川越style「かいとりぼん」渚出版第一弾作品集 シボネボルケ左桂もも | 「小江戸川越STYLE」

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「時が人を結ぶまち川越」
川越のヒト・コト・モノ、川越物語りメディア、小江戸川越STYLE。
川越の現場で様々なまちづくり活動にも従事しています。
「小江戸川越STYLE」代表:石川真

どこからかやって来た風が林を撫でると、また、ポトリとどんぐりが落ちる音がしました。ぽと。ぽと。

地面に敷き詰められたどんぐりの絨毯は、それだけこの林の深さを教えてくれるようでした。


 

 

 

 

ここは川越の下松原にある「シボネボルケ」。
静かな時間、出来上がった本を愛おしく手に取りながら、
二人は「この土地だからこそ、この本ができた」と口を揃えて振り返ります。
時に熱を帯び、時に沈黙してじっくり言葉を探すように、
「かいとりぼん」についての話しは尽きることなく続いていく。

 

この本は今年川越で産声を上げたリトルプレス「渚出版」の第一弾作品集。
渚出版をたった一人で起こしたのが中村さんで、
かいとりぼんを書いたのが、何を隠そう、シボネボルケ店主の左桂さんだったのです。
この本とこのリトルプレスが川越に誕生したことは、今年大きなトピックスであると思います。
二人にここに至るまでの経緯を聴いて、
これはこの土地から生まれべくして生まれた本なのだと知り、

 

話しに芯があるからこそ強いのだと納得しました。
川越の人でも知らない方が多いと思いますが、川越の福原地区の林は独特です。

人を寄せ付けないような恐れ、畏れがある一方、吸い寄せられるような魅力もあって、
となりのトトロの舞台が狭山丘陵なら、

福原地区の土地から生まれたのが、「かいとりぼん」なのかもしれない。

二人の話しを訊いたのが、ちょうどかいとりぼんの発行を目前にした、2015年10月始めのことでした。



□左桂もも

シボネボルケ店主 詩や絵を書きます

ときどきうたい、また、ドラムをたたきます 「夏子」ドラム担当

□中村紋子 http://ayaconakamura.sub.jp/
埼玉生まれ。美術家。写真と絵をメインに作品を制作し国内外の展示を中心に活動してます。

作品集は写真集 Silence / リブロアルテ(2011)、潮目 / ポット出版(2014)。

他イラストレーターとしても雑誌等に寄稿。

 

二人は椅子に深く座ると、この本が出来上がるまでの経緯とこの本についての話しをしてくれました。

 

「かいとりぼん」、それは多くの人にとって理解するのが難しいかもしれない。

いや、そもそも理解するという状態がいいことなのか、そこから問われているような本。

起承転結は見当たらす、話しは突然始まり、突然終わる。

日常のことを書いていながら非日常的なことばかりが起こって、

一般の生活目線で見ると落差に戸惑いつつも、しかし・・・読後妙に安心感に浸るのはなぜだろう。

短い時間で読み終わって、さらっと流れていくような本と身構えていたはずなのに、

可愛らしいキャラクターにほのぼのするストーリー、めでたしめでたし、

そういうものと事前に頭で考えていたのと裏腹に、

読み終わって本を閉じた時の、この胸の中のざわざわはなんだろう。

読む前と読んだ後の心が変わっているのを自覚する。

間違いなく、かいとりぼんは、心の襞に入り込み凄い吸着力で離れていこうとしない、

いつの間にか棲まわれていた、そんな状態になってしまった。

見てはいけないものを見てしまった後悔がよぎり、真実を前にした呆然もあった。

しばらくすると、また読み返したくなるが、

でも本を開くための心構えが必要で、勇気が求められる。

でも読みたい。

あの二人の日常を一緒に体験したい。

 

普遍的なことはいつもそうですが、この本にはパッと見た瞬間の分かりやすさはないかもしれない。

 

気持ちがクールダウンしていないと読み込めないかもしれない。

中村さんは、「心に穴が空いている時ほど読んだ方がいい」と話します。

誰かに好かれるためのデザインではなく、

誰か一人にでも響けばいいという芸術としての本。

そこに左桂さんが、

「死にそうになった時にこの本はいいかもしれない」と言葉を繋ぐ。

大胆な言葉だが、うん、確かにそうだ、と納得できてしまう。

瀕死の状況で、人は本にしろ音楽にしろ何も受け入れられない精神状態になった時に、

すっと寄り添ってくれるような本かもしれない。

そういう状況で自然と思い出すのが、きっと、かいとりぼん。

普段の生活の中というより、心の穴が発生した時、あるいは自覚した時ほど効くのだから、

世間的な意味で大部数売れわけがない、でも必要とする人は一定数いるはず。

さらに、ここにある文化を遺すために、今本にした意味は大きい。

 

かいとりぼんの話しがあまりにも深くて、いろんなものが詰まっていて、

 

一度で把握するのが難しいような気がして、

またお店に来て話しがしたいと言い残してこの時は別れました。

それから一ヶ月、2015年11月にシボネボルケにやって来ると、

林はまた色合いを変えて、だんだんと黄金色に秋めいてきていました。

もちろん地面は相変わらずのドングリの絨毯。。。

たった一ヶ月で林の風景は変わり、確かに四季が訪れていることを教えてくれた。




 

 




 

 


 

 

 

 


 

中村さんはもちろん今でも写真家として活動し、自身の書籍も多く発行していくなかで、

 

リトルプレスを立ち上げようと思ったのは、

「やりたいことを発信しようと思ったらリトルプレスを立ち上げるのがいい」という想いがあった。

中村さんのみならず、周りの写真家でもその動きは活発で、

行動力ある写真家が次々とリトルプレスを起こしている。

さらに大きく見ると、彫刻でも絵でも発表する場が少なくなり、

媒体の狭き門を競争するなら自分でメディアを立ち上げた方がいい、という時代の潮流ももちろんある。

個人の発信はかつては大きくなりにくかったですが、

今は自主制作誌「ZINE」といったものも既に一般に定着したものになっています。



 

(シボネボルケの本棚には、中村さんの書籍をはじめ自身セレクトの本が並ぶ)

 

リトルプレスを立ち上げる動機として

 

中村さんが特に意識したのが、「自分の土地に何かを還元したい」ということだった。

社会へ、世の中のために、という大きく漠然としたものではなく、

具体的に、自分が生まれ育った場所に、

リトルプレスという媒体を通して自分は何を還元できるのか。
ルーツや古里、地元を大切するという意識は若い年代でも、というかむしろ一般的で、

川越にはそういう人は特に多くいるように思う。

突き詰めれば、自分が生まれた土に帰ってくるのが人なら、

中村さんが「この土地に何を遺せるのか」と発した時も、

自然とすっと耳に入ってくるような感覚があった。

この近辺には面白い作家は数多くいる、

その人たちの活動などを本として遺すことが渚出版の根底にはありました。

本にしてISBNコードが付くと図書館などに置くことができます。

情報が彗星の如く流れていく時代、じっくりと真摯に制作する作家の存在の証を、

世に繋ぎ止める錨のようなものとして本にしたいのだという。

 

中村さんがそう思い至った一つのきっかけに、

 

2014年9月発売の自身の書籍、「潮目」の体験がありました。

潮目は2011年の東日本大震災後、岩手県大船渡市南三陸町越喜来で、

瓦礫で家を作り、日々増築していく様子とその人を追いかけた写真集で、

ページを繰ると、奇妙奇天烈だけれど鮮やかで目を引かれる瓦礫の家が登場し、日々が綴られる。

そこに住むおじさんの、なんともいえない表情。。。

この人にフォーカスしたというところが中村さんらしい。

越喜来に撮影に通ううちに、だんだんと芽生えてくる意識があったのだという。

東京に出て東京の出版社から本を出すことが写真家として一般的なステータスですが、

このおじさんは人生で数回しか東京に行ったことがない、

そういう人が自分の土地に東京はじめ全国から人を呼び寄せる現象を起こしていて、

土地に根付くことの強さをまざまざを感じさせられる体験で、開眼したのだという。

 

「潮目の体験がリトルプレスを立ち上げようという大きなきっかけになりました」

 

 

自分の街で何かできるか??

 

自分にできることは美術で、美術でこの土地に何かを還元しようと思った。

 

中村さんが左桂さんを知ったのは、初めてシボネボルケに足を踏み入れた2013年春頃。

近所ということでお店の存在はずっと気になっていて、

実際に来てみるとお店からしてただならぬものを感じ、、

店内に入って彼女を見た瞬間、「この人作家だ」とすぐに感じ入るものがあったのだそう。

潮目のおじさんもそうですが、作家というのは「見れば判る」。

一目見ただけで、この人何か作ってるな、何かやるな、という雰囲気を発しているものだと言い、

全身から発せられる左桂さんの雰囲気は、瞬時に中村さんの嗅覚に訴えてかけていた。

 

この時・・・中村さんから語られる、初めてシボネボルケに来たのが2013年春という話しのくだりで、

 

心の中で「あっ!」と思っていた。

2013年春といえば。。。。

その時期はちょうどお店に通い、シボネボルケのことを初めて書いた時と重なる。。。

川越style

(まだ尚美学園大学の上福岡キャンパスが建っていた)

 

川越style

 

 

川越style

 

(「シボネボルケ」 シボネボルケと林のこと

http://ameblo.jp/korokoro0105/entry-11625050591.html

あの森で、このお店で、中村さんとすれちがっていたかもしれないと想像するのは飛躍し過ぎでしょうか。

少なくともニアミスはしていたはず。

 

シボネボルケの雰囲気に浸り過ごすうちに、中村さんは

 

「ここには文化がちゃんとある」と確信を持った。

文化、この言葉は何度となく中村さんの口から出てきました。

何かが生まれる時の空気を持った人がここに居る。

ここなら文化を発信できる、美術を発信できる、ものが育っていきそう、

そんな匂いのある場所と人が居たと当時の印象を振り返ります。

左桂さんを見た瞬間の、

「この人絶対何か作ってそう」と抱いたインスピレーションは、

お店の来る度に深い実感となり、そして本人に訊いてみるとやはり、

彼女はいろんなものを作っている底知れぬ人だった。

「やっぱりそうだったか」。

掘れば掘るほどいろんなものが出てきて、いろんなことを考えている人で、

いろんなものを作っている人だと分かった。

 

シボネボルケの左桂さんは「作品」としてまとめていないものでも、

 

紙の切れ端に描いたイラストや詩などが山のようにあり、

中でもかいとりぼんを描いていたのが5年ほど前から。

これまでずっと詩を書いてきたが、

漫画とも詩ともつかないような感覚で描き始めたのが、かいとりぼんだったと振り返ります。

見せられたその紙切れの一端を見た中村さんは、「これいいね!」。

さらに訊くと他にもまだまだ創作の堆積があり、その束を見た時に、

「これまとまるね。本になるね」という話しになっていった。

 

この感覚を胸に、それからしばらく中村さんは自分の書籍の制作に没頭する日々となり、

 

潮目の出版が落ち着き、

かいとりぼんの話しが具体的に動き出したのが、2015年に入って2月のことでした。

左桂さんが書き溜めた紙を集め、編集して本という形に仕上げようという仕事が始まった。

本にするためにあらを消したり、大きさを変えたり、順番を考えたり、

左桂さんは編集作業のために「パソコンを覚えた」くらいで、

初めての仕事に戸惑いながらも、紙切れは少しずつ本になろうとしていた。

 

その間も二人は、2015年5月にはシボネボルケにて「仏部」開催。

 

(ワークショップではなく「部」としているところがミソ)





2015年8月には「花面部」開催。

 

 

 

左桂さんは「かいとりぼん」を5年ほど前から紙に描くようになったと言いますが、

 

実は、「かいとりぼんの二人は小さい頃から自分の中にいたんです」と言う。

幼稚園くらいの時に、初めて漫画のようなものを描いた時、

出てきたキャラクターが・・・貝殻とリボンだった。

誰に教えられたでもなく、影響を受けたとかでもなく、

自分の中から自然と湧き出てきたのが貝殻とりぼんというモチーフ。

女の子らしい可愛い形で惹かれたのもあったでしょうが、

この土地という場所抜きにしては語れないもので、

左桂さんのDNAの記憶に刻まれているものでもあったはず。

かいとりぼんが出会って、家を作って、そこで暮らして、眠る、

 

「そればっかり描いていました」

 

 

淡々とした日々の繰り返しばかりを小さい頃から何度も描いていたと振り返り、

 

その永遠に続くのではと思わせる繰り返しは、

中村さんも、「自分も小さい頃からまったく同じことを考えていた」と頷く。

二人が顔を見合わせて言い合う、この土地特有の完璧さ。

 

「行き止まりの幸せ感、その先がない幸せ感」

 

 

それを子ども心に切実に感じていたけれど、

 

周囲に伝えよとしても共感されるものでもなく、しかしずっと心の底に沈殿していった。

かいとりぼんの日常は、

「凄く土地の香りがしたんです」と中村さんが話すように、

まさに川越の下松原という土地にある感覚が根底にある。

海もないし川もない、動きや流れていくものがなく、平らな森と畑がどこまでも続く風景があり、

のどか、平和という言い方もできますが、

言い換えれば何も起こらない平凡が延々と続く毎日でもある。

そこにずっと留まり続けている生活が、

かいとりぼんの日常の繰り返しの感覚を生んだのかもしれない。

自身成長し、大人になっても心のどこかにかいとりぼんは内に棲んでいることを自覚し、

常に一緒に生活してきた。

逆に言うと、ここで生活していくからにはかいとりぼんは消えてなくならないのかもしれない。

いろんなものを書いている中で、

やっぱり根本に辿り着く形で、5年ほど前からまた表に出てくるようになったのが、あの二人でした。



 

 

 

2015年10月15日。

 

記念すべき渚出版の第一弾書籍「かいとりぼん」が完成。

出来上がった本を見た左桂さんは、

「自主制作の詩集とは違う、衝撃的な感覚がありました」

 

かいとりぼんは、唐突に海辺で出会います。

 

海辺・・・

海がないからこそ生んだ発想なのでしょうか。

あるいはこの辺りがかつて海だったことを、太古の記憶から呼び覚ましたのでしょうか。

りぼんが外からやって来て出会うというシーンも、この土地の感覚らしい。

かいの方はきっとずっとこの土地に住んでいるんでしょう、

平坦な日常の連続のなかで、外から来客があるという状況にずっと憧れていた。

それは左桂さんだけのものではなく、土地にある感覚でもあるもの。

二人は出会い、家を作って暮らし始めるが、

そこからいろんな展開を見せるのかと思いきや、やっぱり平坦な日常が繰り返される。

外の世界からの来客に喜びつつも、でもこの土地の生活の平坦さは揺るぎない。

そこが、まさにこの土地らしい。

淡々とした生活なのに、生きること、死ぬことを問い詰められているような感覚になって、

読み進むと心がざわざわしてくる。

無駄のない生活、幸せの飽和状態、と同時に陰にある絶望感。

 

奇想天外な物語の多くは頭の中のイマジネーションから生まれたような感じがありますが、

 

一読すると分かりますが、かいとりぼんは支離滅裂のように見えて、

地に足がついている香りがある。

この感覚が不思議で、堪らない。

ではこの本は、川越の福原地区下松原の人しか、すぐ隣接する上福岡の人しか

理解できないのか?と言ったらそうではない。

誰しも自分が生まれ育った土地の感覚はいつまでも心に残っているはずで、

土地ならではのものと向き合ったことがある人なら、

かいとりぼんの奥にあるものに気付き、響くはず。

 

だから一読で分からなくても、人によっては読む度に染み出てくるものに気付き、

 

この本の真実に辿り着く。

「それこそ、文学なんです」

と中村さんが力を込めて話していた。


この本との向き合い方は、

一番はやはりシボネボルケで読むこと、それが一番「入ってくる」。

あるいは、一人の静かな時間、心の速度を遅くして、雨がしとしと降っているような日でもいい、

そんな時にこの本はすっと身体に入ってくる。

そういう時間が人には必要なのだと、気付かされると思います。

 

「この本はまさにこの街」

 

 

リトルプレスという形態で世に送り出す本として、これほど最適なものはなかったかもしれません。

 


では、かいとりぼんが生まれた森、いや、二人がきっと今も住んでいる森はどんなところなんでしょう。

 

川越南文化会館裏手から散策ロードを歩いていく。

 

今は整備されているので、一般の人も森散策を楽しむことができます。

足を踏み入れた途端、この森の深さを肌のセンサーが知らせてくる。少したじろぐ。。。

ちょっとそこに自然がある、というレベルではなく、

どこまでの続いているような圧倒的な深さ、迫ってくるような自然に、

怖気づくようになりながら、恐れに畏れ、自然の本来の姿をそこに見ました。




光を反射する葉がまぶしい。

「川越にこんなところがあったなんて。。。」

初めて来る方はきっと驚くはず。こんなにも圧倒的な森が川越にあることに。

深さに恐れつつも、それ以上の美しさに足が引き込まれて奥へ奥へと進んでいた。

風が木々を揺らすと、その音がゴォーと鳴る。

風が木を揺らす時はサラサラじゃないのか、と戸惑いつつ、今までの体験が簡単に覆される。








進んでいくごとに自分がどこにいるのか、どこを歩いているのか、

どこに進んでいるのかも分からなくなっていった。

木々の向こうに風景が見えれば検討がつくものですが、

四方八方森なので、方向感覚を失う。

それは不安でもありましたが、不安に思うのは始めのうちだけで、

そう、だんだんと、森に包まれている感覚に安心感を覚えるようになっていた。

どこまでも続くという不安と安心。

これが本当の森体験なのだ、と。森に抱かれるというのは、こういうことなんだ、と。

懐かしさがこみ上げてくるのは、どうしてだろう。

昔、ずっと昔、自分の中のずっとずっと昔の記憶に触れられているような気がして、

DNAに刻まれた太古の記憶が呼び起こされているよう。

無音の世界に落ち葉を踏む音、時折鳥が鳴き声を上げる。

ふと、木の陰で何か動いたものがあるような気がして、いや、違うか。

かいがそこにいたのかと思った。

細い道を時折折れ細い道へ、

進んでみると、何か物語が発生しそうな交差点の在りようにしばし佇んで見る。

じっと周囲を見回し、

「ここでかいとりぼんは生まれたんだ」。。。




あそこの陰にも何か気配を感じ、そうやって注意深く見ると、

森のかしこにかいとりぼんはいるようにも感じ、森中にいるのではないかと感じるほど。

うん、確かに今もここには、かいとりぼんは棲んでいることを確認した。

 

左桂さんのかいとりぼんは、

 

自分の表現であるけれど、本質は媒介なのだと思う。

生まれ育った森を自分が思うように表現するというより、

ありのままを自分の身体という器で媒介させて人に伝えようとする。

その感覚はよく分かる。

こうしてかいとりぼんのことを書いている自分も結局は、

かいとりぼんを自由に表現しているというより媒介している感覚があって。

左桂さんは森を媒介し、そこで産まれた絵本をここで媒介する、

その橋渡しは表現とは違うものかもしれないが、でも、人の心に深く伝わると信じている。

 

こういう感じたこと、思い浮かんだ言葉一つ一つを書き留めておかなければと思ったが、

 

生憎メモ用紙を持ち合わせていなかったことを悔いる。。。

森を出たらきっときれいにどこかに流れてしまうと思ったので、

紙を探してバッグの中で手でまさぐったが見当たらない。

ポケットはどうかと左手を入れたら・・・あった!

出てきた紙が・・・かいとりぼんの個展のフライヤーでした。

こんな偶然があるものなのか!と自身びっくりしましたが、

深い森のこと、葉が光を反射してキラキラすること、実は安心感なのだといこと、とメモしていきました。

気が付いたらフライヤーが言葉でいっぱいに。

その紙を畳んでしまい、森を出ることにしました。

 

この一本道を進めば森を出て、シボネボルケがある方向になる。

 

森を出る寂しさに襲われながら、

振り向くと、いつでも「おかえりなさい」と待っていてくれるような森が、やはりそこにいた。

戻れる場所がある、その感覚を胸にしまい、また、シボネボルケに足は向かったのでした。。。

 

いつもと変わらない林、永遠にこのままの林、

 

が・・・驚いたことに・・・林にはハンモックに、カバやリンゴがあちこちに居ました。。。
うん?入口を覗き見ると、女の子がこちらを見ている。。。






ちょうどこの時シボネボルケで開催されていたのが、

造形作家「なかむらきりん」さんの展覧会でした。
もう会期は終わってしまいましたが、ご本人も在店し賑やかな雰囲気。

紙のハリコによる立体作品は、

林の中のみならず、お店の中のあちらこちらにも棲息して、じっと来店者を待っていました。
その様子は、
なんだから林と店内の境界線がなくなったかのようで、
お店の中にいるのに林の中にいるような感覚に。





 

お店のカウンターに座り、ランチをオーダー。

 

早く伝えたかった「森を歩いていてメモ用紙を探したらこれがたまたま入ってた」とももさんに伝えると、

そうなんですね、と笑って答えてくれた。ちょうどよかったですね、と。

シボネボルケの美味しいご飯にデザート。
そしてふとした瞬間に、音楽でも演奏しようかと、

急だけど自然な流れで始まる音楽は、やっぱりシボネボルケらしい。

 

 


 

 





 

「かいとりぼん」は、もちろんシボネボルケで販売し、

 

川越のお店だと新河岸の「おすし雑貨研究所」さん、

「ソコノワ」さん、「Agosto」さんでも取り扱われています。

そして12月6日から始まるのが、

■シボネボルケ「かいとりぼん」展示

12月6日~27日(日月火のみ営業)

「展示を見てもらえれば、かいとりぼんの世界が分かると思います」
と中村さんは話し、

左桂さんはユニ子熊のうたを作ったり、蜂蜜を作ったり、
星野欠片おせんべいを作り、準備を進めています。

これから渚出版は、この地域の彫刻家の本を出そうと計画しています。

年に一冊くらいのペースで出版していきたいと中村さんは話しています。

 

そうそう、伝え忘れていました。
「渚出版」×「シボネボルケ」

12月13日川越Farmer’s Market出店決定しました。

左桂さんは緊張しつつも、川越Farmer’s Market出店を楽しみにしていると話してくれ、

中村さんと合わせて、二人が会場にどんな風な雰囲気を出してくれるのか、相乗効果が楽しみ。
シボネボルケがお店を飛び出して外に出店しているということ自体が一つの事件で、

そこに居るだけでわくわくしてきそう。

提供するのは、
ジャムを溶いたホットドリンクに、イチョウ(!)のお茶を提供するとのこと。

一体どんな味なんでしょう。
それに、「かいとりぼん」クッキーに、どんぐりクッキー、

星野破片(ほしのかけ)おせんべいを提供予定します。

渚出版の出品は、「かいとりぼん」はもちろん、

中村さんセレクトの書籍を陳列するので、ぜひ手にとってみてください。
川越でリトルプレスを立ち上げたという話しも本人に訊いてみるのもいいかもしれません。

二人は今年、かいとりぼんの制作に取り掛かっている頃、
「7月に川越Farmer’s Marketっていうイベントがあるみたいだよ。あれに出てみたいね」と話し合っていたのだそう。
まさかそんな会話がこのお店でされていたなんて、、、今になって知りましたが、偶然のような必然で、きっと、かいとりぼんが繋いでくれたのでしょうね。

 

かいとりぼん、

 

これからもこの土地で、永遠の繰り返しをしながら住みみ続けていくと思います。

 

「シボネボルケ」

 

http://shibone.exblog.jp/

「渚出版」

http://ayaconakamura.sub.jp/NAGISA/NAGISAPublishing/top.html