"忘れないようにする"にはどこかで限界があると思う。
日々の情報として入ってくるけども、だんだん意識が薄れていく。
自分があの場にいた可能性があったことを。
深い悲しみを背負った人が自分だったかもしれないことを。
他人事のように思えなかったことを。
普段は特別意識することはないんだけど、
この日が近づくとやっぱりそわそわする。
明日がどうなるかわからなかった日々のこと、
今の自分がこれまで何をしてきたか、
今の自分がこれから何ができるか。
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この一年間何をしてきたかを思い返す。
去年9月、一昨年の8月と同じように仙台まで旅行へ行った。
→ 新潟仙台旅行
頭の片隅に引っかかって離れなかったんだと思う。
その当時もそんなことを書いた。 (→農業支援ボランティア、ふたたび)
でも、具体的にお金を動かしたことはこれだけだった。
この先、何をするか、何をしたいかを考える。
6月、仙台にライブで遠征に行く。
何の因果かわからないけども、
誘われたのも都合がよかったのも仙台だった。
まだなんとなくだけど、またボランティアに行こうと思う。
back numberのツアーで仙台に行く人、
よかったら一緒にボランティア行きましょう。
初めての旅行、ライブ遠征。初めてのひとり旅。
そして、今度は初めてのツアー遠征。
だんだんと街に思い出が募っていく。
仙台にいる自分が特別なものではなく、当たり前のことになる。
それと同時に
海に近い場所との関わりも忘れないようにしたいと思う。
微力でも自分にできることを。
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なんて書いていながら、
いかにも"自分は善人です"と振る舞う自分に少しイラついた。
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60 min
BGMは シナリオアート の night walking (Al)
何気なく聞いてたんだけど、
ホワイトレインコートマンの歌詞を聞きながら、
この曲もあの日があって生まれた曲なんだろうと思った。