北欧旅情(その3)「森の墓地」 | ようこそ 家づくりの羅針盤

北欧旅情(その3)「森の墓地」

ストックホルムの市街を抜けたところ、市の中心部から車で40分ほどの丘陵地帯に美しい森が広がって


いた。


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およそ100ヘクタールのその森には約12万人の人が眠っている。


ここは自然の森の中の静かな霊園。


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北欧を代表するモダニズムの建築家、エリック・グンナール・アスプルンド(Erik Gunnar Asplund 1885-


1940)が友人の建築家シーグルド・レヴェレンツと共作でコンペに勝ち、30歳の時に構想を練った作品。


自然の森に手をつけない状態のまま、墓地を築くランドスケープの技法は1915年から1940年に至るまで


25年の歳月をかけて完成された。


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生涯を終えた人は森に帰るという哲学に基づいて計画された「森の墓地(Skogskyrkogarden)」は、


1994年に世界遺産に指定された。


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スウェーデンはカソリック信仰の国であったため古くから土葬の習慣であったものが、衛生上の理由に


より、19世紀末に火葬が認められるようになった。


ここは火葬埋葬によるはじめての大規模霊園。


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広大な施設内には、「森の礼拝堂」、「森の火葬場」を中心にいくつかの建築により構成されている。


アスプルンドは、ヴァルター・グロピウス、ル・コルビュジェ、ミース・ファン・デル・ローエらと同時代に


活躍した人。


時代はまさにモダニズムの潮流が大きな渦となって胎動しはじめたときであった。


コルビュジェが「建築は機械である」と叫んでいたころ、アスプルンドは半生を「森の墓地」の制作に


ささげていた。


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今回の視察では残念ながら、森の礼拝堂や火葬場などの建築本体内を見学することができなかった。


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しかし、アスプルンドの意図したいくつかの設計思想や死生観に触れることができたような気がする。


「森の墓地」の入り口から礼拝堂を経て、森の中の霊園へと続く、約400mの石畳の道。


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アスプルンドは基本設計に際して、この道にこだわり、そして何度かの設計変更をしている。


この道は、「十字架の道」と名付けられた。


会葬者はこの道を静かに歩きながら礼拝堂へと向かう。


そしてその途中に、「森の墓地」の象徴ともなっている大きな十字架の横を通る。


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道はなだらかな上り坂。右手には広大に広がる草原、そして左手には背の低い白壁が延々と連なる。


死者との別れに際して、自然に旅たちへと向かう人との別れを意識させられる道になっている。


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「死は決して哀しくはない。


愛する人との別れは哀しいだろうが、死は誰にでも訪れる現実である。


この道を行きなさい。


葬儀は単なる追悼の儀式ではない、故人と最後の親密な時を過ごしなさい。


今日はあなた、明日は私なのだから。」


そういう意味合いの言葉が、アスプルンド自身の意思により、モニュメントに刻まれている。


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確かに、「森の墓地」には暗い死をイメージさせるような印象が感じられなかった。


人は死して森に帰り、新たなる旅立ちを待つ。


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そこにはアスプルンド自身の死生観と北欧の人の死生観が重ね合わせられている。


自然の森になるべく手をつけずに、そのままの地形、そのままの植生を生かしたまま設計された墓地。


大きな仕事を成し遂げたアスプルンドは1940年、55歳の若さで「森の墓地」の最初の住民となった。


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