男女共同参画制度を全廃しこの予算を全額国防費として利用せよ | 日本人の進路

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左翼全体主義(共産主義)国家化が進む日本。マスコミはどこを向いても左翼ばかり。これでは日本国民が洗脳されてしまうのはくやしいけどどうしようもない。ただあきらめてしまったら日本の明日はない。日本の中、露、朝への属国化が現実のものとなってくる。

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男女共同参画制度を全廃しこの予算を全額国防費として利用せよ


















サヨク利権の柱、共産主義思想であり日本解体政策である「男女共同参画制度」を完全廃止し、この売国政策(サヨクの資金源)に使用している予算を全額国家を護るための国防費に回すべきである。

日本を護ってこそ、日本国民は豊な利益をうけられるのである。

日本を破壊し、日本国民の税金を食い物にする、サヨク、共産主義者を養うために、5兆円も使うとは、日本は狂っているのだ。

国防費を何十年にもわたり増額しないで中国など何十倍も防衛予算を増額しているのに、日本が弱体化するのはあたりまえである。







男女共同参画予算全廃   ← サヨク共産主義国家化政策であり日本解体政策である。
             サヨクの資金源となっている。
             日本国民の血税が、サヨクどものおいしい食い物にされているのである。





国防費へ全額振り向け    ← 何十年も国防費を増額しないで日本は実質中国の10分の一程度の防衛費となってしまったと思われる。


日本の防衛費はこれでも(男女共同参画費を全額投入しても)、まだ不足である。
GDPの3%の予算が普通の国である。
 
















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男女共同参画



http://ameblo.jp/kororin5556/entry-10491382370.html


2010-03-25 日掲載







ゾンビ、マルクス主義の生き残り「ジェンダーフリー」

  思想、政策を民主党が進めている。

  この恐ろしい国家破壊政策を民主党が進めている。

  何としても日本を破壊しつくしたい、

  韓国朝鮮人党がすすめている。


  この国家破壊政策に膨大な税金を投入しようとしている。




  男女の区別は差別という恐ろしい共産主義者の人間破壊政策

  人間破壊
  家族破壊
  地域破壊
  国家破壊 
  



国家を破壊するために、日本国民の税金、それも防衛費に匹敵する予算がつかわれているのである。

しかもこの予算が、日本を破壊するためのサヨクの活動費になっているのである。
 








この政策を推し進める民主党。

最早これはただごとではない。





人間失格者大量生産政策をやめさせ、国家を救う必要がある。


国連なんちゃらを楯にとっているが、国連などの言うことをまともにうけいれるなど、
バカとしか言いようがない。
国連など左翼思想に塩漬けされた集団が勝手にやっていることだ。


それが国連だというなら、国連など百害あって一利なしだ。
さっさと脱退しようではないか。

日本は世界の奴隷ではない。

不当な多額の国連分担金など払わないですみ大いにいいことづくめだ。



このバカな政策を推し進める民主党には、罰則を適用せよ。
法律で罰則を設けるべきである。
こんな国家破壊を進める民主党は日本みん族にあらず。


やはり国家乗っ取りをはかる、韓国朝鮮人、それを後押しする中国共産党の
陰謀である。






民主党政策集INDEX


$日本人の進路(kororinのブログ)-男女共同参画01







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(注)「男女共同参画社会基本法」という法律が
  (平成11年6月23日法律第78号)
   で制定されている。
  この人格破壊、国家破壊法が自民党時代に制定されたとは驚きである。
  日本社会にいかに左翼勢力がはびこっているか、国連に弱い愚か者日本を
象徴している。
このたびマルクス主義者民主党の台頭でがぜん勢いを増した
というのが、実情のようだ。







人格を破壊し、国家を破壊する
「男女共同参画社会基本法」
という、ばかげた法律の一刻も早い
廃棄、改正を望むものである。



人も国も破壊する政策のため、
5兆円なにがしの、税金を投入するとは、
世も末と思う。






もう少し正確に調べてみた。

平成21年度男女共同参画推進関係予算

   4兆2714億円




いやあ。おどろき。

国家の防衛予算と大差がない。


国家破壊のこの予算全額を、

ただちに国を守る防衛費に回すべきである。








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男女共同参画の正体

 フェミニズムの正体












まえがき

ジェンダーフリーは狂気の思想である。 この狂気の思想が「男女共同参画」という、分かったようで分からない抽象的な言葉を使うことで、国民一般に押しつけられている。

本書は、この「狂気の思想」に基づいて全国あちこちで行われている、呆れるような現象や悲喜劇を、その思想的背景とともに明らかにしたものである。

(中略)


詳しくは本書を読んでいただきたいが、はっきり言えば、 この法律はマルクス主義者によって、彼らのイデオロギーに基づいて制定されたものなのある 。

 そして、現在、彼らの工作革命は政府や地方自治体をも巻き込み、その権力と多額の税金を
使って着々と進行している。

「冷戦が終わったのに、そんなバカな?」と思うなかれ。もしそう思う人がいれば、そういう人にこそ読んでほしいものとして、本書は書かれた。

(中略)


著者二人は、「新しい歴史教科書をつくる会」という教科書改善運動に携わっている者である。 歴史教科書も冷戦後、よけいに階級闘争史観が濃厚になったが、本書で論じた「ジェンダーフリー」も「過激な性教育」も、その背景にある人物や思想は、歴史教科書を自虐的にした勢力とぴったり同じである。「敵」は同じなのである 。

(以下省略)
                                                 平成16年師走  八木秀次





男女共同参画とは、ジェンダーフリーのことであり、「性差の解消」ということです。

その発想から付随的にいくつかの主張が導き出されます。

性別による固定的な役割分担。男女の役割をきめない。

社会における制度または慣行が男女共同参画社会の形成を阻害する場合はこうした制度を改めるべき。

これまでの伝統や文化は完全に否定の対象になる。

性差の否定・解消は性的秩序、性規範の否定につながる。男女の性差がないということになれば、男女間の秩序、男女の性行為を含め、性秩序すべてが否定の対象となります。

従来の性的秩序や性規範を否定した上に、これに代わって「性の自己決定権」という考え方が持ち出されています。

性の自己決定権とは性に関しては何でも自分で決めることができる。

これは従来の性的秩序や性規範を否定することですから、「性の解放」「フリーセックス」につながります。







男女共同参画により進められていること


テレビのCMにクレームをつける。
P&GボールドのCM 男性が洗濯。女性も子供も出てこない。女性は洗濯するという役割分担を決めてはいけない。

サザエさんにクレームをつける。ジェンダーの視点からみると最も許せない番組。専業主婦のいる家庭で三世代同居だから。昔は波平さんが和服に着替えるのをフネさんが手伝っていたが、今は自分で着ている。

紅白合戦にも男女でチームを分けるのはおかしいとクレーム



性からの解放を実践するため中学、高校の男女の更衣室を一緒にする。小学校高学年の野外活動教室での寝室を男女同室にする。




性の自己決定権を持つために小学校低学年に性器の名前を教えたり、具体的な性交の方法を人形を使って教える。援助交際する権利、中絶する権利などを教えるという過激な性教育を日教組主導により推進。

男にスカートをはかせるのが最終目的。



性からの解放という思想はマルクス思想主義が形を変えて権力に忍び込んでいる。男と女は違いませんという連合赤軍、永田洋子の世界である。

その思想を小学生に植え付けているのである。




 新・国民の油断「ジェンダーフリー」「過激な性教育」が日本を滅ぼす 西尾幹二(新しい歴史教科書を作る会)・八木秀次 著  PHP文庫より抜粋






フェミニズムは諸悪の根源

■   フェミニズムは諸悪の根源。
.........................
フェミニズム →→ 【国連女子差別撤廃条約】 に加盟
              ↓
 【男女共同参画社会基本法※1】 が制定 / 1999年6月

   ↓     ↓    ↓
   ↓     ↓ 【ジェンダーフリー※2】・【伝統文化の破壊】
   ↓     ↓
   ↓ 【セクハラ/痴漢冤罪問題】・【DV法問題】
   ↓   ↓            ↓
   ↓ 職場環境の悪化  女性不信・女性嫌い
   ↓
 女性の社会進出促進→【アファーマティブアクション等女性優遇政策】
   ↓              ↓   ↓ ・【福祉等で財政圧迫】
 職は無限ではない→【ニート問題】 ↓ ・【配偶者控除改正】
   ↓                   ↓
 【派遣法改正】→正規雇用が減少  →→【男性差別】

   ↓             ↓
 一人頭の賃金減少  【技術力低下】・【国際競争力低下】
   ↓
 【雇用・賃金格差】 →→  【ワーキングプア】・【治安悪化】
   ↓              ・【過労死問題】・【自殺者増加】
   ↓
 共働き・非婚の増加→→【少子化問題※3】→→【年金問題】
   ↓
  親子の時間が減る →→ 【教育問題】・【少年犯罪凶悪化】







※1:女性差別だけを撤廃した為に男性差別が残り、その分の男性の負担が増加、非婚派男性増加の一因。

※2:性差を否定した危険思想。現在、表面上は性差を認めている。元々(米)は「ジェンダーに敏感な」で「ジェンダーを無くそう」ではない。

※ 3:オーストラリアでは女性のフェミニズム離れが出産率上昇の要因。



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専業主婦は歴史的に最も進歩的


 専業主婦という形態は、二つの意味で、歴史的に最も進んだ形態である。第一は近代社会に特有の 「働け」イデオロギーから脱して、「ゆとり」を手にしたという点。 第二は、その「ゆとり」を使って 家族愛、母性愛を十分に発展させる可能性を手に入れた点。

 なるほど近代家族の愛情による絆の歴史は短いので、それを人類はまだまだ上手に使いこなしているとは言えない。母が子に過干渉になってしまったり、一方的な価値観を押しつけたりというように、ゆとりや母性を間違って使う例も多い。また「子どもに愛情をそそぐべし」と言われることを重荷に感ずる人や、母性愛・家族愛が「縛るもの」「閉じ込めるもの」だと感ずる人も多い。


  しかしゆとりや母性を大切だと思う考え方や、それを可能にする専業主婦という形態自体は進歩的で人間的な要素を持っている のである。


  家族のあいだの愛情などの情緒面が重要視されるようになったのは、歴史的に見て大きな進歩である。 子どもたちの犯罪や問題行動の背後にあるのは、ほとんどの場合、愛情不足であることを見ても、 子どもを父性と母性のバランスのもとに正しく育てることの重要性が認識されなければならない。 親がきめ細かな愛情で可愛がって育てることは、 子どもの人格が健全に育つためには 不可欠の条件である。



 21世紀の将来の社会では、家族愛はもっと大切なものと考えられるようになるであろう。そこのところをフェミニストたちは逆に認識してしまっているのだ。フェミニズムの考え方は、逆さまである。近代を批判したかったら、女性を外へ外へと浮き足立たせて駆り立てる近代的「働け」イデオロギーをこそ批判すべきだろう。 そして家族がそろって余裕を持ち愛情を交し合うことができる方向を模索すべきではないだろうか。 そのほうが歴史的に進歩的な側に立つことができると思われる。


  専業主婦という形態は、子どもを健全に育てるためには非常に有利な形態であり、 教育という国家百年の計を考えるならば、 専業主婦を大切にすることは国を救うための最良の策だとも言えるのである。 その意味では、年金にせよ税制にせよ、専業主婦を優遇することは正しい政策である。







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恐るべしジェンダーフリー教育
  2002.8月号「正論」より抜粋



ジェンダー論は妄想の産物



ジェンダーとは生物学的に規定された性「sex」ではなく、社会的文化的に規定された性差「gender」を意味している。こうした「ジェンダー」の概念は、60年代から70年代にかけてアメリカで起きたウーマンリブ運動を発端としている。
 女性が男性に支配されているという「性支配」体系を構築したウーマンリブ運動は、その支配構造から女性を解放するために、社会的制度における同等な権利を得る運動を展開する。やがて、これが一定の成果をおさめると、今度は「男女」という枠組み自体に差別構造が内在しているという認識に至り、これを抹消しない限り真の解放はないと考えるようになる。ジェンダーとは、生物学的性の差異ではなく、人間が人為的に作り出した社会的文化的性差であり、支配者(男)が被支配者(女)を統治するための道具であるというのだ。こうして、「男女」という枠組み、すなわち「男・女らしさ」を撤廃しようとする動きが生じた。これがジェンダーフリーである。
 しかし、ここにはいくつもの誤謬がある。その最たるものが、ジェンダーのほとんどが社会的文化的に作られたものだという認識である。こうした考えはM・フーコーの『性の歴史』やJ・バトラーの『ジェンダートラブル』等による「性欲や性別は歴史的社会的に構築された観念的カテゴリーであるという」分析に拠っているが、最近の大脳生理学はこうした゛思い込み゛を見事に一蹴している。医学の専門書には、いわゆる「男・女らしさ」が大脳の構造的差異や男性ホルモン(アンドロゲン)の有無によって生じることが明確に書かれている。ジェンダー論者がいかに言質を弄してもこうした学問的事実によって、その論理は根底から覆されるのだ。



もちろん、現在の「らしさ」には男女の生得的特質から派生したジェンダー(社会的文化的性差)があるのは確かである。しかし、これらは安定した社会を築くために醸成された文化、あるいは慣習というべきものであり、全否定すべき根拠はどこにもない。たしかに「女は~してはならない」とか「女のくせに」といった行動規制(因襲)や男尊女卑的な発想は排除されるべきだが、一般に言われる「らしさ」の大半は望ましいものである。「男らしさ」には゛我慢強さ゛や゛逞しさ゛゛責任感゛、「女らしさ」には゛優しさ゛や゛繊細さ゛゛母性的包容力゛等があることからも、それは明らかだろう。こうした「らしさ」を、「ジェンダー=悪しきもの」という一面的な見方によって否定すれば、望ましい徳目が消えていき、人間性の荒廃を招くのは必至であろう。

こうした批判に対しては次の反論がある。「らしさ」という枠が存在する限り、その枠に入り切らない個を阻害することであり、それは「差別」につながるというのだ。しかし、「らしさ」に入らない少数の個があるからといって、望ましい徳目を含むすべての「らしさ」を否定するというのは、少数による全体支配―――すなわちファシズムと同根の発想である。肝心なのは、「らしさ」を否定するのではなく、多様な価値観を許容することであろう。
 ジェンダー論者は抑圧からの解放を叫ぶが、「らしさ=内的規範」なき自由は放縦に過ぎず、放縦が蔓延すれば社会は容易に荒廃する。このように、ジェンダーフリーの背後には、モラルを低下させ社会を荒廃へと導く強烈な「毒」が隠されているのである。




誰も支持しないジェンダーフリー


ジェンダーが生得的な男女差から派生したものであり、「らしさ」が全否定されるべきものではないとすれば、論拠として残されたのは「男女間の支配構造」のみとなる。「男が仕事、女は家事」といった役割分担は性差別であるというのがその典型だが、これは単なる主観にすぎない。専業主婦を「働けない」「育児を押し付けられている」と考えれば差別となるが、「働かなくてもいい」「育児という大切な役割を担っている」と考えれば優遇されていることになる。「差別」とは不利益を伴う概念であり、客観的な論拠がなく本人が不利益を認識していなければ、「差別」とはならないのだ。
 現在、多くの者はジェンダー論者のいうように、旧来の役割分担を「差別」だと思っているのか。これに関する興味深いデータがあるので紹介しよう。以下は、アメリカのチルトン研究サービスという組織がまとめた「フェミニズムによる男女の役割変化をどう思うか」という調査である。(対象は1997年における無作為に選ばれた成人804人。http://www.gendercenter.org/survey.htmより)

・8割の男女がこの役割変化のせいで育児がより困難なものになっている
・7割の男女がこの役割変化のせいで結婚を成功させることがより困難なものになっている



・5割近くの男女がこの役割変化のせいで女性が満足のいくライフスタイルを持つことがより困難になっている。
・男女とも5割近くが小学生の場合、働く母親よりも専業主婦の母親に敬意を感じている。
・6歳以下の子どもを持つ専業主婦の5割強が世間から働く母親と同じ敬意を受けている、また3割近くが働く母親よりも敬意を受けていると感じている。
・男女とも7割近くが「母親は家庭にいて家事と育児に従事するほうがよい」という意見に強く、もしくは幾分同意している。

 いかがであろうか。驚くべきことに、フェミニズム先進国であるはずのアメリカで、旧来の役割分担を支持する割合が過半数を超しているのだ。女性も家事と育児をすることに対して不利益とは認めておらず、圧倒的に多くの者が「差別」ではないと考えているのがわかる。つまり、「男女の支配構造」というのは一部の見方にしかすぎないのである。
 アメリカ社会がこうした思想から急速に脱却しつつあるのは、その「毒」を現実のものとして認識したからであろう。ところが、日本においては男女参画社会という美名のもとにこうした危険性が巧みに隠蔽され、しかも行政主導によってジェンダーフリーが実践されているのであるから、その病理は深いといわねばならない。
 では、そのような思想は具体的にどのように実践されているのか。ここではその象徴的な例を紹介してみよう。妄想を積み重ねたような思想であるだけに、その実践例は頭を抱えてしまうような戯画性に満ちている。






ジェンダーフリーのトンデモ実践例


男女共同参画法が施行されてより、ジェンダーフリーの洗礼は生まれたばかりの子供にまで及ぶようになった。すでに新聞報道されたので承知している向きも多いと思うが、文科省の出した子育て支援パンフレットには、「女の子に愛らしい名前を、男の子に強そうな名前をつけること」や「女の子のひな祭りや男の子の鯉のぼり」を否定するような内容となっていた。作成した日本女性学習財団は「子供の性格などを考えずに安易に男女『らしさ』を押しつけてはいけないという趣旨だった」というが、弁明にはなっていない。要は、自分たちの思想の前には、親の願いや日本の伝統文化など無視してもかまわないというのである。
 ジェンダー論者による文化破壊は、雛祭りや鯉のぼりにとどまらず、昔話や童話にまで及ぶ。例えば、桃太郎のように、おじいさん(男)が山へ柴刈りに(仕事)、おばあさん(女)が川へ洗濯(家事)といった昔話は「おかしなかたより」があるとされ、性別役割意識を小さい頃から刷り込んでしまうために、子供たちに読ませてはいけないという。自分たちの価値観に合わないものは否定してもよいという発想は、思想統制につながる全体主義そのものである。



小学校に入れば、その刷りこみは組織的かつ巧妙になる。その象徴的な例が男女混合名簿である。「男子が先」は女子差別につながるというのだが、これほどナンセンスな話はない。「名簿の後半に位置づけるのは差別である」という前提に立つのなら、五十音順にしたところで五十音順で生徒を差別することになってしまう。男女というカテゴリーの序列に問題があるというのなら、年ごとに男女の順を入れかえればいいのだが、ジェンダー論者はあくまで混合名簿に固執する。それは「区別=差別」だという妄想を抱き、「区別=違いによってわけること」と「差別=扱いに差をつけること」の相違をまったく理解しようとしないからである。
 以下、学校における実践例について『ジェンダーフリー教育』『学校をジェンダーフリーに』(ともに明石書店)という本から引用する。(前者をA書、後者をB書と記す)



B書によれば、ジェンダーフリー教育を行う理由として、現在の学校システムが「性差別を再生産する装置」であるからだとする。だが、その論拠としてアメリカの調査報告を挙げるだけで、日本の現状を分析したデータは記されていない。そのためか、根本的な教育制度や学習形態には言及せず、「隠れたカリキュラム」という言葉を使って、名簿、制服、呼称など瑣末なことを取り上げて「男性中心に作られた枠組み」を変革していこうとする。

 その一環として、男女の呼び方を統一しようという動きがある。男子を「くん」女子を「さん」と呼ぶのは「区別=差別」であるから、男女ともに「さん」づけで呼ぼうというのである。男女別の呼び方に差別性など全くないにもかかわらず、このような動きが急速に広がっているのは、ジェンダーフリーの内包する全体主義的な恐ろしさを示唆している。
 授業での実践も首をかしげるようなものが多い。ある小学校では一年生を対象として「家族について考えさせ」、「標準モデル以外の家族の子供たちに対して差別意識を生じさせない」ために、次のような授業が行われた。(A書より)

 まず、家族の絵を書かせて自分の家族を全員に紹介する。片親の子供にも、他の生徒から質問があれば、親が離婚した等の理由を説明させる。小学一年生には残酷なことだと思うが、この教師は「離婚は悪いことではない。結婚という形態が当たり前ではないことを伝える」意義があるのだという。そうして「大人になったら、おかあさんやおとうさんにならないで一人で暮らしたり、友達同士で暮らしたりしてもいいんだよ」と語りかけるのである。たしかに個々の生き方は自由だが、学校という場で、しかも小学一年生に伝えるべき内容であるとは思えない。これでは結婚制度の否定を刷りこんでいるようなものである。女子からは「おかあさんになって子供を産むのは痛いし、しんどいからいやや」という声が出たそうだが、この教師が子育ての大切さや喜びを伝えた様子はない。もちろん、小子化によって国の根底が崩れるであろうことは眼中にもないようだ。







ジェンダーフリーは女性を不幸にする。


以上見てきたように、主観と偏見による奇矯でいびつな思想が、男女共同参画法という゛お墨つき゛を得て、学校や役所によって広められつつある。謳い文句は「性別によって差別されたり、人権が侵害されたりすることのない社会を作ろう」というのだが、現実はまったく逆になるだろう。なぜなら、「らしさ」とは社会をより安定させるために醸成されたものであり、そうであるがゆえに、「らしさ」が消失すれば必ずや悪しき影響が出るだろうからだ。

 仮に、ジェンダー論者の言うように、「らしさ」をすべて排除すればどうなるだろうか。女性においては優しさ、繊細さが失われていき、下品で粗野な行動が蔓延するだろう。母性の喪失は育児の意義や喜びを失わせ、子育ては面倒なものでしかないという意識から、放任や虐待が増えるだろう。子供の荒廃が家庭や学校の荒廃、ひいては社会の荒廃へとつながっていくのは自明である。また、子育てに積極的な意義を見出せない母親は、いかに保育所が完備し労働条件が整ったとしても、進んで子供を産むことはないだろう。少子化が国の根幹を揺るがすのは論を待つまでもない。

 また、ジェンダー論に従えば、゛献身゛を隷従だとして厭うようになるが、男女を問わず、他者に尽そうとしない者、他者のことを考えない者が幸福になれるはずはない。経済的に自立し、社会的な権利を得たとしても、誰からも大切にされず、感謝もされず、荒涼たる孤独の中で生きるしかないだろう。
 「男らしさ」の中には゛女性を守る゛という「逞しさ」や「優しさ」がある。いわゆる゛ダンディズム゛と呼ばれるものである。これらは男が本来攻撃的かつ本能的であるがゆえに、゛女性を守る゛ために作り出されたものだろう。まさに、ジェンダー論者の否定する社会的文化的性差そのものだが、こうした゛男らしさ゛を否定すれば、本能的な欲望が剥き出しになり、女性にとって不利な事態を招くのは目に見えている。セクハラやDV(夫婦間暴力)が増加しているというが、それらは゛男らしさ゛の喪失で説明できる。すなわち、女性を守ろうとする゛男らしさ゛(内的規範)が喪失したがゆえに、女性の人権が侵害されるのである。

 ジェンダーフリーは基本的に女性の権利拡大を目指すものだが、その結果はまったく逆になるだろうことを認識すべきである。








聡明な貴方へ


これでジェンダーフリーの問題点はわかってもらえただろうか。難しい話は抜きにしても、この思想には明らかに問題がある。「らしさ」を否定していけば、「男らしくない男」と「女らしくない女」が大量発生することになるが、そんな事態を誰が望むだろうか。

 そもそも現実には、世の8割以上の人が「男・女らしく」したいと思っているのである。(『女性白書2000』より)にもかかわらず、「らしさ」を否定する思想を押しつけるのは、多数の人の「思想信条の自由」を侵害する行為であろう。ジェンダーフリーはその前提において、「らしさ」という抑圧からの解放を叫びながら、その思想によって多数を抑圧するという決定的な自己矛盾を内包しているのである。

 大切なのは「らしさ」を否定することではなく、互いの性差を認め、尊重した上で、多様な価値観を認めることであろう。もちろん、性別による行動規制や男尊女卑的な発想は問題だが、ジェンダーフリーで正しいのはこの一点だけである。それ以外には文化や社会を破壊する「毒」が隠されているから注意しなければならない。
 今もっとも大切なのは「ジェンダーフリーから自由(フリー)になること」なのである。






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日教組の異常な性教育






小学校の異常な性教育










小・中・高生 の性教育 NO.1











小・中・高生 の性教育 NO.2












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