11月15日
最近、ころ助の記事じゃないことが多くてすんません
えーっと・・・今回もです。
激しく個人的なことです。そして長いです。なのでスルーOKです。
ちょうど11月15日でタイムリーだったもんで。
ずいぶん前にミクシィに載せ文章だけど。
私が5~6歳の時の話
弟の七五三参りの後、姉弟と家の前の坂道でボール遊びをしてました。私は玉拾い役
取り損ねたボールを追いかけて坂道を猛スピードで下りた時、
ボールが壁にぶつかり自分の方に転がってきたのです!
坂道からの勢いで止まることも避ける事も出来ず、
「あっ」と思った瞬間から記憶がありません
気が付くと居間に仰向けに寝ていて何故か大泣きしてました
ドラマのように家族が私の顔を覗き込んでいて
「なんで私泣いてるんだろう?なんで皆で私を見てるんだろう?」
と不思議だった事をよく覚えています
それから父の運転で病院へ
車中、母は膝枕で横になる私に「大丈夫よ大丈夫よ」と
何度も何度もつぶやきながら私の腕をさすり続けました
眠くて「眠たい」と言うと「寝ちゃだめ!!もうすぐ着くから」と、母と父からも怒られ
普段見たことの無い両親の姿に子供ながらに何か大変なことなんだなと思いました。
病院に着いてレントゲンやら一通りの検査が終わり、
先生が「寝ても問題なかったですよ」と言った時、
母と顔を見合わせて笑いました。両親は「寝たら死ぬ」と思ったらしいです
その日はナースステーションの隣のガラス張りの部屋で一人で寝ました。
常に誰かがこちらを見ていて必ず目が合う・・・。
なんとも気まずい部屋だったけど、しっかり見ていてくれたんですね
後で聞くとその日が「山」だったらしい・・・
翌日から長い入院生活でした。病名?は頭蓋骨骨折。
左耳の上の部分に5cmのヒビが入ってました。
ボールに足をとられアスファルトに頭を打ちつけたんですね
血が外に出ず、頭を触ると血がたまってブヨブヨしてました
本当は頭からドクドク流れたほうが良かったらしいです
(血のコブは後日自然になくなりましたよ)
長い間辛い目にあったり、悩む毎日でいいことなんかなくて
大人になった私は、いつしか11月15日に
「もしあの時死んでたら?」 「生きてて良かったか?」と考えるようになりました。
不謹慎だけどね。
実際、「あの時死んでても問題なかったな」と何年も思ってました。
本当はあのとき死んでて今は“おまけ”の人生なんだと思うように。
だからうまくいかなくても仕方が無いとすべて諦めてました。
そんな状況を救ってくれたのは姉の言葉でした。
「障害も残らなかったし、そんなに大きく育って、美味しいもの食べて、
恋愛もして、ウェディングドレスも着たし、結婚生活も味わえた。
そうできない人たちも沢山おるんよ?いいじゃん子供がいないくらい。
“おまけ”ならね」 って。
そっか、ラッキー!って思っていいんだって、
予想しなかった考え方になんだか気が楽になりました
充分に幸せなのに不幸なことばかりに目が向く性格の私・・・。
父が自分の命を分けてくれと毎晩のように祈ってくれたこと
母が毎日付きっきりで看病してくれたこと
私が寂しくないようにおばあちゃんが付き添って泊まってくれたこと
姉弟は母がいない状況でも我慢して協力してくれたこと
なんの障害も後遺症もなく私が生きていること
それは事実。
おまけなんて言ったらバチが当たりますね
辛い目に遭っても、悩む毎日も、心がポキポキ折れても、泣きたくなるのも
いのちあるからこそ。
最近やっとそう思えてきました(遅すぎ?)
家族で当時の話をする度、おまけじゃなくてミラクルだったんだなー と思うのでした。
きっとすべてに理由はあるんだろうなぁと思う今日この頃
あの時消えてたらころ助と一緒にいる未来も無かったんだもんね
ちなみに
なんでこんなに鮮明に覚えているかというと
入院中は母を独り占めできたし、多少のわがままも許されるし
いつも我慢ばかりしてた私にとって、まるでお姫様になったような気分だったんです
そんなこんなで私にとって11月15日はいろいろ考える特別な日なんです
長~い話にお付き合いしてくれてありがとうございました