新田川林鉄探索の翌日、私は一人、塙町にいた。
パンクしたタイヤも交換したし、まっすぐ帰るのはなんだか寂しいし、ということで、車中泊も楽しみつつ寄り道することにしたのだ。
この地に廃隧道があるのを知ったのは、TUKAさんの街道WEB。
たしかにこの地の地形図をみれば、アヤシイ点線道があった。
隧道掘るならここよねーという点線だ。
明治42年測図44年発行の1/50000「塙」をみると、そのアヤシイ点線道には、
隧道の記号!
地形図の見比べだけで御飯が進むな。もぐもぐ。
さて行ってみよーう♪
その前に集落内の北野神社へ。ここに隧道に関する石碑があるらしい。参拝をすませて、どれどれと見回すと
おおう、鳥居のすぐ脇にあったわ。
側澤洞道之碑
『この地は険しくて人や馬の往来が大変だったので明治19年に工事をはじめて明治21年に完成したよ』
的なことが書いてある。洞道って聞きなれないけど、現在では作業用隧道のことを指す言葉として使われているみたい。読みは「とうどう」
石碑も確認したので、集落をさらに奥へ。稲沢川という小さな川を越えると、右に分岐があるので、右折する。
あっと車はここまで。
ここ数年は車は入ってないような感じがする。
谷が分かれるところで、道も分岐。右へ。
ああ、隧道を予感させるいい雰囲気。
藪。うん、季節が今でよかった。長い距離ではないけど、これは夏だったらえげつないヤツだ。私は藪を避けるのが面倒臭いので、だいたいはそのまま歩いて千切れるのを待つのだけど、このこ達はなかなか手強かった。
いやー、わくわくする。
もうすぐ出てくるよー。
ほいっと隧道登場!
…ええっ!?
あっちゃー…これは末期だ。
TUKAさんのサイトで見たのより、だいぶ状態が悪い。まぁ、そりゃそうか、10年以上経っているのだものね。
コンクリートで巻かれた坑門の上にぽっかりと穴が開いてしまっている。それにしてもずいぶん柔らかそうな土だな。
地形図でみても短い隧道のはずだけど、中が暗い・・・もしかして閉塞?
中に見える白いラインは上の穴からの光。それ以外は真っ暗。まぁ、とりあえず入ってみるか。
つづく