鳴尾事件 | 越木岩神社ブログ

越木岩神社ブログ

兵庫県西宮市にある「越木岩神社」の日々をブログでお伝えします。

1950年9月9日に起こった鳴尾事件(なるおじけん)』をご存知でしょうか??


武庫郡鳴尾村の鳴尾競輪場で起こった騒擾事件です。


鳴尾村は現在でも「鳴尾」という町名・地名等が残っているように、西宮市の鳴尾・甲子園の一帯にあった村で、鳴尾競輪場の収益悪化等を機に財政赤字となり、西宮市に編入されています。

ご存知の方もいらっしゃると思いますが、鳴尾競輪場は
兵庫県二番目の競輪場として、阪神甲子園球場より浜手に向かってやや離れた場所に「鳴尾競輪場」として建設されました。平成13年に甲子園競輪を廃止し、閉鎖後も施設自体は暫く残り、競輪選手の練習場として、また阪神甲子園球場でのイベント開催時には臨時駐車場として活用されていました。

さて、鳴尾事件ですが・・・(少し長いので読み飛ばして頂いて結構です)

195099日の第11レース、ある本命視された選手より、クランクピンが緩んだのでレースをやり直したいと審判員に申告があり、自らはコースを離れてスパナで緩んだピンの締め直しを行った上でレースに復帰。しかしレースは中断されずに継続され成立し、結果として払戻金が11820円の万車券となります。
この時点で観客からは罵声や怒号が上がったものの、審判部より同選手を審議対象にするとの場内アナウンスが流れ、対象選手を1ヶ月の謹慎処分とするアナウンスが流れるや否や、金網を破って走路内に侵入して騒ぎ出したところ、他のファンも騒ぎ出してしまいます。この為、場内警備に当たっていた他の警察官が応援に駆けつけたが、別のファンが警備が手薄になった投票所に殺到し、棒などで施設を破壊し始めます。
これ以上の開催継続は困難と判断した主催者側は、第
12レースの開催中止と車券の買戻しを発表し、事態の沈静化を図りますが、既に暴徒化していた観客は、待機中の消防車を奪ってガソリンを抜き取り、投票所に放火した上で侵入し、第12レースの売り上げ分を含む売上金の強奪を図った。警察官は現金強奪を図る暴徒に向けて威嚇射撃を行い、1名が流れ弾に当たって死亡し、応援に駆けつけた警察官やアメリカ陸軍のMPが到着して鎮圧を開始し、騒乱の扇動者や事務所に放火した多くの観客を逮捕するとともに、場内に留まっていたファンの場外への誘導に務め、騒乱発生3時間後の午後8時にようやく沈静化します。


事件直後より、新聞紙上では「競輪を廃止せよ」の論調一色となり、1951年には、競輪廃止法案が提出されるなど、世論と共に様々な議論や諸制度の見直し等が行われることとなります。そして、騒乱の舞台となった鳴尾競輪場は、甲子園競輪場と名称を改められることとなります。

 

また、事件以前は競輪を「きょうわ」、「きょうりん」と発音していましたが、鳴尾事件が発生した時に語られた揶揄(「狂輪」や「恐輪」など)を避けるため、事件以降は「けいりん」に改められたそうです


記念日として紹介する内容ではありませんが、西宮市に競輪場があったことを御存じない方もいらっしゃるかと書かせていただきました
ペコ