満州開拓団の悲惨な結末(その4) | 日本人の進路

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満州開拓団の悲惨な結末(その4)

 

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満州開拓団の悲惨な結末 

2012年10月 Minade Mamoru Nowar
http://www7a.biglobe.ne.jp/~mhvpip/0607HisannaSaigo.html


 

満州開拓団の悲惨な結末
                     2012年10月 Minade Mamoru Nowar

 

 

 

 

 

(続き)

 

 

 

7.誠実で、人間として実に立派であった廣田弘毅元首相

作家・城山三郎氏の名作『落日燃ゆ』(新潮社 1974年1月発行)の中に描かれている通り、
廣田弘毅元首相は、誠実な、人間としては実に立派な方であった。

同書第119頁は、
アメリカ大使グルーは、「廣田は【外交による国家防衛】へ政策を転換させ、
荒木陸軍大将を辞職に追いやり、軍事を外交から締め出そうとした。

ここ数か月間、廣田は間断なく、また、私の見るところでは、
真摯に、中国、ソ連、英国、および米国と交渉するための
友好的な基礎を建設することに努めた」と友人あての手紙に書いたとある。

極東国際軍事裁判(東京裁判)において
廣田弘毅元首相は一言も弁明しなかった。

廣田元首相の責任が厳しく問われたのは廣田内閣が制定した
【国策の基準】についてであつた。

東京裁判の検事団は、日本の最高指導者たちの【共同謀議】によって、
中国に対する侵略が進められ、ドイツと同盟して対米開戦して、世界制覇を
目指していたという筋書きを描いていた。

しかし、無知で、あまりにも愚かであった旧大日本帝国陸軍の
最高指導者たちには、そんな大構想を描く能力はまったくなく、
かつ、高級参謀を中核とする若手将校たちの暴走を止められなかった
ていたらくであったので、【共同謀議】を立証する事実は見つからなかった。

そこで検事団は、廣田内閣の【国策の基準】【共同謀議】に仕立て上げるべく、
多数の証人に証言させて、廣田元首相を【共同謀議】の張本人に仕立て上げた。

再三、ウィリアム・ウェブ裁判長の不公正な弁護妨害に強く抗議した
ディビッド・スミス弁護人は実質的に追放された。

スミス弁護人と守島伍郎弁護人は、廣田元首相が自ら証言台に立ち、
中国侵略も南京大虐殺もすべて陸軍の暴走であった事実を述べるよう強く求めた。

しかし、廣田元首相は、「陸軍が自分の意思に反して暴走したことは事実だが、
自分には首相としての責任があった」として、自分に不利な証言に対して
一切反論しなかった。弁護を諦めて守島伍郎弁護人は辞任した。

 

満州事変の翌年の1932年5月15日に起きた犬養毅首相を殺害した
無知で愚かな若手海軍将校によるテロ事件(5.15事件)と、

1936年2月26日に起きた斎籐実(さいとう・まこと)内大臣(元首相)、
高橋是清蔵相(元首相)を殺害した無知で愚かな若手陸軍将校による
テロ事件(2.26事件)は日本を破滅させた昭和戦争の号砲であった。

犬養首相(当時)、斎藤元首相、高橋元首相という、
広い視野をもった良識ある元首相たちを殺害した
無知で愚かな若手将校たちの愚かなテロが、
日本だけでも軍人・市民合わせて310万人以上の死亡者を出した
昭和戦争の惨禍に繋がったのである。

兵士を巻き込んで行われたこのテロで、当時の岡田啓介首相と
鈴木貫太郎侍従長(終戦時の首相)は辛うじて殺害を免れたが、
以後、無知で愚かな陸海軍将校たちに【国賊】と罵られ、
【テロで殺害される恐怖】で、
政治家たちは自由に意思決定することができなくなった。

特に軍事費の増大に反対する政治家は、真っ先に
無知で愚かな陸海軍将校たちのテロの標的にされたので、
満州事変以後急激に増大して日本経済を疲弊させた軍事費増大に
反対する政治家はいなくなった。

日本の軍事費の推移
藤原彰著『日本現代史大系 軍事史』 東洋経済新報社 1961年2月発行
第271頁~第272頁より引用

年度国家予算総額直接軍事費軍事費比率
昭和011,578,826千円437,111千円27.1% 
昭和021,765,723千円494,612千円28.0% 
昭和031,814,855千円517,173千円28.5% 
昭和041,736,317千円497,516千円27.1% 
昭和051,557,864千円444,258千円28.5% 
昭和06
1931年
1,476,875千円461,298千円31.2%満州事変
昭和071,950,141千円701,539千円35.9% 
昭和082,254,662千円853,863千円37.9% 
昭和092,163,004千円951,895千円44.0% 
昭和102,206,478千円1,042,621千円46.1% 
昭和112,282,176千円1,088,888千円47.7% 
昭和12
1937年
4,742,320千円3,277,937千円69.0%日中戦争
昭和137,766,259千円5,962,749千円76.8%日中戦争
昭和148,802,943千円6,468,077千円73.4%日中戦争
昭和1510,982,755千円7,947,196千円72.5%日中戦争
昭和1616,542,832千円12,503,424千円75.7%太平洋戦争
昭和1724,406,382千円18,836,742千円77.0%太平洋戦争
昭和1838,001,015千円29,828,820千円78.5%太平洋戦争
昭和19
1944年
86,159,861千円73,514,674千円85.5%太平洋戦争
昭和2037,961,250千円17,087,683千円44.8%太平洋戦争

 

 

 

 

 

(続く)

 

 

 

 

 

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