3.11
この日を境にしてふつうがふつうでなくなった。
だからこそふつうにすごす。
あの日から丸一年経った今日をどうしようか考えていた。
お墓や、慰霊碑に行くとか、普段やらないし、
だからってはっちゃけるのも気持ちが乗らない。
意識の中に違いがあるの間違いなく、あの日の前には戻れない。
それで、決めたのは
行動の上ではあの日の続きをする。
だけど、変わってしまった自分を静かに感じる
そんな一日にすることにした。
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映像は正直見たくない。
特に津波の映像は。
あれを生で見てた時の衝撃はすごかった。
ただ、それは潮が満ちてきた時に
せっかく作った砂の城が壊れるようなもんだった。
それのスケールが大きくなっただけの話。
でも、今みたら、それがひとつの命がなくなること
全体で1万以上の命が同じようになくなっていったこと。
それを思い出す。
だから見たくない。
あと、一日中報道があるのも見たくも聞きたくない。
どうしても気分が落ちていく。
忘れられないからほっといてほしい。
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なくなった人、生活を取り戻せた人。
なくなった人に対してはもう手立てはないし、
ご冥福をお祈りしして、前を向くことができている。
生活を取り戻せた人は心のショックの程度はあれど
これからに向けて頑張りましょうと言える。
でも、
生活が取り戻せてない人、
ふるさとに帰れてない人。
これらの人にどう、対応したらいいのか、
その心の整理が未だにつかない。
というか、その問題だけ、余計に濃くなっている。
"えらいひと"はえらいひとなりに頑張ってるだろう。
(被災者のためか自分の保身のためかは知らんが。)
"できるひと"は直接でも間接でも力になってるのだろう。
で、その中でなにもしてない感覚。
たかが一個人。現実的にできることも限られる。
わかってるけど腑に落ちない感覚。