川越style「川越まつり会館 山車の展示入れ替え」道灌の山車をまつり会館から熊野神社へ | 「小江戸川越STYLE」

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「小江戸川越STYLE」代表:石川真

8月24日朝の5時前。まだ薄暗さに包まれている一番街にある川越まつり会館。

裏手にあたる駐車場に集結した連雀町の面々は、

山車に括り付けた綱を真っ直ぐにピンと張って山車を曳き出そうとしていました。

朝早い時間にもかかわらず、眠気は吹っ飛び元気一杯の様子。

やはり山車を目の前にして興奮しない人はいない。。。


 

 

綱を手にした連雀町内の人たちはゆっくりとまつり会館から山車を曳き出そうとしているところでした。

まつり会館に鎮座していた道灌の山車が、2ヶ月ぶりに表に出されます。
・・・と、道路に出ようとしたところで、車がやって来て山車を停止し遣り過ごす。

左右を確認して、車が来ないことを見計らって「よーし!今だ!」と山車を一般道路に曳き出しました。
道路の無事に降ろした、と安堵する間もなく、今度は反対方面から車がやって来てしばし停まってもらう。

山車と自動車が交差する景色というのは、ある意味では貴重ではあります。。。

これから、近いようで遥か先にある連雀町の熊野神社まで山車を曳いて行きます。

 

川越まつり・・・ではなく、川越まつり会館にある知られざる山車曳行、

 

そこにはどんな光景が、どんな困難が待っているでしょうか。
 


 

一番街にある川越まつり会館では、川越まつりにまつわる事柄に触れることができることができ、

 

そして、目玉はなんと言っても、川越まつりの実際の山車とお囃子を体感できること。

館内を進んだ先に広がる空間には、

川越まつりに使われている本物の山車が常設展示され、

舞台では毎週日曜日、川越市内のお囃子連の演奏が週替わりで披露されています。

山車にお囃子に、川越まつりそのままを感じることができる施設です。

 

 

(川越まつり会館 山車展示とお囃子実演

http://ameblo.jp/korokoro0105/entry-12083791707.html

 

「川越まつり会館 お囃子実演・山車展示予定」

 

http://kawagoematsuri.jp/matsurimuseum/schedule.html

まつり会館の山車展示は、一年中同じ山車が展示されているわけではなく、

実は定期的に入れ替えられている事実をご存知だったでしょうか。

しかも2ヶ月という結構な短いスパンで入れ替わっています。

最近では、2016年6月23日(木)から8月23日(火)までの2ヶ月間、

連雀町の道灌の山車が展示されていました。

では・・・2ヶ月が過ぎたら山車はどうなるのか??

山車はその町内の山車蔵に戻すことになるのですが、

これは誰が運んでくれるものでもなく、山車を保有する町内が自分たちで曳いて戻しているんです。

あるいは町内の山車蔵から曳いていってまつり会館に展示している。

川越まつり会館の山車展示の裏側には各山車持ち町内のそんな協力があって、成り立っているんです。

6月22日に連雀町からまつり会館に曳いて行った道灌の山車は、

2ヶ月間観光客などに観てもらい、そしてまた2ヶ月経ったこの日、連雀町に戻そうとしていた。

山車の入れ替えというのは、まつり会館の定休日である水曜日に合わせ、

かつ、時間も車も人も行き来がまだ少ない早朝を狙って行われています。

中には、早朝の街中で山車を曳いている光景に遭遇した人もいるかもしれませんが、

きっとそれはまつり会館に曳いて行くものか戻しているところかもしれません。

川越まつりであれば、山車は本来の姿で、お囃子の演奏もあってとなりますが、

それと比べたらこれは魅せるものではなく、「移動・運ぶ」ことだけに特化しているので、

山車は出来るだけ身軽にして、動かし易さを最優先にしていた。

まつり会館に行く度に山車が替わって、いろんな町内の山車を観ることができるのは、

まさに町の力があってこそでした。

ちなみに道灌の山車を保有する連雀町は、2016年7月の川越百万灯夏まつりでは、

雀會囃子連が屋台を街中曳き回してお祭りを盛り上げました。

 

 

(「第35回川越百万灯夏まつり」2016年7月30日、31日連雀町囃子連『雀會』屋台曳き回し

http://ameblo.jp/korokoro0105/entry-12186554372.html

 

まつり会館を出た道灌の山車は、一路連雀町を目指して曳いて行く。

 

通りを真っ直ぐ進んで来ると、最初の難所、札の辻に差し掛かりました。


 

 

川越まつりであれば、札の辻で停まると、

 

電線がない一番街を進む時は高さを気にしなくて良いため、

山車の上に太田道灌の人形を据えて勇壮さを誇示して南進していくところです。

(2015年川越まつり 道灌の山車が札の辻で方向を変えて南下していく)

 

辻という箇所で方向を変えるのに神経を使うのは、川越まつりもまつり会館から戻すのも全く同じ。

 

ここで鳶の人たちの緊迫した声が飛び交う、「気をつけて!ゆっくりでいいよ!」

そう、この山車曳行には、町内の人だけでなく通常の川越まつり同様鳶の人たちが帯同していて、

山車曳行の全体をコントロールしていたのです。

山車というのは町内の宝、それを曳いていくのは細心の注意が必要で、

川越まつりと変わらない管理で、鳶の表情は川越まつりの時と全く変わりませんでした。

山車の向きは大丈夫か、常に山車を確認し、周りの状況に注意を払い続ける。

道灌の山車が、札の辻で見事に方向を変えました。

川越まつりの時の山車曳行はまさに町内を挙げてという大所帯で曳き、

山車の上ではお囃子が演奏され続け、

しかも沿道の人に注意を配りながら曳いて行くのでスピードはゆっくりとです。

この日は、町内の少数精鋭で沿道に人がいるわけではなく、

山車自体も身軽で、一番街をスイスイ進んでいく。

それは、川越まつりの時の倍以上のスピードでしょうか。。。
札の辻から一番街を真っ直ぐ南下していく、

このまま南に進んで行けば山車蔵がある熊野神社に辿り着きます。


 

川越まつりの時は、一番街はやはり華のある山車曳行です。

 

ここで観るのを楽しみにしている人も多いでしょう。

 

 

 

 

(2015年川越まつり 一番街を往く道灌の山車)

 

だが・・・この日は朝の5時過ぎ、無人の一番街を進んで行く道灌の山車。

 

寂しいというより、なんて贅沢な風景だろうと溜め息が漏れます。


無人の一番街ということ自体非日常的ですが、さらにそこを山車曳行しているという圧倒的非日常感。

普段の一番街でも、いつもの川越まつりでも、絶対に見られない光景で、

お囃子も「ソーレー!」の掛け声もなく、静かな山車曳行が続いて行きます。

川越まつりの中で一番街を背景にして通る山車の姿は荘厳に尽きますが、

人っ子一人いない一番街を背景にするのは、

純粋に町並みと山車の組み合わせがまるでタイムスリップしたかのような感覚になります。

「川越」の純粋性が増したような感じ。



人がいないというだけでなく、川越まつりと最大に違うのは、

この日全ての道路は交通規制が掛かってないということでした。。。

そう、車の往来が普通にある中で山車曳行していたのです。

交通規制が掛からない一般車道を山車を曳いていくために、

まつり会館に曳いて行く、まつり会館から戻す行程は、

毎回こうして早朝の時間に行われている事情がある。だから、知る人ぞ知る山車曳行でもあります。

山車を曳きながらも時折前後から車がやって来る。いや、時折というか実は結構行き交う。。。

片側一車線を使っての曳行なので、前方と後方の遥か先にいて車の行き来を見ている人が

「車来るよ!」「車ここで止める!」「車通すよ!」
と山車の曳き手、後方の人と連携を図りながら運行を進めていきます。

川越まつりとはまた違う緊張感がありました。

一般車道を進んでいるので速く行きたい、しかし速すぎて山車に何かあっても困る、

川越まつりでは感じない気持ちのせめぎ合いを胸に、綱を握り締めて曳いて行く連雀町。



まつり会館を出発した時はまだ辺りは薄暗かったですが、

30分も経つと、気がつけばいつの間にか明るくなっていて、

川越の街が眠りから覚めて一日を始めようとしていた。

散歩なのか早朝の町並みを見に来たのか、通りを歩く人が山車がやって来るのを目にし、

何事か!?というような顔つきで見守り、

あるいは非常にレアは光景を見れた感動に振り返っていました。。


一番街の南端、仲町交差点まで来ると、中央通りの先の方にトラックが見える。

その後ろには・・・山車の姿が。

こちらに近づいて来る様子はなく、どうやらそこに停止して道灌の山車を先に行かせようとしていた。

だんだんと姿がはっきりしてきた山車は・・・新富町二丁目の鏡獅子の山車でした。

なぜここに??と思うかもしれませんが、

川越まつり会館から山車が居なくなれば別の山車がそこに展示されることになる。

つまり、道灌の山車と入れ違いにしてまつり会館に入るのが鏡獅子の山車で、

新富町二丁目の山車蔵から夜明けと共に山車を曳いてここまでやって来ていたのでした。

トラックが先導していたのは、中でライトを焚いて道を見えやすいようにしていたのでした。

中央通りから一番街にかけて、どこかで二台は行き違う可能性もありましたが、見事にここで対面。

ゆっくりと二台の山車が、二つの町内が、慎重に、慎重に、近づいていく。

川越まつりでも山車の行き違いは緊張の一瞬ですが、

無人の通りとはいえ決して広くない通りで、両町内の緊張感は高まっていく。

「ゆっくり!このまま!」

道灌の山車と鏡獅子の山車が、早朝の中央通りで華麗に行き違いました。





 

この後、新富町二丁目の鏡獅子の山車は、

道灌の山車が来た道を行くようにこのまま真っ直ぐ一番街を進み、

川越まつり会館に収め、2ヶ月間会館内に展示されることになります。

こうして山車の展示は定期的に入れ替わっている。

二台の行き違いは、まさに山車の入れ替えの現場を表しているものでした。
川越まつり会館山車展示:

平成28年8月25日(木) ~10月25日(火) 新富町二丁目 鏡獅子の山車

 

中央通りを進む道灌の山車、川越まつり会館を出発してから30分、

 

ようやくホームグラウンドである連雀町内に戻ってきました。

川越まつりでは氏神様である熊野神社に会所を設営し、

ここから山車は出発し、ここに山車は戻って来ます。

 

 

 

(2015年川越まつり 中央通りを進む道灌の山車)

 

自町内に入ると、不思議なもので山車も馴染みの風景にホッとしたような表情を見せる。

 

町内に風景に山車がよく馴染み、

町内と山車は、やっぱり切っても切れない関係にあるのを感じます。
 

 

 
無事に、連雀町の山車蔵がある熊野神社に到着。

 

短いようで長い長い山車の旅路がようやく終わりました。」

神社に辿り着くと「無事に着いた!」と自然と町内の人から拍手が沸き起こりました。

そしてここからがもう一つの正念場、道路から境内に入れるのがまた一苦労で、

段差に気をつけながら山車を引き揚げ、雨でぬかるんだ土に板を載せて山車を通り易くする。

ある意味では、この工程の方が大変だったかもしれません。

一番街から中央通りは、ひたすら真っ直ぐ曳いてくる行程でしたが、

最後のこの場面は細部に気をつけないといけないため、より慎重になる。
 




 





 

こうして、川越まつり会館から熊野神社の山車蔵に戻って安置された連雀町の道灌の山車。

 

ホームに帰って来て、山車も落ち着きを取り戻したようです。

今頃はまつり会館には鏡獅子の山車が展示されていることでしょう。

また、道灌の山車が展示される時がやって来れば、

こうして早朝に熊野神社からまつり会館まで、来た道を戻るように曳いていくことになります。
川越まつり会館にまつわる、もう一つの山車の曳行。

川越まつりでなくても、山車を曳くこと自体が、町内の絆を強くする。

気がつけばもう9月、川越まつりまであと一ヶ月半となりました。

今年は2016年10月15日(土)、16(日)開催。

今年は一体どんなドラマが待っているでしょう。
川越が一年で一番熱くなる祭りに向けて、街中では着々と準備は進められています。