、どうしますか。

 

あなたは、必ず、「言葉」を求めるはずです。生死すなわち人生の真実を語る言葉正しい考えを語る正しい言葉を、必ず求めるはずなのです。

そうしてそれを古今の哲学書、宗教書、聖書や経典の中に探し出そうとするでしょう。苦難や危機に際して人が本当に必要とするものは、必ず言葉であって、金や物ではあり得ない。明日死ぬのか、気の毒だから一億円あげよう。これでその人は救われますかね。

 

だから、人を救うことが出来るのは言葉であって、その意味で言葉こそが命なのだと、わたしは言うわけです。そんなのは極端な話であって、普段の日常ではやはり生きるのが先決なのだと、なお人は言うかもしれません。

しかし、我々の日常とは、よく考えてみると、明日死ぬ今日の生、その連続以外の何ものでもない。なのにどうして人は、言葉を求めずにお金を求めるのか。

世の中が息苦しくなっているのだって、言葉が汚れ、汚れた水の中で生きられなくなっているからにほかならないのですよ。

 

 

 

 

これからも、

いろんな人と話をして、

たくさんの本を読んで、

患者さんのため、

大切な人のため、

自分自身のために、真実の言葉を探していきたいと思います。

 

 

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話を聞くということは、相手の気持ちを受け止めるということです。
 
その際には、何を言っても「否定されない」という安心感が何より大切です。
 
でも、そういう聞き方は、思いの外難しいものです。
 
知らず知らず、相手を傷つけてしまう聞き方をしてきたことが何度あったか、
反省せずにおれません。
 
最近は、聴くことの意味、大切さを学んでいます。
 
 
 
ことばが《注意》をもって聴き取られることが必要なのではない。
《注意》をもって聴く耳があって、はじめてことばが生まれるのである。
 
ことばは、聴くひとの「祈り」そのものであるような耳を俟(ま)ってはじめて、
ぽろりとこぼれ落ちるように生まれるのである。(中略)

《聴くことの力》、それは、祈るような沈黙の中に

おそらくはあるのだろう。
 
 
 
 
 
聴くことの大切さを教えてくれる、ステキな詩も見つけました。
 

聞くこと

 

私が「聞いて」と言っているのに

あなたは、私にいろいろアドバイスをくれる
それは私が頼んだことじゃないのに

私が「聞いて」と言っているのに

あなたは、“正しいこと”を話し始めて

「・・・だから、考えすぎだって」

と、私の話を止める

私の気持ちは踏みにじられる

私が「聞いて」と言っているのに

あなたは、私の問題を解決してくれようとする

ちょっと変に聞こえるかもしれないけれど

それは私を裏切ること


聞いて!

私は「ただ聞いて」「ただ耳を傾けて」と頼んだだけ

「何か話して」とか「何かして」と頼んだ訳じゃないの

 

アドバイスなんて安いもの

20セント払って新聞を一部買えば

アビー伯母さんの人生相談と

ビリーグラハム師のお説教が一緒に載っている

 

そもそも、私だってわかっているのよ

力がないわけじゃない

ガッカリして落ち込んでいるかもしれないけれど

何もできないわけじゃない

 

私が自分でできることや、自分でしなければならないことを

あなたが代わりにやってくれようとすることは

私の不安や無力感を大きくするだけ

 

私には私が感じていることがあるのだから

それがどんなにおかしなことに聞こえても

それをただそのまま受け入れてほしいの

 

そうしたらムキにならずに済むから

自分の〝変な気持ち〟の裏にあるものを

あなたに説明することができるから

 

人が、時々だけど

何かに祈ったり、信じたりするのも

そういう理由からなのかも

 

静かに、ただ聞いてほしいから

アドバイスしたり、解決してやろうと

実際に何かしてくれるわけではないからこそ・・・

 

私の話を聞いてくれるだけで

私が自分で解決するのを、見守ってくれるだけでいいの

 

だからお願い

私の話を聞いて

私の話に耳を傾けて

 

あなたにも話したいことがあるなら

ちょっとだけ待ってね

次はあなたの番だから

あなたの番になったら

今度は、私があなたの話を聞くから

(一部改編)
 
 

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もとは海外の詩です。
原文もご紹介します。

“Listen”

 

When I ask you to listen to me 

and you start giving advice, you have not done what I asked. 
 

When I ask you to listen to me 

and you begin to tell me 

why I shouldn’t feel that way, 

you are trampling on my feelings.

 

When I ask you to listen to me 

and you feel you have to do something 

to solve my problems, 

you have failed me strange at that may seem.

 

Listen!

All I asked was thet you listen,

not talk or do -- just listen.

 

Advice is cheap;

twenty cents will get you

both Dear Abby and Billy Graham

in the same newspaper.

 

And I can do for myself.

I'm not helpless.

Maybe discouraged and faltering,

but not helpless.

 

When you do something for me

that I can and need to do for myself,

you contribute to my fer and inadequacy.

 

But when you accept as a simple fact
that I feel what I feel,
no matter how irrational,
then I can stop trying to convince
you and get about this business of understanding 

what’s behind this irrational feeling.

And when that’s clear, the answers are
obvious and I don’t need advice.
Irrational feelings make sense when
we understand what’s behind them.

Perhaps that’s why prayer works, 

sometimes, for some people –

because god is mute,
and he doesn’t give advice or try to fix things.
They just listen 

and let you work it out for yourself.

So please listen, and just hear me.
 

And if you want to talk, 

wait a minute for your turn 

– and I will listen to you.

Author Unknown

 

 

 

もっと、聴くことの力が強調されてもいいと思います。

 

まずは自分から。

 

 

 

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ケアは、決してキレイゴトではできません。

人間のエゴや醜さ、隠していた一面が、
ふと現れてしまうこともあります。

ケアされる側も、ケアする側も…。



一生懸命、真面目にケアする人ほど、
「人間の本性」と、向き合うことになり、
いわゆる「燃え尽き症候群」になりやすいと言われます。

特に終末期の患者さんの場合、
寄り添うといっても、その苦しみ悲しみはあまりに深く重いため、
真摯に向き合おうとすればするほど知らされるのは、「己の無力さ」ばかりです。

無力さに襲われると、
結局、自分がしていたことは、自己満足だったんじゃないか、
本当に相手のためと思ってやっていただろうか、と、自己の罪悪にも思いが巡ってきます。



ここで大切だと思うのは、
それが「罪悪感」なのか、「罪悪観」か、ということです。

罪悪「感」は、感情です。
悪いことしたかもしれない、申し訳ない、自分は無力だ、と「自分を責める」感情。

感情は、良くも悪くも続かないもの。

そして、成長の糧にはなりにくいものです。


対して罪悪「観」は、自己の心を見つめること。
心の動きを観察し、客観視して、反省して、成長を促すものです。

そこでは、自己満足に陥りがちな自分に気づいたり、
なんとかすれば誰かの力になれると安易に考え、自惚れていたことに気づいたり、
人間の限りない欲、満たされない願望の悲しさを目の当たりにしたり、
寂しさのあまり怒りをぶちまけてしまう人間の哀しさを観たり、
自己の誤ちを認められずに、誰かのせいにして愚痴の塊になる醜さを観たり。。。


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罪悪観は、人間の心を見つめることであり、
人の罪悪を学ぶことです。

優しくあることは決して当たり前ではないことに気づくこと、
誰しも、余裕がなくなれば人間の醜さが露わになってしまうこと、
人の罪悪と人の苦しみは、表裏一体であることなど、
色々な学びがあります。


ケアに取り組み、人に優しくあろうとすることで、罪悪観は深まるのだと思います。

強く光に向かうほど、影が濃くなるように。


そしてまた、罪悪観が深まることで、
優しさの有難さに気づいて、より優しくなれるように思います。


自分の弱さと向き合えることが、本当の強さであると言われます。

本当に強い人は、優しい人だとも言われます。


強がらない強さ、
罪悪と向き合える素直さ、
反省して次に活かせる誠実さを
ケアの実践を通して身につけていきたいと思っています。


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キュア(治療)は主に医師が、

ケアは主に看護師が、

そんな大まかな役割分担で言われることがあります。

キレイに分けられるものでもないですが、ケアについて最近よく考えます。


ケアとは、「患者のお世話をすること」と言われることが多いと思いますが、
決して簡単なものではありません。

ケアは、その根底に「哲学」があり、
深い意味を伴うこともあり、
これは医者も是非学ばねば、と思い、
最近興味を持っています。



ケアに関心をもつきっかけになった言葉があります。


ケアは、一方通行ではいけない


ケアする側と、ケアされる側。

表面上はどうしてもこの違いは生じますが、
それが心理的な負担になることがあります。

一方的に何かをしてもらうのは、
ありがたい反面、申し訳なくもあります。


受け身でい続けると、
してもらって当たり前になってしまったり、
やろうと思えばできることも、やる気を失ってしまったり…。

キレイゴトではやってられない世界です。



「一方通行ではないケア」とは、
どんなものでしょう?



情けは人の為ならず。

幸せは、与えるほどに増えるもの。

東洋では自利利他、

西洋ではwin-winの法則とも言われます。


ケアしていたつもりが、ケアされていた。

そんな感覚のようです。



ボランティアなどではよく聞かれる感想です。

「手助けに行った自分が、かえって元気をもらいました」

「必死に生きておられる姿に励まされた」



「人間」の幸せは、人と人の間にあるもの。

そんな心の触れ合いを大切にする医療を目指したいです。




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「沈黙」は技術ではない。
「待つ」のが技術なのだと教わりました。
 
「沈黙」は関係の中で生まれるものですが、
「待つ」のは自分にできること、自分次第でできることだからです。
 
ことばが《注意》をもって聴き取られることが必要なのではない。
《注意》をもって聴く耳があって、はじめてことばが生まれるのである。
 
ことばが大きなミットで受け止められる、迎え入れられるという、
あらかじめの確信がないところでは、ひとはことばを相手に預けない

 

 

「沈黙」は、試されている時間なのかもしれません。

 

「本当に、私の苦しみを受け止めてくれますか。

 誤魔化さずに聴いてくれますか」と。

 

受け止めてもらえない、裏切られるかもしれないと思ったら、

信じて、気持ちを吐き出せません。

 

「注意をもって聴く耳」とは、

一言一句を聴き取ることではなく、

覚悟をもって受け止めますよ、という「心の姿勢」なのだと思います。

 

その覚悟を伝えることが、「待つ」ということなのかもしれません。

 

それは、

「沈黙の向こうにある、声なき声を聴くこと」とも言われます。

 

 

静かだけれど、重い、言葉なき会話を大切にする。

 

医師としての、一つの理想像です。

 

 

 
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