車のドアを隣の車にぶつけ、傷がついてピンチ! | 西澤ロイ(コトバの宇宙探検家)

車のドアを隣の車にぶつけ、傷がついてピンチ!

今日はランチをしに、家の近くのファミレスへ行きました。

駐車場に車を停め、ドアを開けた途端……



ビューーーッ!!



ガン!!!!!!!



もともと風が強かったのですが、

突風が吹き、開いたドアが煽られて、

隣にあった青い車にぶつかってしまいました・・・




「やばっ!?」

ひとまず状況を目で見て確認。



まあまあのスリ傷ができています(汗)



とりあえず、車をこの位置に置いたままにすると

犯人がバレバレなので、急いで車を移動。

ちょっと離れた位置に停め直します。



「不可抗力で仕方なかったんです。

 ごめんなさい、許してね・・・」

心の中で謝りつつ、頭の中ではいろんなことが

ぐるぐると回ります。



「名乗り出て謝ろうか…?」



でも・・・

「怒られたらどうしよう・・・」

「許してもらえなかったらどうしよう・・・」

「仕返しをされたらどうしよう・・・」

「法外な請求をされたらどうしよう・・・」

ちっぽけな自分が首をもたげます。



とりあえずは落ち着くことが先決と、

お店に入ります。

そして、ランチを注文し、食べ終わりました。



ここで外に出て、もし青い車がもうなかったら

無事に一件落着ということで・・・なんて考えながら

外に出てみました。



青い車は・・・!



同じところにまだあります。



「ごめんなさい・・・ごめんなさい・・・」



そのまま立ち去ろうか、本気で悩みました。

…でもここで、自分の心に尋ねてみました。



そうしちゃったら、ずっと後悔しない?

もし逃げちゃったら、一生引きずるんじゃない?



YES。

確実に、ずっと引きずります。



そういえば、先日読んだ本に書いてありました。

自分が好きなものや、自分にとって心地の良いものだけでなく、

イヤだと思うものも全て「恵み」なのだと気づきなさい、と。

(そうしないと、お金も入ってこないよ、と)



うん、頭では分かる。

でも・・・

でも・・・・・・・



うー、これと向き合わないといけないのか。

でも、一生後悔するのも絶対嫌だ。。。



しかし、私に悪意があるわけじゃない。

でも、この車の持ち主は悪意だと思っちゃうよな。

そうしたら、この人は怒って、他の誰かにぶつけたりと、

望まない悪循環が始まっちゃうのかな……



そこで私は決めました。

「観念」することにしたのです。



英語で言うと Surrender。

「降伏」することに決めました。



お店に再び入り、店員さんにお願いします。

「青のスイフト、ナンバー○○○○の人を

 ちょっと呼んでいただけますか?」と。



そして、店内アナウンスが流れました。



(次回へ続く)






ウソです^^

このまま話を続けますね。



その車の持ち主は店員さんでした。

人の良さそうな、やや年配の女性です。



そして一緒に車のもとへ・・・

状況を説明し、謝る私。

車の状態をチェックする女性。



「本当に申し訳ありませんでした。」



・・・


・・・



・・・そして、女性が口を開きました。




「大丈夫です。」



「えっ、そうなんですか?」



「この車はもうすでに傷だらけだし、

 ちょっとスレただけで、凹んでいるわけじゃないし…」



「どうもありがとうございます。

 本当にすみませんでした。」



有難いことに、いろんな心配は杞憂に終わりました。

そして、いろんな気づき(恵み)をもたらしてくれました。



「そっか、私は人を信用してなかったんだ。」

だから、どんな反応が返ってくるかが怖かったんです。

でも、きちんと伝えるべきことを、誠意をもって伝えた上で

後は相手に任せればいいんですよね。

というか、任せることしかできないんですよね。



相手は怒るかもしれませんが、相手がそれを選ぶなら

仕方がありません。

許されないかもしれませんが、それもその人の選択です。

その人が仕返しをしたいならさせればいい。

弁償が必要なら、弁償すればいい。



でも、あれこれ考えたって仕方がない。

もし、怒ったり、許さなかったり、仕返しをしたりするなら

それはもはや相手の問題であって、自分ではありません。

自分としては誠意をもって向き合えばいいだけなんですよね。



というか、人生は全部そうなんだな、と思いました。

結局、向き合わざるを得ないんですよね。

逃げていても、結局、そこに向き合わざるを得なくなるんです。



今まで、謝ったり、言い出すのには「勇気」がいると思っていました。

でも、それは勘違いでした。

観念して、降伏するだけでよかったんです。

(以前そのことを、とある方は「ごめんなさいするしかない」と

 表現していました。そして、超シンクロですが今夜お会いした

 別の方がそれを「お手上げ状態」と表現していました)



これからは、もっともっと観念して生きようと思います。

もしかしたら人は「降伏」すればするだけ

「幸福」になるのかもしれませんね^^


(※ここでの「降伏」とは「大いなるもの」「大きな流れ」

 「天」などに対して観念する/身を委ねるという意味合いです)