問題の根底にあるもの、本質というのは、
表面上は、いろいろな形となって現れてくるため、
その「色々な形」の共通することに気づき、根っこを見極めるのは、
なかなか難しいものです。
■なぜ生きる
・闇の中を走っているから、
何を手に入れても、安心も満足もない
過剰なまでの「健康ブーム」です。
どんな食生活が病気にならないか、
遺伝子組み換え食品は安全か、
環境ホルモンの汚染は大丈夫か、
テレビでも雑誌でもさかんに取り上げられています。
風邪だと言われても驚きませんが、
「ガンだ」「エイズだ」となると大騒ぎです。
それらは死に至るからでしょう。
ティリッヒ(ドイツの哲学者)は『生きる勇気』で、
人間は一瞬たりとも、死そのものの『はだかの不安』には耐えられないと言いました。
死と真っ正面に向き合うのは、あまりにも恐ろしいので、
病気や環境問題と対決しているのでしょう。
核戦争が怖い、地震が恐ろしい、不況が心配というのも、
その根底に「死」があるからではないでしょうか。
私たちは、「死神の掌中で弄ばれる道化」ともいわれます。
どれだけ逃れようともがいても、
死に向かってひた走っているのです。
しかもその壁の向こうはどうなっているのか、まるで知りません。
未来がハッキリしないほどの、不安なことがあるでしょうか。
先の見えない闇の中を走っているから、
何を手に入れても、心から明るくなれないのでしょう。
「この苦しみは、どこからくるのか」
----人生を苦に染める真因が分からなければ、真の安心も満足も得られません。
苦しみの元を断ち切って、
「人間に生まれてよかった!」という生命の歓喜を得ることこそが、
人生究極の目的なのです。
死をありのまま見つめることは、いたずらに暗く沈むことではなく、
生の瞬間を、日輪よりも明るくする第一歩といえましょう。
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そう言えば、受験勉強をしていた頃は、
何をしていても、どこかうわの空で、いまいち楽しめない日々でした。
現代文が苦手とか、数学の微分積分が難しいとか、
それらで一喜一憂していたのも、根底には「大学入試」という、
大きな問題、ハッキリしない未来があったからでした。
「死」の大問題は、さらに大きな問題ですが、
問題が大きすぎて、逆に普段はあまり気にしてません・・・。
しかし、心の中では、メチャメチャ気にしているのが、
確かにニュースを見ていても分かります。
大きなニュースになるのは、人命にかかわるもの。
政治でも、経済でも、科学でも、
そのニュースの重要性を決めるのは、人の命にどれだけ関係するか、
それで決まっているように思います。
病気や事故、年金、景気や、iPS細胞の実用化など、
オブラートに包まれているその中身は、
いずれも同じ「命」の問題に行き着きます。
なんだかんだで、誰もが死にたくない。
でも、その問題は、誰もが避けられない。
その願望と現実の狭間で、
これまたオブラートに包まれた悩みが生じてきます。
何をしても楽しくない、つまらない、
何がしたいのか、自分でもわからない。
頑張ったって、どうせ報われない。
そうやって、生きていくのは何のためなのか、
どうせ必ず死ぬのに、なぜ生きるのか。
いつかはぶち当たる壁ならば、今、向き合っておきたい。
壁に向き合うのは、玉砕するためじゃなくて、乗り越えるためだから。
★同じ本より
【なぜ生きる】
不安を何かでごまかさなくては生きていけないが、ごまかしは続かない
【なぜ生きる】
今の人生を満喫できれば、苦しみやさびしさをごまかす努力はいらない
★哲学者、かく語りき
【反哲学的断章 ウィトゲンシュタイン】
人生に問題を感じない人は、大切なことが見えないのではないか
【我が子の死 西田幾多郎】
人生には、死の問題を解決をする人生の一大事という深き意義がある
★医療の世界でも(緩和ケア、終末期医療の第一人者は)
【病院で死ぬということ 山崎章郎】
自分が遭遇するかもしれない、悲惨な事実も知っていた方がよい
【死ぬときに人はどうなる 10の質問 大津秀一】
この問題を解決する時に力となる、ただ一つ方法