【救いとは何か 森岡正博】 死の恐怖と、死んだらどうなるかは、切りはなして考えるべき問題 | 本好き精神科医の死生学日記 ~ 言葉の力と生きる意味

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「こんな苦しみに耐え、なぜ生きるのか…」必死で生きる人の悲しい眼と向き合うためには、何をどう学べばいいんだろう。言葉にできない悩みに寄りそうためにも、哲学、文学、死生学、仏教、心理学などを学び、自分自身の死生観を育んでいきます。

森岡正博教授と、池田晶子さんは似ているところがある気がします。

二人とも、「考える」ことを真摯に続けている方。

(池田晶子さんは2007年に
 46歳にして腎臓がんで亡くなられましたが。。。残念です。)

「そう思う」という感情と、

「そうである」ことを論理を積み重ねて「考える」こと。

この違いを知るのは、とても大事なことだと思います。


■死んだらどうなるのか?

恐怖心の問題は、私がいま言った死後の世界があるか無いかという話とは
切り離しておいた方がいい気がします。
というのも、自分が死んだ後の世界がどうなるかは理詰めで考えるべき問題で、
これに対して恐怖心は感情的な反応にすぎないと割り切った方がいいかもしれないので。

死の問題は、生き続けようとする時のみ生じるもので、
それは偽の問題かもしれないと言いましたが、裏を返せば、
生き続けようとしているかぎり、それは私にとって本当の問題なんですね。
ということは、の問題との問題と時間の問題も、
生き続けようとする限り、本当の問題としてあり続ける
ここのある不思議なロジックを私は解明したい。


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死の恐怖と、死後の問題は、別のもの。

感情と理性は、別に扱った方がいい。


これは、臨終にどんな反応をするかや、

苦しんでいるか、あまり苦しそうじゃないか、

という「死に方」と、

死んだあと、どうなるのか、ということは、別の問題ということ。


言われてみれば、これはもっともなこと。

社会に出るのが不安で、怖くて仕方がないからといって、

実際に社会に出てから、上手くやれるかどうかは、別の問題。

「きっと大丈夫」と呑気に、落ち着いて過ごしていた人が、

社会の荒波を甘く見ていただけで、もの凄い苦労することもあれば、

不安で不安で仕方無くて、体調まで崩してしまうような人が、

その分、準備もしっかりして、意外とうまくやれることもある。


似た境遇の人が、メチャクチャ泣き叫んで死んでいくのをみてしまったら、

自分もどんなところへ行くんだろうかと怖くてしょうがないだろうし、

眠るように亡くなる人を知っていれば、大丈夫なのかなと思えるかもしれない。


いずれにせよ、

死の本質は、感情的に怖いか怖くないかではなく、

死んだらどうなるのか、イヤな世界には行かずに済むのか、

というところにあるように思います。


人間は感情の生き物なるがゆえに、

その感情によって、現実認識を誤る場合がある。

死の恐怖は、今や麻薬によってコントロールできる時代。

それによって、「安楽死」という概念も生れた。

でも、それは肉体的な問題であって、

本当の意味で、人間の問題ではない気がする。

生き方、死に方は、ある程度コントロールできるようになったかもしれないけれど、

人間にとっての、本当の幸せとは何か、は、

また別の問題であることは、忘れてはいけないように思います。






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