本好き研修医の死生学日記 ~ 言葉の力は生きる力

「こんな苦しみに耐え、なぜ生きるのか…」必死で生きる人の悲しい眼と向き合うためには、何をどう学べばいいんだろう。言葉にできない悩みに寄りそうためにも、哲学、文学、死生学、仏教、心理学などを学び、自分自身の死生観を育んでいきます。

長足の進歩を果たした現代の医療は、
深い問いを人間になげかけています。

「必ず死ぬのに、なぜ生きるのか・・・」

真面目な患者ほど悩み、
やさしい医療者ほど燃え尽きてしまうこの問い。

でもこれは、
「人間に生まれてきてよかった、
 大変だったけど生きてきて本当によかった」

と幸せな人生を送るためには避けては通れません。

専門家でもなく、一般の人とも違う“研修医”だからこそ見えることもあるはず。

最近の連載
>>「医療現場で考える、やさしさの死生学」(仮題)

後学のため、ご感想を頂ければ幸いです m(_ _)m


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病院近隣の中学校から、

「14歳の挑戦」という、体験実習の中学生が病院に来ていました。


外来見学したり、

看護師の業務を手伝ったり、

看護助手と患者さんの身の回りの世話をしたりと、

色々経験していったようです。


交流会で、医者代表として参加した際に、

こんな質問を受けました。

「中学校の勉強は、今も役に立っていますか?」


ん~、いい質問ですね!(池上彰 風に)


これは、僕も知りたかったことです。



でも、今思うと、やっぱり学校の勉強は、

医者になるまでにちゃんとつながっていると思います。


数学は、正確な計算力を培うのはもちろんですが、

物事を細かく、丁寧に、一つ一つ考える力を養うためだったと思います。

病気について考える時も、一つ一つの症状や検査結果から、

論理の飛躍なく、一つ一つをきちんと考えて、つなぎ合わせる作業です。

直観が働くのは、ベテランになってからでしょうから、

特に始めのうちは、この数学的な論理的思考力が重要になってくる気がします。

数学が得意だったという周りの研修医は、やはり優秀な人が多いです。

(ちなみに、私は数学は苦手・・・。)


あとは国語。

患者の大半は、人生の大先輩。

同年代の人とばかり付き合っていては、

考え方や、人生観の違いについていけません。

言葉、文章を通じて、様々な考え方に触れることは、

とても大切なことだと思います。

中学校や高校の国語は、

当時は、なんだか型にはめられた問題ばかりに感じていましたが、

これもやはり、多少お堅くても、

論理的に他人の心情を推し量る練習だったように思います。



とまあ、そんな真面目な話もしつつ、

好きな漫画は「ワンピース」、なんて話題でも盛り上がり、

皆さん空気を読んでくれたのか、

一番人気は、ドクター「チョッパー」でした。



昔を思い出す、初々しいひと時でした。



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このブログでも度々紹介しております、
「なぜ生きる」が、この度アニメ映画化され、早速観てきました。

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この本がアニメ映画になるというのは、ちょっと想像できませんでしたが、
歴史アニメとしての映画化でした。
(室町時代の蓮如上人のお話)


映画館いくのは、何年ぶりだったかな?
「神様のカルテ」以来でしょうか。

里見浩太朗さんが主演声優でしたが、ところどころ水戸黄門みたいな笑い声でした(笑)

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著者の精神科医 明橋大二さんのコメントを紹介します。

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━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■この映画は、まさに、命のメッセージ!
 生きる意味を必死に探し求める青年・了顕は、
 今を彷徨う私たちの姿……
 (精神科医 明橋大二)
──────────────────────
精神疾患を患い、「世界が終わったような生活を送っていた頃に残されていた
のが音楽と今の仲間だった」ことから、Fukaseが名づけた「SEKAI NO OWARI
(世界の終わり)」という名のバンドは、ポップな曲に似合わぬ重い歌詞で、
多くの若者の共感を得ています。

私の診察室にも、「何のために生きなきゃならないか分からない」「どうして
死んではいけないの?」と問う人が、大人子どもを問わず、毎日のようにやっ
てきます。

目的地なしに走り続けることが地獄であるように、目的なしに生きることほ
ど、苦しい人生はありません。

「何のために生きるのか」「生きている意味は何か」

これは、人類永遠のテーマであると同時に、現代を生きる私たちにとって、極
めて切実で、リアルな問題でもあります。

むしろ、かつては巧妙に目隠しされていた現実が、ネットや情報技術の発展に
よって、白日のもとにさらされた、それが現代だといえるかもしれません。

だからこそ「なぜ生きる」を問うたこの書が、発売15年を経過してなお、老若
男女の共感を呼び続けることになったのだと思います。

このたび、この『なぜ生きる』が、「吉崎炎上」という歴史上の事実をもと
に、映画化されました。

舞台は、今から500年前ではありますが、この世の激しい無常を知らされ、生
きる意味を必死に探し求めた青年の姿は、今を彷徨う私たちの姿と、まるで二
重写しのようです。

一人でも多くの人に、この命のメッセージが届くことを願ってやみません。


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何か所も涙あふれる場面があり、
あらためて
「人はなぜ生きるのか」
「幸せとは何か」
を考えされられる1日となりました。


ぜひ観てみてください!




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夏目漱石の「完結」した小説では、
最後の作品となった、「道草」。


「修善寺の大患」と言われる、
胃潰瘍のため吐血して、生死を彷徨った後に書いた、
「後期三部作」(彼岸過迄、行人、こころ)の、
更に後にかいた、最後から二番目の作品です。

夏目漱石の自伝的小説とも言われるそうで、
漱石の心中の吐露と思われる表現がいくつもあります。


「道草」のキーワードは「片付かない」です。

これは、整理整頓の意味ではなく、
「片を付ける」、何かを「やり遂げる」という意味での
「片付ける」です。


最も心に残った名言は、

「人間の運命はなかなか片付かないもんだな」



■道草 夏目漱石

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健三の新たに求めた余分の仕事は、彼の学問なり教育なりに取って、
さして困難のものではなかった。
ただ彼はそれに費やす時間と努力とを厭いとった。
無意味に暇を潰つぶすという事が目下の彼には何よりも恐ろしく見えた。
彼は生きているうちに、何かし終おせる、
またし終おせなければならない
と考える男であった。



夏目漱石の小説に一貫しているテーマは、
やはりこの「生きる意味」の探求でした。

人間としてこの世に生まれてきて、
何か「生まれてきてよかった」と思える「何か」をし終おせなければならない。

でも、その「何か」が分からない。
学問や教育などの仕事も大事だけれども、
仕事をするために生まれてきたわけではない。

大病を患い、「死」を目の前にしても、
なお「意味ある」こととは何か。
その「意味ある」ことに、時間と努力を費やしたい。

それ以外は、自分にとっては「無意味」だとすら言います。

そんなことを考える男でした。



或日彼は誰も宅にいない時を見計みはからって、
不細工な布袋竹(ほていちく)の先へ一枚糸を着けて、
餌と共に池の中に投げ込んだら、
すぐ糸を引く気味の悪いものに脅かされた。
彼を水の底に引っ張り込まなければやまないその強い力が二の腕まで伝った時、
彼は恐ろしくなって、すぐ竿を放り出した。
そうして翌日静かに水面に浮いている一尺余りの緋鯉を見出した。
彼は独り怖がった。……



池の底に引きずり込まれるような、気味の悪いものに脅かされた。
その不気味さに、独り恐れる姿は、
まさに「死」が目前に迫った心境を表しているように思います。

死と向き合う人、患者の心境として、大きなものは、
「孤独」と「不安、暗い心」です。

自分の未来は、もはや「この世」ではなく、
有るのか無いのかも分からない「次の世界」。

お先真っ暗な未来に対して、準備もできておらず、
この世で為すべきことに「片を付けた」とも言い切れず、
自分のしてきたことに胸を張るには自信がなくて、
「次の世界」に引きずり込まれるように、
死にたくなくても、待ってもくれない。

そんな、不安が心を覆うといわれます。


漱石はそれは「生まれてきた目的」が分からないからだと
考えていました。
そして、その答えを必死に探し求めていました。


人通りの少ない町を歩いている間、彼は自分の事ばかり考えた。
御前は必竟何をしに世の中に生れて来たのだ
 彼の頭のどこかでこういう質問を彼に掛けるものがあった。
彼はそれに答えたくなかった
なるべく返事を避けようとした
するとその声がなお彼を追窮し始めた。
何遍でも同じ事を繰り返してやめなかった。
彼は最後に叫んだ。
分らない




「生まれてきた目的」、「生きる意味」を真面目に考え続ける漱石でしたが、
それを共に考える仲間は、あまりいなかったのかもしれません。

周囲の人たちは、そんなことなど考えず、
日々仕事に忙しい。
「生きる目的は、必死に働くことだろう」
とでも言わんばかりに、漱石を置き去りにしていきます。


彼はふと気が付いた。
彼と擦すれ違う人はみんな急ぎ足に行き過ぎた。
みんな忙がしそうであった。
みんな一定の目的をもっているらしかった。
それを一刻も早く片付けるために、せっせと活動するとしか思われなかった。
 或者はまるで彼の存在を認めなかった。
或者は通り過ぎる時、ちょっと一瞥を与えた。
御前は馬鹿だよ
 稀にはこんな顔付をするものさえあった。




「生きる目的?
 そんなことを考えてばかりいて、
 まともに働こうともしないなんて、バカのする事だ」

そんな視線を感じていたのでしょう。

これまでの小説でも、度々書いていますし、
漱石自身が、直接言われたことがあるのかもしれません。

どんなに頑張って働いて生きても、
やがて死んでいかなければならない。
「死」は必然の未来なんだから。
生きていくためには仕事も大事だが、
そもそも「生きて」いけなくなる時が必ず来るじゃないか。
誰にも、例外なく。
その時に、
本当に「生まれてきた喜び、生きてきた満足」が得られるか。
手遅れになってから、後悔しないか。

「生きる意味」を必死に探し求めるいらだちは、
哀しいかな、妻にも伝わりませんでした。

そして、漱石も半ば、アキラメてしまっていたのかもしれません。



「まだなかなか片付きゃしないよ」
「どうして」
片付いたのは上部(うわべ)だけじゃないか。だから御前は形式張った女だというんだ」
 細君の顔には不審と反抗の色が見えた。
「じゃどうすれば本当に片付くんです」
世の中に片付くなんてものは殆どありゃしない
 一遍起った事は何時までも続くのさ。
 ただ色々な形に変るから他にも自分にも解らなくなるだけの事さ」
 健三の口調は吐き出すように苦々しかった。
 細君は黙って赤ん坊を抱き上げた。
「おお好い子だ好い子だ。
 御父さまの仰る事は何だかちっとも分りゃしないわね」
 細君はこういい、幾度か赤い頬に接吻した。



夏目漱石は、
「生まれてきた目的」は何かを追い求め、
何か「し終える」、やり遂げるべきことがあるのでは、と考えます。

しかし、日々の生活の中では、
何をどれだけやっても「片付かない」。
うわべでは、ひと段落しても、
人生の本質的なところで、片が付いたとは到底思えなくて、
半ばあきらめかけます。


「人間の運命はなかなか片付かないもんだな」


片が付かないからこそ、進歩向上があり、
退屈せずに済むのでは、という意見もありますが、

ここで問題になっているのは、
「この世に生を受けた目的」です。

何かをし終え、成し遂げるべきことがあるのでは。。。

そんな疑問を、夏目漱石は抱き続けていたようです。



『なぜ生きる』では、

本当の生きる目的は、「なし遂げるべきもの」であり、
生まれてきた目的に片が付かないことの悲劇性が、
指摘されています。



【終わりなき道の礼賛?】

完成のないのは、なにも音楽の道だけではなかろう。
学問も芸術もスポーツも、みな円満成就というゴールはない。
「それがいいんだ、完成したら進歩がない」
「『死ぬまで求道』こそが素晴らしいのだ」
たいていの人は、そう言うにちがいない。

だが少し落ち着いて考えれば、
「『死ぬまで求道』が素晴らしい」とは、
百パーセント求まらぬものを、死ぬまで求め続けることの礼賛であり、
ナンセンスとすぐわかる。
求めるのは「求まる」ことを前提としているはずであるからだ。

死ぬまで「求まらぬ」と知りながら、求めつづけることは、
去年の宝くじと知りながら、買いつづけるようなもの。
“それでいいんだ”と、どうしていえるのであろうか。
“求まらなくともよい、死ぬまで向上、求める過程が素晴らしいのだ”
と言い張る人もあろうが、それは一時的な充実で、すぐに色あせる。
“人間に生まれてよかった”という生命の歓喜とは異質なもので、
真の人生の目的達成のよろこびを知っている人とはいえないであろう。


なぜ生きる/1万年堂出版

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誰もが幸せを求めています。

「人間に生まれてよかった」という幸せを。


日々の生活の中の出来事は、

完成しないからこその向上進歩が大事ですが、

一番大事なことは、為し終えてから、人生を終えなければ、

きっと後悔する。


「Do the best thing best.」


後悔しない生き方のコツは、

「たくさんある大事なことの中でも、

 一番大事なことを選び抜き、

 その一番大事なことを成し遂げること」

と言われます。

色々やってはみたけど、それが一番とは言えなければ、

それらをどれだけ達成しても、

一番のことをやり残したら、後悔が残ります。



病気になり、死を目前にしてからではなく、

まだ元気な時から、

そうなった時にも「一番」と言えるものを、

今から探しておきたいと思います。



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不安であること自体は、決して悪いことではなく、

未来への意思があるからです。

不安と期待は、裏と表の関係とも言われます。


「不安は先回りする、
 それは結果を、それがやってくる前に、見つけるのである。」


このキルケゴールの名言を、
脳科学が証明しているのかもしれません。


■脳は何かと言い訳をする

不安は主に「扁桃体」で作られるとされていますが、
扁桃体以外の脳部位も関与しています。
たとえば、大脳皮質の「前頭葉」の右側の一部が破壊されると、
「悩み」が消えてしまうという、ちょっと変わった障害が現れます。

悩みは、未来を予測することから生まれます。
未来の予測は、経験に基づいて計算されます。そこには二つの要素が必要です。
ひとつは「過去の記憶がある」ということ。
もうひとつは「未来を想像できる」ことです。
この二つがあって初めて、経験に基づいて未来の計画が立てられます。
計画が立てられるからこそ、逆に「うまくいかなかったらどうしよう」という不安が付随して生まれてくるわけです。

悩みが消えてしまうと聞くと、
「悩まないなんて、いいな」と思うかもしれませんが、
実際には悲惨なものです。
本人は悩んでいないから、その限りにおいては確かに幸せそうなのですが、
悩みの無い人は社会に適応しながら生活することができません。

何も悩まないことから生まれた単純な明るさと、
悩んだ末に生まれる前向きの明るさは、明らかに違います。
悩まない人たちは記憶力も低下します。
そもそも記憶というのは、未来の自分のために蓄えるものです。
未来への不安がなく、計画を立てるモチベーションの無い人にとっては、記憶は不要なのです。


脳はなにかと言い訳する―人は幸せになるようにできていた!? (新潮文庫)/新潮社

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未来の計画をたてるモチベーションがないと、
記憶は不要になるのは、
認知症の発症にも関係があるのかもしれません。


仕事を引退して、
特にやることがなくなり、予定もなくなると、
急に物忘れがひどくなり、認知症状が進む人がいます。


脳科学をタテに、次のような意見がしばしば聞かれます。

「不安」は、脳の機能であり、
神経伝達物質の働きの異常に過ぎないから、
脳死になったり、人が死ぬときには、不安もないし、苦しくもなくなる。
だから、死は怖くない。と。

「唯物論」だと、こういう考えになるようです。

でも、そうだとすると、
苦しんでいる人は、みんな脳の機能を鈍くして、
眠ってもらえば苦しまなくなります。

その究極が安楽死。
そこに、人間の尊厳はあるのでしょうか。

悩みがないことが幸せならば、
薬物によって、
悩まないように頭の動きを止めてしまえばいいことになってしまいます。

幸せは、悩まないことではなく、
悩み抜いた先にあるものではないでしょうか。
不安は、何か未来に起きうる危険を察知してのことかもしれません。


キルケゴールは、「不安の概念」でこう述べます。

私が不安を感ぜざるをえないところの過去的なるものは、
私に対してある可能的な関係に立っているのでなければならない。
もしも私が、ある過ぎ去った不幸に関して不安を感じているとしたら、
そのことは、それが過ぎ去ったという限りにおいてではなしに、
それが再現せられうる
従って未来的たり得るという限りにおいて、起こるのである。

もしもそれが本当に過ぎ去ったことであるとするならば、
私はもはや不安を抱くことは有り得ないわけで、
いまはただ後悔することがありうるだけである。



不安の概念 (岩波文庫)/岩波書店

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患者さんは、

病気をきっかけに人生を振り返ることが多いと言われます。

「これからどうなるんだろう」と不安になるからでしょうか。


より本質的な「不安」に寄り添える医療者でありたいと思います。




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気づいたら、4月も半分が過ぎ、

もう少しでゴールデンウィークに突入する頃になりました。



さて、当ブログタイトルについて、

何人かから問い合わせがありましたので、

少し説明(言い訳)させて頂きます。


いわゆる「研修医」というのは、「初期研修医」のことを指します。

初期研修医は、医学部を卒業してからの、

「最初の2年間」、全員が通る道です。


国家試験を突破して、孵化したばかりの医者のひよっこが、

「初期」研修医です。


私も、なんとか無事に、この2年間は修了したわけですが、

もう少し「研修医」を続ける道を選びました。


今度は、「後期」研修医という立場になりました。

初期研修を終えると、その後は専門分野の研修が始まるわけですが、

それぞれの分野で、それを「後期研修」と呼んだり呼ばなかったりと様々です。


私は「後期研修」への道を選んだので、

もうしばらく「研修医」です。



ということで、今後も、

「本好き『研修医』の死生学日記」というブログタイトルで、

続けていきたいと思っております。


今後とも、変わらぬご愛顧、よろしくお願いいたします!






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