「感動」という言葉は軽すぎる | 西澤ロイ(コトバの宇宙探検家)

「感動」という言葉は軽すぎる

昨日のことです。

経営塾で非常にお世話になっている、とある社長と打合せをさせていただきました。
 
その社長は以前、私ロイの英会話講座を受けてくださっており、「うちでもやってください」という非常に嬉しいお話です。
 
しかし、ただの研修依頼ではありませんでした。

「講師料をお支払いしますので、うちのお客様のために講座をやって欲しい」

とおっしゃるのです。


 
受講者は、その社長のクライアントである経営者の方たち。

クライアントさんたちを講座に無料で招待して、良いコンテンツを提供する…ということ(素晴らしいgiveです)をしていらっしゃるのだそうです。
 
私としても、願ってもいないこと。

研修の内容は2時間で社員さん全員の、英語への苦手意識がなくなり、楽に話せるようになるというもの。

それをたくさんの社長さんたちに試していただき、営業できるチャンスをいただけるわけです。

そこにさらに謝礼までいただけるのであれば、金額の多寡に関わらず、非常にありがたいお話です。


 
しかし、打合せの最後に、その社長がこうおっしゃったのです。

「講師料は○○万円でよろしいですか?」
 
えっ…?
私は失礼ながらビックリしました。

 
なぜなら、ご提示いただいた金額が、正規の研修料金として私がお伝えしているものだったからです。
 
その社長の元には約50人の社員さんがいらっしゃいます。
その社員さんたちの研修をしてくれ、というのなら分かります。
 
それが、うちのお客様たちに無料で受けて欲しいから、正規の研修料金を払います――
とおっしゃるのです。。。


 
「感動」は「感じて動く」と書きますが、人って、本当に心が動いた時には「感動した!」とか言わずw、つい動いてしまうものなのですね。

私はすぐに、その料金で2回の研修をやらせてください、とお伝えしました。
1回はもちろん、その社長さんの会社の社員さんに向けて。
 
この社長のようにたくさん与えられる心豊かな人に、私もなりたい。

今後の人生における素晴らしい指針をいただきました。