『神曲』地獄巡り5.ミノス判事の地獄裁判所 | この世は舞台、人生は登場

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地獄の判官ミノス

ミケランジェロのミノス
ミケランジェロ(1475~1564)が描いたシスティーナ礼拝堂主祭壇の『最後の審判』の一部分。

 辺獄の城のある第1圏谷を出て第2圏谷に入ると、激しい苦痛の呻き声が聞こえてきました。すると前方に、ミノスが物凄い形相で立って(stavvi Minòs orribilmente)、歯をむき出して怒鳴りつけている (ringhia)のが見えました。ダンテの『地獄篇』に登場するミノスは日本の閻魔大王を連想されます。

閻魔大王

 「ミノス」とは、三途の川の渡し守カロンと同様、ギリシア・ローマ神話の登場人物です。すでに、ホメロスの『オデュッセイア』にも登場しています。オデュッセウスが冥界訪問をした折(私のブログ『あの世のはなし』を参照)、ミノスの法廷の側を通ります。その時の様子を次のように描いています。

 いかにもこの折、ミノスの姿を見ました、ゼウスの立派なご子息でずが、黄金の笏枝を手に坐ったまま、亡者を裁判していました、その周囲をかこんでみな、王に判決を訊ねる者らが、坐っているのや立っている者や、門口の広い冥王の館に溢れていました。(『オデュッセイア』第11巻、568~571、呉茂一訳)

 上の呉先生の日本語訳で、「王」と訳されているギリシア語の原文は‘anax(アナクス)’です。「王」を意味するギリシア語には、他に‘basileus(バシレウス)’や、私の知る限りホメロスには使われていませんが‘tyrannos(テュランノス)’があります。余談ですが、ソポクレス作のギリシア悲劇『オイディプス王』の「王」は「テュランノス」です。私の私的な意見としては、「アナクス」はある組織の「統領」という意味合いで考えると良いのではないかと思っています。その後に「冥王の館」とありますが、その「冥王」は文字通り「冥界の神」である‘Aides(アイデス)’が使われています。ということは、ミノスはアイデス(普通は「ハデス」と言う)が支配する冥界にある裁判所の長官と考えるのが適当だと思います。
 当然ながらホメロスの後継者を自認するウェルギリウスも、彼の作品『アエネイス』の主人公アエネアスに冥界訪問をさせています。普通に死んだ者はすんなり冥界の所定場所に行きますが、納得できない死に方をした亡者は異議申し立てをします。その時、ミノスを冥界の「裁判長(quaesitor)」として、次のような裁判が行われます。


 濡れ衣により死刑を宣せられた者たちがいる。しかし、これらの場所も籤によらず、裁判によらず与えられはしない。裁判長として籤壺を振るのはミノスで、もの言わぬ霊たちの陪審団(concilium)を招集し、その生涯と嫌疑を調べる。(『アエネイス』第6巻430~433、岡道男・高橋宏幸訳)

 ダンテの〈ミノス〉は、ホメロスからウェルギリウスに引き継がれた神の図像を地獄の鬼として使用したものです。ミノスやカロンなど異教の神々は、ダンテでは地獄の罪人たちに懲罰を加える執行人として描かれています。

ミノスの裁判所

 『地獄篇』の第2圏谷の入口にはミノスの裁判所があります。地獄へ堕ちて行く罪人たちは、漏れ無くこの裁判所に連れてこられて、永住することになる地獄と永遠に受けることになる刑罰が決定されます。まず入口でこの世の罪業を洗いざらい白状させられ、刑罰が即決さらます。するとミノスは、その罪人が堕ちることになる圏谷の階層の数だけ尾を体に巻き付けます。その様に次から次へと大勢の罪人が順番に裁かれて、地獄の中へ堕ちて行きます。
 ホメロスとウェルギリウスのミノスと比較してダンテが描いたミノスだけが持っている図像上の特徴は「尻尾」です。しかも罪人たちに判決を言い渡すために使う重要な道具です。現代では「悪魔」といえば、必ず尻尾を持った姿で描かれていますが、実は奇妙なことなのです。私のブログ「『失楽園』の物語」を読まれた方はお分かりですしょうが、地獄を管理・運営して、罪人たちを仕置きしている悪魔たちは、もともとは天国にいた天使たちです。それゆえに、悪魔が「翼」を持っていることは自然なことです。しかし、どの時点から「尻尾」を持つようになったかは分かりません。私の独断と偏見かも知れませんか、私の知る限り『神曲』のこの「ミノス」が尻尾を持った悪魔の起源ではないでしょうか。


 さて、ダンテとウェルギリウスが脇を通り過ぎようとするのを見付けて、ミノスは「どうやって入る気だ」と脅しつけます。すると先達ウェルギリウスが、カロンの時と同じように、「ダンテが進むのは《神の御意志》である」と言ってミノスを黙らせます。そして二人は第2圏谷の内部へ入って行きました。

ミノスを描いた代表的な絵画を紹介しておきます。
ギュスターヴ・ドレ(1832~1883)が描いたミノスの裁判の模様。

ドレのミノス

ウィリアム・ブレイク(1757~1827)の描いたミノスの裁判の模様
ブレイクのミノス


第2圏谷
 欲望に負け理性を捨て、肉欲の罪を犯した者たちの堕ちて行く地獄

 ここではいっさいの光は黙し、その叫びは、嵐の日に逆風に叩かれて海が発する轟きに似ていた。地獄の颷風(ひょうふう)は、小止(おや)みなく亡霊の群を無理強いに駆り立て、こづき、ゆさぶり、痛めつける。亡霊の群は廃墟の前にさしかかると、叫び、泣き、喚き、神の力を呪い罵る。こうした責苦に遭うのは欲望に負け理性を捨て、肉欲の罪を犯した者の落ち行く運命と知れた。(『地獄篇』第5歌28~39、平川祐弘訳)

 先頭を飛ばされて行くのは、淫蕩生活に明け暮れた美貌の女帝セミラミスでした。最初に挙げた名前なので、この女帝についてはダンテの時代には有名だったかも知れませんが、詳しい伝説は残っていないようです。次に続く亡者は、現代人でも文学愛好者ならば誰もが知る名前です。まず、アエネアスとの恋に破れて自害したカルタゴの女王ディド、ローマを惑わしたクレオパトラ、トロイア戦争の原因になった美女ヘレナと彼女を略奪したパリス、伯父のマルク王の妃になるはずのイゾルデと恋に落ちてしまったトリスタン、その様な人たちが嵐に吹かれて飛んでいました。その中の手をつないで飛ばされているカップルが目に入り、ダンテは先達に話をしてみたいと頼みました。先達の勧めで呼び止めると、二人の亡者は近づいてきて、自分たちの恋物語を話し始めました。その二人は、フランチェスカ・ダ・リミニとパオロ・マラテスタでした。ここで、二人の恋物語を少し詳しくかつ分かり易く話しておきましょう。

 ラベンナ領主グイド・ダ・ポレンタはマラテスタ家との争いを終わらせるため、娘フランチェスカを領主ジャンチョットに嫁がせることにしました。二人が最初に合う時、見合い相手のジャンチョットは、自分の容姿が醜いことを知っていたので、美少年の弟パオロを見合いの席に立たせて、無事に結婚式も挙げました。しかし、フランチェスカは見合いの代理をしたパオロに一目惚れをしていましたので、結婚式の翌日に真実を知り驚きました。パオロの方も同じく一目惚れしていましたので、二人は燃える思いを秘めて過ごしました。ある夜、アーサー王の妃グイネヴィアとランスロットの恋物語を二人で読んでいる間に、恋心を押さえることができなくなって、不倫の恋に落ちました。そして密会の現場を見られて、ジャンチョットに殺されてしましました。 
   この箇所のフランチェスカの描写は、肉欲の罪で罰せられている姿とはいえ、極めて憐憫の情を誘う美しい表現になっています。そのダンテのフランチェスカへの同情的で好意的な姿勢が、彼の晩年に幸運をもたらすことになりました。ダンテは、1318年にラヴェンナの君主グイド・ノヴェッロ・ダ・ポレンタ(Guido Novello da Polemta)の招聘によって、あまり厚遇されなかったヴェローナからその国に移り住みました。そのラヴェンナ君主グイドは、フランチェスカの甥にあたるので、その伯母(叔母)のことを好意的に描いてくれたダンテに感謝していたと思われています。そのお陰で、ダンテは、1321年(ボッカチオによれば9月14日56歳4ヶ月)に死ぬまでのおよそ4年をラヴェンナで厚遇されて過ごしました。その国での短い年月は、息子のピエロとヤコポそして娘のアントニアも呼び寄せて幸せな生活を送ったと言われています。


   ダンテの系譜

 詩人ダンテによって好意的に描かれたフランチェスカは、地獄に堕ちることを覚悟した二人の恋の想いを、巡礼者ダンテに向かって次のように告白しました。

 愛は優しい心にはたちまち燃えあがるものですが、彼も私の美しい肢体ゆえに愛のとりこになりました、その身を亡き物にされた仕打ち、私いまも口惜しゅうございます。愛された以上愛し返すのが愛の定め、彼が好きでもう我慢のできぬほど愛は私をとらえ、御覧のように、いまもなお愛は私を捨てません。愛は私ども二人を一つの死に導きました。 (『地獄篇』第5歌100~106、平川祐弘訳)

「フランチェスカとパオロの恋」の物語を題材にしてジャン・オーギュスト・ドミニク・アングル( Jean-Auguste-Dominique Ingres、1780年8月29日~1867年1月14日)が描いた作品
フランチェスカとパオロ


ギリシア最強の英雄

  この第2圏谷の地獄には、私たちが予想もできない英雄が閉じ込められています。その英雄は、ホメロス『イリアス』の主役でトロイア戦争におけるギリシア軍の最強の英雄アキレウスです。ダンテは、何を根拠にしてアキレウスを恋に狂って破滅した亡者の仲間に入れたのでしょうか。トロイア戦争ではライバルであったヘクトルやアエネアスのいる辺獄(リンボ)でも良かったのではないでしょうか。トロイアびいきのヨーロッパ人にとって、ヘクトルを殺害した敵アキレウスを一緒に置くことは許されないことかも知れません。この先には他人への暴力をふるった者たちが刑罰を受けている第7圏谷の第1円という地獄があります。そこには、ここより罪科は重いかも知れませんが、アレクサンドロス大王もいます。「恋狂いのアキレウス」よりも「狂暴なアキレウス」のイメージの方が武将としての面子は立つのではないでしょうか。
 ダンテがアキレウスを肉欲のために破滅したと考えた理由は、ある中世時代に流れていた異説であったと言われています。その伝説は、ホメロスの愛読者・サポーターにとっては耐えられない内容ですが、大筋をまとめておきましょう。


 アキレウスは、トロイア王プリアモスとヘカベの子トロイロスを襲撃した時、(または、ヘクトルの遺体を貰い受けに来たプリアモスにアンドロマケに同行した)ポリュクセネ(ホメロスには登場しない人物)に一目惚れをしてしまいました。アキレウスは彼女を妻に貰い受けるために、ギリシア軍を裏切ってトロイア方に味方することを決心しました。そのことを申し込むためトロイアの城内に入り込みました。そしてアポロン神殿のところまで来たときに、パリスによってアキレス腱を弓で射貫かれて殺害されました。

 ダンテは、以上のようなアキレウスが女のために祖国を裏切ったなどという根も葉もないデマを信じていました。その原因は、これまでにも指摘してきましたが、ダンテが古代ギリシアに関しては知識不足であったということです。辺獄の中ではホメロスを武将の姿で描いたり、ローマの詩人に較べてギリシア詩人の名前が圧倒的に少ないことなどは、ダンテが古代ギリシアの事情に乏しかったことが原因だと言えるでしょう。

 フランチェスカとパオロの恋の余りにも悲しい結末に耐えられなくなって、ダンテが気を失い死人のごとく倒れた場面で、第2圏谷の話は終わります。