プーチンに叩頭する“ロシアの犬”安倍晋三の危険(その2)1/2 | 日本人の進路

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左翼全体主義(共産主義)国家化が進む日本。マスコミはどこを向いても左翼ばかり。これでは日本国民が洗脳されてしまうのはくやしいけどどうしようもない。ただあきらめてしまったら日本の明日はない。日本の中、露、朝への属国化が現実のものとなってくる。

プーチンに叩頭する“ロシアの犬”安倍晋三の危険(その2)1/2






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 (注記)
 叩頭(こうとう)=頭を地につけて礼拝(お辞儀)すること 















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中川八洋掲示板より
http://nakagawayatsuhiro.hatenablog.com/entry/2014/03/18/141226



プーチンに叩頭する“ロシアの犬”安倍晋三の危険(Ⅱ)──“日本の友好国”ウクライナを全面支援せよ、ニッポン! 

2014-03-18  




 日本の不幸と悲劇は、「ロシア知らず」の政治家が日本の対外政策を牛耳ることによって発生している。戦前で言えば、“レーニン崇拝狂”後藤新平/近衛文麿であり、“「反米」を裏返した「親ロ」”松岡洋右である。戦後で言えば、“外交音痴のスーパー馬鹿”鳩山一郎であり、“何でも朝日新聞の指示通り”田中角栄であり、“隠れコミュニスト”安倍晋太郎/“親・中共の社会主義者”小沢一郎である。

 この原則は、裏を返せば、「ロシア通の<反ロ>」が日本の外交を担うとき、日本は世界に輝く国家となるということである。明治日本において外務大臣に陸奥宗光や小村寿太郎が登板した時、日本は“昇る朝日”となった。そして日露戦争に勝利したとき(一九〇五年)、トルコやフィンランドなどを挙げるまでもなく世界中に歓喜と称讃の嵐が起きた。
 








第一節 “ロシア封じ込めの日本”こそ、日本の世界史的運命

 私事になるが、一九六五年、私が二十歳の時、ベルリンでフィンランドの女子学生二人(十八歳)と知り合った。あるとき突然、「日本では、五月二十七日にはどうしていますか」と聞かれた。私はそっけなく「海軍記念日は戦後なくなりました。だから、日本では何もしません」と答えた。

 だが、両名とも、「私たちの両親は、家族でささやかなお祝いをします。小学校では東郷平八郎提督や日本海海戦の講話があります」と語り、私は思わず両手を合わせた。この女子学生に対してではなく、その背後に児玉源太郎、川上操六、東郷平八郎(注1)、そして何よりも明治天皇のご遺影を感じたからである。

 確かに、日本が血と汗を流して、ロシアの南下と東漸を防ぐ時、世界には平和が訪れる。それはまた、日本の安全のためのみならず、日本国の安泰永続と発展の確実な基盤となる。
  


 対ロ敵視に基づく(戦争抑止の)ロシア封じ込めこそは、天が日本に与えた世界平和(法秩序)に貢献すべき高貴なる義務で運命であることは、日露戦争の経験において実証された。国家は世界史的運命や真正の国際義務から逃避してはならない。地理が定めた日本の運命に生き日本の義務を果す時、幸福と栄光がわが祖国におとづれる。

 地政学的には、東の「日本」とは、西の「フィンランド~リトアニア~ポーランド~ウクライナ/トルコ」とともにロシアを封じ込める東西の城壁である。南の壁は「(かつてのイラン)~パキスタン~インド~バングラディシュ/スリランカ」だが、本稿ではこれは割愛。
 


 そして、この「日本/フィンランド/リトアニア/ポーランド/ウクライナ/トルコ」の六ヶ国こそは、対ロ封じ込めの“縦深ある第一梯団”を構成する。この第一梯団を背後から守る“縦深ある第二梯団”が英米仏独であり、オランダ/ベルギーそしてイタリアがこれを補足する。フランスは二〇〇九年にNATOに復帰した。

 ここに挙げた第二梯団の諸国すべてはNATO加盟国。NATOは軍事機構としては完成している。だが、第一梯団の六ヶ国は、何らの結びつきがない。このうちNATOに所属しているのは、トルコとポーランドとリトアニア。
 


 NATO加盟がダメなら、せめてNATOの姉妹機構EUに所属してくれれば、多少は情況を改善する。この意味で、フィンランドはNATO加盟国ではないがEU加盟国であり、ウクライナが早急に決断すべきは“第二フィンランド”となるべきEU加盟である。そして、EUは、このことを理解し、ウクライナのEU加盟を急いでいた。プーチンのロシアは、これを妨害することも目的に、一気にクリミア半島を侵略占領した。

 さて問題は、日本がどうするかである。それは、日本が“対ロ封じ込め第一梯団のリーダー”として行動することである。具体的には、これら五ヶ国と軍事同盟は無理だが、それに準じる連携を強化すること。英語で言えば、allianceは無理だが、alignmentを構築すること。この手始めは軍同士の交流。日本で言う「防衛交流」である。
 


 ウクライナに対しては、ロシアにさらなる侵略の口実を与えないために、防衛交流は今しばらくは避けなければならない。だが、代わりに、ウクライナには、日本ができる非軍事のすべての支援を果敢に行う。加えて、ポーランドやリトアニアとの防衛交流協定の早急な締結を急ごう。これらは、ウクライナ支援に確実に効果的だし、ロシアを牽制する働きも大きい。

 それにしても、“凶暴なロシアの卑屈な犬”安倍晋三の、日本をロシアの属国にしたい一念は尋常でない。ロシアのクリミア半島侵略を支持し“プーチンの犬”になりきってご満悦とは、安倍晋三は、果して日本国民なのか。
 


 やはり安倍晋三は、根っからの“親子二代の対ロシア売国奴”である。だから、浅田真央選手を愚弄した下劣・野卑な“親子二代の<ロシア人>”森喜朗を(後述)、プーチンとの連絡要員(パイプ)に使って危険だと思わないのである。「安倍晋三と森喜朗」という売国奴コンビが、今、日本の北方領土をロシアに貢がんとしている。

 領土は、国家の一大事。北方領土を放棄する“親ロ派の馬鹿”で、“第二の松岡洋右”安倍晋三を、早急に総理大臣の座から追放すべく、健全な日本国民は行動を起こすべき時が来た。
  










第二節 対ロ無条件降伏の“暗愚の宰相”鳩山一郎から何も学ばなかった“第二の松岡洋右”安倍晋三

 愚者は、歴史に学ばない。安倍晋三も歴史に学ばない。ということは、安倍が愚者だということになる。

しかし、国民は一時的な人気だけを指標に、政治家を一時的に評価する。人気など、秋の天気で、すぐ移ろう。政治家の人気など長く続いた例はない。

 政治家の評価は、歴史的な評価がすべて。チャーチルやサッチャーなどを思い起こせば理解できよう。しかし、有権者はほぼ全員が低級だから、人気と評価の区別がつかない。いつしか日本の政治家は、安倍晋三がいい例だが、オルテガが喝破するごとく一般大衆並みに人気と評価がゴッチャになり、人気集めだけが政治家の職務だと勘違いする輩ばかりとなった。
 





北方領土を奪還したいなら、安倍晋三が立脚すべき二つの常識

 とりわけ、一九九〇年代に入ってからの日本の国会議員の資質は劇的に劣化した。国会議員とは名ばかりで、ほとんど市町村役場の戸籍係程度の知力しかない。自民党議員は、“悪の極左ばかりの民主党議員”よりましだが、悪徳利権屋が横行し、ほとんどは「馬鹿以下の白痴」と「専制君主」をブレンドしたような政治家ばかりとなった。

 だから、自民党議員で、“対露外交の天才”吉田茂が残した遺訓「領土を奪還するには、三つの心得を守れ」を知る者すらいない。吉田茂は、こう言い続けて死んだ。

 第一は、対ロ経済協力を決してしないこと/お土産は決してもっていかないこと/ロシア高官を決して歓待しないこと。
 


 第二は、日本自身が軍事的奪還の態勢をつくることなしに領土奪還交渉をしないこと/米国の軍事力を背後にしっかとちらつかせるべく日米同盟を最高レベルに強化すること。

 第三は、ロシアは、南や西への拡大も考えるので、東側での妥協・退却を決断せざるを得ないことが周期的に発生する。このチャンスをじっと待って、機が来たら迅速果敢に一気に勝負に出ること。

 吉田茂のこの三心得につき、以下、二点ほど補足する。
 






A ロシアは、経済協力をする隣国を “役に立つ白痴”として侵略の対象にする

 例えば、“対ロ経済協力をすれば、領土は戻ってこない”ことは、一九七三年、モスクワに乗り込みブレジネフ書記長に騙された“愚鈍で驕慢な田中角栄”の暴走外交が証明している。だが、安倍晋三は、田中角栄がロシアに騙された時と寸分変わらぬ同じ方法で、自分に限っては田中角栄の二の舞にならないと発想する。根拠もなければ、田中角栄の失敗の研究もしない。(一度パトカーに捕まった時のヘマはしない)暴走族クラスの知的水準より低い。

 田中角栄は、シベリア開発というお土産を持っていけば、北方領土というお返しのお土産をもらえるとばかり、いそいそとモスクワに乗り込んだ。田中は、日本側のお土産だけ分捕られて、悄然と手ぶらで帰国した(注1)。 


 このとき、(「日中国交回復」に田中を走らせたように)田中角栄と昵懇な朝日新聞社の幹部たちが、「一九七二年に沖縄が還ってきたから、一九七三年の今、ロシアは必ず北方領土を返す」という嘘を刷り込んだらしいとの噂が流れていた。また、ロシア工作員・末次一郎(KGB第一総局プリマコフ機関)が、「お土産さえあれば、ブレジネフは絶対に領土を返還する」との、ロシア側工作員とでっち上げた嘘話を田中角栄に直接吹き込んだとも、筆者(中川)は複数の関係者から聞いた。

 だが、ロシア民族に、相手のお土産に対して、お土産で返礼する文化も慣習も存在しない。一九七三年のロシアもプーチンのロシアも、十三世紀のモンゴルのキプチヤク汗国のままで、お土産を持っていくことは、「ロシアの属国になります」の誓約行為の儀式としかみなさない。しかも、先にお土産を渡すと、ロシアは「もっとお土産をもってこい」と要求する。
 


 林檎を二つ持っているとき、欲しそうな顔をしたロシア人が傍によってきたから一つ上げたら、このロシア人は「もう一個も、よこせ!」と必ず言う。二つの林檎を仲良く分ける概念がロシアの民族文化にはない。また、「一つくれたのだから、もう一つくれてもいいはず。なぜくれないのだ」と考えるロシア人特有の異常思考は文化である。これはまた、“侵略が第一”ロシア民族の通常の感覚で常識。

 こんなことも知らない日本人に、ロシアと直接に接触する外交交渉は禁物である。仮に、ロシアとの交渉をするならば、お土産など逆効果の極み。コップ一杯の水すらロシア側に決して出してはならない。 


 革命直後の一九二二年四~五月、四面楚歌になった“世界の孤児”ソヴィエト・ロシアは、西側から経済協力を勝ちとり、前政権のロシア帝国の債務を棒引きするため、ジェノヴァ会議(イタリア、英語ではジェノア)に臨んだ。このときのソ連首席代表である外務人民委員(外務大臣)のチチェーリンに、出立前にレーニンが指示した訓令(手紙、二月十日付)には、ロシアの対外政策の本性が見事に凝縮されている。

「西側の資本家(=私企業)は、自分の首を絞める縄を自分から編んでもってくる“役に立つ白痴ども”(だから、うまく騙せよ)」(注2)。 


 ロシア対外政策のこの本音は、日本に対してぴったり適用されている。日本は、ロシアがちらつかせる“北方領土返還という毛鉤”に喰らいついた卑しいハゼのごとく、「田中角栄による東シベリア開発」、そして「安倍晋三による極東シベリア開発」をするが、その結果は北海道へのロシアの侵略の基盤づくりであり、ロシアの対日侵略に全面協力をしている。極東シベリアや樺太の開発は、それらの地におけるロシアの軍事力の増大を促進する軍事インフラ整備に他ならず、まさに日本が日本自身の首を絞める縄を編んでいる行為である。

 日本の国家安全にとって、バイカル湖より以東のシベリアは無人の荒野にするのがベスト。これ以外に日本が安全に生きる道はない。“国防音痴”安倍晋三の無学・無教養からの「親ロ主義」は、日本にとって危険を越えた、亡国への誘導である。いや、山縣有朋や伊藤博文など“親ロ馬鹿の巣窟”だった長州藩系の安倍晋三とは、ロシアに日本を売る“父親譲りの売国奴二代目”である。
 
 
 







B ロシア人は、強大な軍事力に恐怖した瞬間、盗んだものすべてを自分から投げ出す

 ロシアが巨大な世界帝国へと膨張できたのは、適宜、侵略領土を返還する「一時退却」の達人だからである。一九四五年二月のヤルタ会談で、ルーズベルトとチャーチルをうまく騙したスターリンのソヴィエト・ロシアは、東欧諸国と東ドイツを植民地とするのに成功した。ロシアの“戦勝国の占領”が、その地に対する“生殺自由な収奪の植民地化”になるなど、“異常なスターリン傾倒者”ルーズベルトでも予測しなかった。

 その後、東欧諸国は、ヤルタ協定(注3)の正しい履行を求めて、(植民地解放戦争でもあった)一九五六年のハンガリー動乱や一九六八年のチェコ動乱など、ロシアからの“独立”を試みるが、ロシアは戦車軍団を繰り出し、あこぎな植民地圧政を続けるのだった。

 しかも、ヤルタ協定をさらに違反して、(ロシアの占領行政地でない)西ベルリンまで侵略しようとした(「ベルリン危機」)。“米国の反共・反ソ大統領”ケネディの断固たる西ベルリン死守の軍事行動がなければ、一九六一年、そこもソ連領土になっていた。
 


 が、一九八九年十一月、ロシアは、東欧諸国・東ドイツすべてを投げ出して、それぞれの国家に「返還」した。ヤルタ協定を、四十四年ぶりに、突然、正しく履行した(注4)。ロシアはなぜ、一九四五年五月に始まる四十四年半に及ぶ東欧収奪の植民地支配機構をあっさりと投げ出し、「退却」したのだろうか。

 世界で日本人だけは、国際政治の視野も知見もほとんど精薄児並み。だから、「東欧解放」を、ゴルバチョフのペレストロイカ(改革)によるとか、東欧の民衆自身の「ビロード革命」の成功だとか、まるで幼稚園児の戯言で説明できると思い込む。いい加減さも限度を越えた暴論である。これでは、北方領土の奪還などできない。

 ロシアは、対ソ核戦争も辞さない反共・反ソのレーガン大統領の凄すぎる強硬姿勢に恐怖して、「東欧諸国を西側に貢納するので、これでどうか対ソ核戦争を勘弁して下さい」と対米降伏を申し出たのである。しかし、弱音を決して外国人に見せないロシア人の対外行動文化において、ロシアは「東欧諸国が自ら民主化運動によって、それぞれの共産政権を打倒した」との、世界を騙す“世紀の大演技”の演出に大成功した。
 


 東ドイツ、ポーランド、チェコ、ルーマニアなどでの「ビロード革命」は、すべてKGB第一総局が脚本を書き指揮したものである。ポーランドのワレサも、その他の国々の民衆も、KGBの操り人形だった。「独自・独力で行動した」つもりなのは、本人たちの勝手な思い違い。

 ともあれ、東欧諸国は、一九八九年十一~十二月、ヤルタ協定が正しく履行されて「ヤルタ体制」が終焉し、これら占領地の領土と国民は“ロシアのくびき”から解放された。一方、日本は、ヤルタ秘密協定(注4)が一九五一年九月のサンフランシスコ講和条約で破棄されたのに、ヤルタ秘密協定に従ってスターリンが不法占拠した、南樺太も国後・択捉島もクリル諸島(=千島列島)も解放されていない。
 


 それは、一九五五~六年の、鳩山一郎がなした対露外交交渉でのあきれ返る大譲歩が始まり。が、その後の日本側の常軌を逸した、対ロ売国奴外交の連続に最大の原因と責任がある。ロシアは軍事力に恐怖すれば妥協・譲歩する。軍事的な奪還の態勢が存在しなければ、いかなる対ロ交渉も反撃され、ロシアの新たな対日要求に早代わりするだけである。

 在日の米軍事力をいっそう強化すること、特に(閣議決定で簡単に廃棄できる)非核三原則を破棄して、日本の領土内に(ハバロフスクとウラジヴォストークを殲滅する)米国の核兵器を搬入・セットアップするのは、最も有効な北方領土奪還の上策の一つ。

 次に、北海道と青森・岩手県を要塞化し、加えて、これらの地に北方領土を奪還できる軍事力を配備することである。北海道の全海岸には数千万個の対人地雷を敷設し、少なくとも北海道に最低でも千五百輌以上の戦車(十ヶ師団、三ヶ戦車軍団)を配備することである。
 


 こうすれば、交渉せずとも、ロシアは、北方領土を日本に無条件にかつ全面的に返還する。戦わずして北方領土を簡単に奪還できる。しかし、なぜ、日本は、安倍晋三をはじめ、この北方領土奪還策を決して選択しないのだろう。

 なお、日本では、かつてルーシ内に隈なく張り巡らせていたモンゴル工作員網そのものに、木村汎(注5)や岩下明裕(注6)などの“ロシアの工作員”たちが、「非国民!」などとの非難にさえたじろぐこともなく、ひたすら暗躍して嘘情報を流布している。
 


 彼らが流す、「ロシアは、国後・択捉の折半なら応じる」などの話は、むろん創り話で真赤な嘘である。ロシアは、侵略した領土を返還するときは百%返還が原則である。「折半しよう」などのシグナルがあれば、それはロシアが“絶対に返さない”時の騙しである。このことは、「東欧解放」で証明済みではないか。

 ともあれ安倍晋三は、このようなロシアの基本的な対外行動を知らない。知ろうともしない。“暗愚の親ロ”安倍晋三に、ロシアとの外交交渉を決してさせてはならない。
 








第三節 ロシアの外交交渉(表)は、謀略工作(裏)を隠す眼晦し

 ロシア外交は、表向きの外交交渉は、水面下で行なう秘密交渉(裏取引)や謀略工作をカムフラージュするための演技であって、一般通念上の外交交渉というものはロシアにはまったく存在しない。ロシアには、外交(diplomacy)は皆無。

 すなわち、日本側がロシアと外交交渉で北方領土を奪還できると考えるのは、不在の幻影を追い求める自殺的行為で、百%徒労に終わる。つまり、これまでの/現在の日本人の対ロ外交は、砂漠の蜃気楼に映るオアシスに向かって歩き続けるのと同じく、妄想に取り憑かれた死の旅路で狂気である。
 


 ではロシアの対外政策はどのようなものか。それは外国に対して自分の意志を強制すること、それ以外ではない。「外交(diplomacy)をせず」「強制(coercion)をする」のが、ロシアの外国交際のすべてである。こうも言える。相手国に対し、相手国みずからが諦念してロシアに敗北と降伏を申し出るように誘導する“軍事力を使用しない戦争”が、ロシアの対外政策を貫く根幹である。

 ロシアは、一四八〇年にモスクワ大公国として独立国家になって以来、二〇一四年の現在にいたるまでの五百年間、外交交渉においては勝利しかないのは、たとえば、英国にしろフランスにしろ米国にしろ、ロシアと外交交渉をしているのに、ロシアの方は(軍事力を用いない謀略工作という)戦争をしているからで、この非対称(=「戦争≫外交交渉」)において、戦争する側が必ず勝利するのは当然。
 


 とりわけ、江戸時代の封建文化によって、日本人は外交交渉と戦争とを極端に区別する以上、日本の対ロ外交交渉は必ず全面敗北しかない。具体的には、幕末の下田交渉、明治時代の樺太・千島交換交渉、昭和初期の日ソ国交回復交渉、戦後昭和の北方領土奪還交渉など、例外一つなく、日本の対ロ外交はすべて“対ロ無条件降伏”となった。 




ロシアの対日謀略工作(戦争)と日本の対ロ外交交渉──この非対称では、勝者は初めから明らかではないか

 ロシアは“軍事力を直接用いない対日戦争”をしているのに、日本は“対ロ外交交渉”をしていた一九五五~六年の北方領土奪還交渉を、事例として考察する。この交渉で、鳩山一郎が対ロ無条件降伏へと追い込まれて行く過程は、ロシア外交が“軍事力の行使なき戦争” なのを鮮明にしてくれるからである。

 結論を先に言えば、ロシアは、日本の要求「北方領土の返還」を百%蹴っ飛ばし、ロシア側の要求「国交回復」のみ日本側に全面受諾させた。このロシアのやり方は、十三世紀のモンゴル帝国の他民族に対する侵略と収奪のやり方とまったく同一。日本は、これまでの敗北と降伏の五十年間を自省して、「これまでの対ロ外交交渉をいっさい自制し、第三の道を選択しなければ北方領土の奪還など不可能だし、そんな交渉自体が日本国を亡国の危殆に導く」と自覚すべき時である。
 


 日本の対ロ外交の極意は、北条時宗に吉田茂/小村寿太郎を加味して、この三人に学ぶことだし、この三名に熟知した者だけがロシアと接触できる。ロシアの「実際の外交官」は、すべてKGB第一総局(SVR)の工作員で、外務省が相手としているロシアの職業外交官は全員、このKGB第一総局が所轄し監督下にある“事務員”である。

 さて、鳩山一郎を完全に手玉にとって騙しに成功したロシアの手口は、以下の通り。

 ロシアの表向きの対日「外交交渉」は、一九五五年六月一日から一九五六年十月十九日までの一年五ヶ月間。しかし、ロシアの対日「戦争」は、一九五五年一月に鳩山一郎を交渉の場に引きずり出す緒戦に成功してから、日本を油断させ時間を稼ぐための表向き外交交渉の水面下では、①人質作戦と②(北方領土奪還という)日本の対ロ方針を自壊・撤回させる作戦の、二つの戦争が一気呵成に進められた。
 


 鳩山一郎は、病気による総理退陣が近づく国内事情もあって、最後は自分の体面(私的立場)を絶対優先して、自国の領土の放棄に等しい対ロ全面降伏の「日ソ共同宣言」を受諾した。鳩山一郎とは、国賊の中の国賊だった。一郎の孫・鳩山由紀夫が、二〇一三年、尖閣諸島を中共に貢ぐべきだと公言して恥じないが、隔世遺伝である。なお、鳩山由紀夫の妻は、一九四三年に上海で生まれた純血の支那人。

 さて、鳩山一郎に対して、「北方領土返還要求を取り下げない限り、人質を解放しない」との、ロシアの得意とする人質作戦の第一は、「シベリア抑留者を帰還させないゾ!」の脅しだった。だが、シベリアに拉致連行された日本の男児一〇五万人のうち、四~五十万人は殺害され、五十二万人はすでに帰還しており、残りはわずか三千人。しかも、全員が帰還を直前に控え、ハバロフスクに集結させられていた。
 


 ロシア内に諜報網を張り巡らせていた米国が、この三千人すべてに帰還用の新調の服が支給されており、帰還は時間の問題であることを掴んだ。すなわち米国は、対ロ交渉に入る絶対条件として「先に帰還させよ、すれば平和条約の交渉に応じる」と突っぱねれば、一九五五年の夏には解放されると、何度も鳩山一郎に助言した。帰国時に(それまでのボロ切れのような服から)「新しい服」を支給するのは、“ソ連は労働者のパラダイス”という嘘宣伝のためである。

 しかし、“表の外交交渉だけが外交”と勘違いする“スーパー外交音痴”鳩山一郎は、米国が親切に友邦・日本国のために提供した、対露外交のイロハ的な忠告・諫言や貴重な諜報情報を平然と無視した。米国の指導にも吉田茂が人を介して止めるのも聞かず、鳩山一郎はロンドンで対ロ交渉を一九五五年六月一日に開始した。ために、シベリア抑留三千人の帰還は一年三ヶ月も遅れたし、北方領土は侵略されたままになった。
 









「領土より魚を!」と絶叫した北海道漁民は、日本国民ではない

 ロシアが「第二の人質」としたのは、主に北海道の漁民。しかも、この「人質」作戦では、二つの謀略が遂行された。

第一は、日本の漁船と漁民を無差別に拿捕することを通じて、(オホーツク海など)北洋漁業の漁民たちに「ロシアの要求である<国交回復>をしなければ、拿捕の危険が増大する」との恐怖を植え付けた(表1)。日本人は頭が悪いのか、拿捕は日本を対ロ交渉で敗北に追い込むための手段だから、鳩山が交渉を止めさえすれば、交渉開始以前のレベルに拿捕が減少することを、発想しなかった。特に、頭が悪く、個人的な名誉慾しかない低級な人間の鳩山一郎は、こんな当り前の情況判断ができなかった。 




表1;対ロ交渉期間のみ、急増した北洋での日本漁船の拿捕(注1)

  年
            拿捕漁船数(漁民数)
                           備考

1952年
             44隻(364名)


1953年
            44隻(340名)


1954年
             65隻(537名)
 



1955年
            125隻(1104名)
                         交渉がなかった前年の二倍

1956年
             131隻(1207名)
                             同上

1957年
             99隻(944名)
                         交渉終了で、拿捕は減少

1958年
              80隻(557名)






 第二の、日本の北洋漁民の「人質」作戦は、“札付きのコミュニスト”河野一郎の活用だった。北方領土放棄の策謀に加担する見返りに、巨額の金を日本の水産会社から贈賄させるべく、ベリヤ後のKGBが仕組んだ“対河野謀略”である。

 すなわち、河野一郎・農林大臣は、事前に渡されたロシアの筋書きに従って、「日本が“領土返還なしの国交回復”を受諾しないならば、ロシアが日本の北洋漁業への出漁を認めないことを、日本政府は合意する」との提案をブルガーニン首相に提示した。表向きは河野一郎の方から個人的に「密約」を持ちかけたことになる。ソ連側は、河野提案密約を、「エッと、驚く」演技をしながら承諾する形で、日ソ漁業協定第八条の条文とした。
 


 いくつかの資料が示すところでは、河野一郎がブルガーニンに提案したことになっている(注2)。ブルガーニン首相との秘密交渉の場では多分そうだっただろう。だが、河野一郎にそう提案するよう、事前に吹き込んだのはロシア側なのは言うまでもない。

 ともあれ、この協定第八条によって、北洋への出漁は国交回復がなければできず(注3)、死活問題となった北海道の貧しい漁民はいきり立った。かくして、ロシアの人質となった北海道の漁民は、ロシアの領土返還拒否を支持することと同じ、「領土より魚を!」を一斉に大合唱するに至った。 
 







チンギス・カン発明の支配民族洗脳術を操れるのは、世界で一カ国ロシアだけ

 戦後日本の外交は、米国と無数の交渉をしたが、文明のルールを最も遵守する米国は、外交交渉で野蛮な「人質作戦」などとったことは一度もない。このように、欧米諸国や東南アジア諸国との外交交渉と比較すれば明瞭だが、ロシア外交とは、あこぎな暴力団の恐喝や身代金要求の誘拐犯罪とまったく同種で、これを米国と変らないと言いつのる民族系論客は、ロシアの工作員と同等な“口害者”である。

 日本側に領土返還要求を引っ込ませる、ロシアの人質作戦は成功裏に終わった。この結果、日本国中がロシアの言いなりになって、朝日新聞の煽動のままに「国交回復を先にやれ!」「国交回復だけで充分、領土返還など不要」の金切り声を上げた。日本は、“ロシアの手先”朝日新聞や社共の思惑通り、完全にロシアの属国となった。
 


 この情報工作(謀略)では、ロシアは二分野を重点的なターゲットに選んだ。第一分野の標的は、社会党や労農党などの日本の政党、道議会などの地方自治体(注4)、漁業団体(注5)・シベリア抑留家族団体(注6)・北方領土の旧島民団体(注7)。これらの政党や諸団体では、「領土奪還!」の言葉は次第にか細くなり、いつしか「国交回復」の四文字の声だけを挙げるようになった。ロシアの対日情報工作は、完全成功であった。

 第二の分野とは、『朝日新聞』や雑誌『世界』『中央公論』の報道や論考のすべてを、「領土より国交回復を!」「入口で国交回復をすれば、いずれ出口で領土は還ってくる」との、“領土は後、国交回復が先”の真偽を逆さにした、“日本国民騙しのスローガン”で埋めさせることに成功したことを指す(注8)。
 


 ここに、吉田茂が首相であった一九五四年末までは、確たる日本の常識だった「北方領土を奪還しよう!」「島民一万七千人の故郷を返せ!」の声は、鳩山が総理になって一年後の一九五六年に入ると、言論弾圧されたごとく、全く沈黙させられていた。

 天才チンギス・カンとその後継モンゴル人は、支配する国や民族を力と恐怖で奴隷化するだけでなく、被支配側の方から「反モンゴル」の声や「過酷な徴税反対」の声が上がらないようにする、言論の完全コントロールに至る特殊ノウハウを“発見”し“実践”してきた。ロシアは、チンギス・カン発明の、“被支配側の思考麻痺”をもたらす魔術と言ってもいい、ロシア人にしかできない特殊な言論統制・操作術を(ロシアの奴隷国ではない、ロシアとは対等であるはずの)主権国・日本に適用し、大成功を収めたのである。
 







日本の亡国につながる、ロシアとの平和条約は決して締結してはならない

 一九五一年九月のサンフランシスコ講和会議で、ロシアの首席全権グロムイコ外務大臣が退席して以来、日本とロシアとの間で講和条約(平和条約)が六十年以上も存在しない。この事態こそは、実にすばらしい、日ロ関係の理想である。なぜなら、ロシアとの平和条約が欠如した状態こそ、日本の国益と安全保障に絶大に寄与するもので、最高の対ロ外交だからである。今後も、ロシアとは決して平和条約は結んではならない。

 ロシアとの条約は、①一九二五年の日ソ基本条約、②一九四一年の日ソ中立条約、③一九五六年十月の日ソ共同宣言の、三大過誤を思い出せば、締結しないのが日本の国家安全保障の至高の策なのは自明ではないか。

 では、北方領土を奪還した暁には平和条約を結ぶことになっている問題は、どうするのか。
 


 答えは簡単。日本がもし北方領土を返還させたいのなら、鳩山一郎が締結した日ソ共同宣言を廃棄する道を選ぶほかない。当然、平和条約を結ぶ前提など吹っ飛ぶ。

 次に、外交交渉などせず、ロシア側に「北方領土をお返しします」と言わせるのだから、平和条約は領土返還とは別次元の問題になる。一九八九年十一月、ロシアは、「解放」と一般に称されている、東欧諸国からその占領軍を撤退させることを世界に宣言したが、それは平和条約の締結交渉によってであったか。まったく無関係だった。

 ロシアと交際するに、日本人が忘れてはならない絶対常識がある。ロシアにとって、条約とは相手を油断させる騙しの手段に過ぎず、当然ながら「破るのを自明として締結するものが条約」としか見ていない(表2参照)ことである。日本が、万が一にも、ロシアと平和条約や友好条約など結んではならないのは自明。例は、ロシア五百年の対外条約のほぼすべてだから、いちいち挙げる必要は無かろう。
 




表2;侵略するために平和条約を結ぶロシア

ロシアの被侵略国
               騙しの平和条約
                          ロシアの侵略・領土奪取

ポーランド
         ポ・ロシアのリガ平和条約(1921年)
                             1939年9月

フィンランド
          フィン・ロシア不可侵条約(1932年)
                           1939~40年、1944~5年
 


エストニア
           エス・ロシア不可侵条約(1932年)
                             1939~40年

ラトヴィア
           ラト・ロシア不可侵条約(1932年)
                               同上

リトアニア
           リト・ロシア不可侵条約(1926年)
                                 同上
 


日本
          日ソ中立条約(1941年)
                        1945年8月、満洲、樺太

アフガニスタン
           ア・ロシア友好善隣協力条約(1978年)
                               1979年12月
 





 (備考1)「ソ連」は、日本の俗語的表記。国際的には「ソヴィエト・ロシア」が一般的。この表では、日ソ中立条約以外は、ソヴィエト・ロシアもロシアも「ロシア」で統一した。ソ連は、内政においてはロシアと相違するが、外交ではソ連とロシアには何らの差異もない。



 特に、ロシア語の「善隣友好」「友好」は、ロシアに対して“侵略されても結構ですよ”という、レイプを歓迎する性的狂女のメッセージと同じ。ロシア語の「平和」「不可侵」「中立」は、標的国が油断するよう、侵略の準備をするロシアに対して防衛準備をさせないようにする心理作戦語である。ロシアは、いずれの日か侵略せんものと、隣国への侵略に手を緩めることはしない。絶えず侵略の機をうかがい、そのために「友好」「不可侵」などの言葉を多用して投げかけ、それを条約とする。

 祖国の固有の領土の回復に際し、慌てたり焦ったりするのは禁物である。イスラエルは、二千年の時を経て国家の領土を取り戻した。日本もまた、百年の計でロシアから樺太を含めた固有の領土を奪還する決意をし準備することだ。このためにも、ロシアと平和条約だけは断じて締結してはならない。
 






 (続く) 







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