川越style「初山」川越の富士山へ | 「小江戸川越STYLE」

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川越の現場で様々なまちづくり活動にも従事しています。
「小江戸川越STYLE」代表:石川真


毎年7月13日に行われるのが「初山」。
今年もたくさんの方が、自分たちの身近にある富士山に登っていました。

富士山信仰が広く浸透していた時代、
なかなか簡単には登りに行けない地域の人、

登ろうとしても今のように登山道が整備されてるわけでもなく、

富士山は遠くに望めるけれど、遠い場所の山だった。
近くにある高い小山や土を盛った場所を富士山と見立て、

その山を登ることで
富士山と同じ御利益があると信じてきました。

 

特に、今年生まれた子どもが元気にすくすく育ちますように、
新婚の方が子宝に恵まれますように、と願いを込めて登るお祭りです。

 

子どもと初めて登る富士山だから、

初山(はつやま)と呼ばれているそうです。

登頂のお土産には、あんころ餅や団扇を買うのが初山の定番。

川越で有名な初山といえば、仙波の浅間神社。
屋台がたくさん並び、お囃子の出て賑やかな雰囲気になったと思います。
それから、

郭町にある富士浅間神社も昔から、初山を執り行ってきました。
知名度では仙波に譲りますが、川越で最も標高が高い小山に富士浅間神社があり、

静かな落ち着いた富士登山を楽しむことができます。

 

川越の富士山があるのが、

 

川越第一小学校の校門向かいの細道を進んだ先、

住宅街の中に現れる山、富士見櫓跡です。


 

川越城があった頃は、ここに16メートルもの櫓を立て、天守閣としていました。

 

山頂に、富士見櫓跡があり、富士浅間神社があります。

 

登山口は、2ヶ所。

 

鬱蒼とした緑の中を登るコースに、一直線に山頂まで登る明るいコース。

どちらから登ろうか迷いながら、

真っ直ぐ登るコースには、登山道沿いに

「地口絵(ぢくちえ)灯篭」が、

階段一段一段に奉納されているのが目に入ります。


 


 

 

愛嬌のある絵に、言葉が添えられている。

 

横には、心願成就や成長祈願など願い事と名入れ。

一段上がって立ち止まり地口絵を見る、そしてまた一段。

誘われるように登っていきました。


 


 

 

地口絵はこの浅間神社の初山と切っては切れないものです。

 

大昔から

この浅間神社の初山の時には、登山道に地口絵を添えてきました。

それは、登山を楽しいものとしてくれ、

また、夜のお祭りとされる初山の参道を明るく照らす役割もありました。

 

地口絵とは、戯文を作る言葉遊び。
和歌や俳句、漢詩、能や浄瑠璃 歌舞伎の名せりふなどの言葉を
入れ替える遊びです。

 

言葉遊びの「地口」に、戯画を添えたものを「地口絵」と呼んでいます。

 

地口絵を制作してもらったのは、川越の大手町にある提灯屋

 

「一力齋 津知屋(つちや)提灯店」さん。

川越まつりの提灯も制作しているお店です。

 

大昔の初山から地口絵を制作していて、

 

昔を知る川越人からすると、

郭町の浅間神社の初山といえば地口絵が定番だった。

一時、初山で別の提灯を下げていた時期もあったそうですが、



(地口絵の代わりに下げていた提灯。これも立派な造りの提灯)

 

ただ、

 

「小さい頃初山に来た時は、地口絵がたくさん下がっていた」

 

という声は多かった。本来の初山の姿に戻そうと、

 

平成22年に新しく地口絵を作り直してもらい、今綺麗な提灯が並んでいます。

 

地口絵復活には、

 

連雀町にある花屋さん、「花鐵(はなてつ)」さんの後押しが大きかった。

 

この山が昔は遊び場だったという方は多いと思いますが、
花鐵さんにとってもこの山は

 

小さい頃の身近な遊び場だったし、

親に連れられて来た初山に地口絵があったことを覚えていた。

懐かしい記憶の中に、ほっとする灯篭の灯りがあった。

あの時見た地口絵を復活させたらどうか、と

浅間神社の伊藤さんに勧めたところから、復活ストーリーが始まりました。

 

一力齋 津知屋提灯店さんに再び描いてもらい新しい地口絵ができた。
 

 

話しが動き出すと信じられない展開が待っていました。

 

「拝殿の後ろに、昔地口絵で使っていた古い木が積んであるのを発見したんです。

 

ダメになった木もあったけど、大切に保管されていました」

 

捨てずに取ってあったのは、それだけ大事にしていた証拠でもある。

 

 

古い木に新しい木を添える修復を花鐵さんがやってくれました。

 

花鐵さんにとって、初山は大事な思い出のお祭り、

協力は惜しまず地口絵復活に尽力してくれました。


花鐡さんは「見よう見まねで作った」と言いますが、
頑丈に作られた灯篭の木枠は、

これからの初山で賑やかな雰囲気を作ってくれると思います。

一見読みにくい文章も、

読解し、なおかつ元ネタを知ると

この言葉遊びの楽しさが分かります。

 

「鐘は 上野か 浅草か」

 

 

これを文字ったのが、「甕は うえのが 片蓋の」

 



(上の蓋が片蓋になってます)

 

 

地口絵は、川越では他に見かける機会がほとんどないです。

 

 

神社の行事で使われることがあるそうですが、

ここまで大々的に使用しているのはこの初山だけ。

もっと川越で広まっていいのに、と伊藤さんも話していました。


 

こうして階段を登って行くと、あっという間に山頂に到着。

 

2分ほどの登山でしたが、充実感と達成感に包まれる。。。(*^o^*)

川越の富士山は標高もあるし、自然溢れる頂上なので、

地上よりも2、3度は涼しく感じます。


 


ちなみに、もう一つの登山口から登ると、

 

自然いっぱいの中を進む登山になります。

 

 

 

 

 



 

 

今は木が生い茂っていて遠くを見通せませんが、

「富士山はあちらに見えますよ」と、

伊藤さんが指差す西南の方角に富士山がある。

この頂上に富士山を感じ、遠くに見える富士山を眺めていたんでしょうか。

 

富士浅間神社で御祓いを受けて、あんころ餅をいただきました。

 

もちろん、富士山の形です。



ここ郭町の浅間神社のあんころ餅は、
市立美術館横にある和菓子の「道灌」さんの特製あんころ餅。

 

次々と登頂を果たした方がやって来て、

 

御祓いを受けています。

 


 

 


 

 


浅間神社の建物は、ゆうに100年を超えているものだそう。

 

蔵造りの建物以上に古い建物がここにあります。

拝殿の中を見上げると、富士の絵が掲げられていました。

富士の周りを雲と二頭の龍が回っている絵だった。

 

浅間神社ができた時から、こうして富士の絵を掲げていた。

 

この山に登って、御利益ありますように、と富士の絵に手を合わせた方が

これまでどれほどいたでしょう。
富士山に行けなくとも、川越で富士山を感じられる場所です。

 

もちろん、有名な神社でなくても、

 

富士山に見立てた富士塚は街のあちこちに見ることができます。
「せんげんさま」と親しまれている場所は、数えきれないほどある。

川越駅西口近く、雀ノ森氷川神社にも大きな富士塚があり、

初山とは違いますが
毎年9月1日には行者による富士講「お焚き上げ」が行われます。

南田島の氷川神社には、

富士山が見える方角に少し土を盛った富士塚があり、

後ろに回ると穴が開いてあって、噴火口が再現されていました。


何気なく通る畑の中に盛られた山があって、

良く見ると富士山の石が積まれているのを発見し、

ここは富士塚だったんだと気付くのは、至る所にあります。

そして、小さい山にも

ここは何合目と設定したり噴火口を作ったりするミニ富士山は、

可愛らしくもあり、そこまでして富士山を、と厚い信仰を感じます。


この山頂は川越で最も高い場所だからこそ、

川越の歴史のさまざまな場面に立ち会ってきました。
関東大震災では避難所になり、
東京大空襲では、山頂から東京の空が真っ赤に燃えるのが見えたと言います。
非常事態に脳裏に浮かんだ頼れる場所が、この山だった。

 

初山は、富士山信仰の富士浅間神社のお祭りですが、

 

この頂上には、他にも神社があって興味深いポイントがたくさんあります。

・富士浅間神社

・富士見櫓跡、

・御嶽神社があり、

・富士見稲荷がある。

(富士がたくさんです♪)


右は富士浅間神社、左が御嶽(おんたけ)神社です。

 

左の御嶽神社は木曽御嶽山の山岳信仰。
二つの山岳信仰の神社が向かい合っているのが珍しい。
御嶽神社の方が古く、135年前に建てられたものだそう。

 

 

御嶽神社は江戸後期、初代の伊藤開山霊神という方が、

 

奥さんの病気を治すため木曽御嶽山の御利益に預かりたいと、

滝に打たれるなど修行に行った。

祈願を重ねて奥さんの病気が劇的に回復。

ここ川越で御嶽神社を開いて、同じような悩みや苦しみを持つ方に広まっていきました。


二代目が伊藤心興霊神、
三代目が伊藤信岳霊神。
三代目の信岳さんは特に信仰に厚かったそうで、
この山の頂上に修行小屋を作って水ごりしていたそう。
木曽御嶽山にも富士山にも登り、
特に標高3076メートルある木曽御嶽山には
50回以上は登り滝に打たれ修行に励んでいた。
毎年登るにしても50回となると、半生をかけた修行です。
山を登る格好をした三代目の姿を、街の方は今でも覚えているそう。


(三代目の勇姿)

そして、今で六代目となり神社を守っています。


もともと木曽御嶽山をはじめ、山岳信仰というものが、
山自体のただごとではない雰囲気に惹かれ信仰の対象とした面もあると思いますが、
山岳信仰は川から始まったと聞いたら、
すぐにピンと来るでしょうか。


生活になくてはならない身近にある川を大事にし、
この川はどこから来ているんだろう、
源流を遡り川が生まれてくる山に感謝する、大事にする、
そうして山岳信仰は生まれて広まっていったと言います。
だから、木曽御嶽山は名古屋の方で特に信仰が厚い。
木曽川の源流を辿ると木曽御嶽山で、
川の源の山を大事にしてきました。

それでは・・・入間川はどうなんでしょう??

 

川越の人にとって身近な川、入間川。

 

入間川の源流は奥多摩の御岳山。
川越の隣、川島町では御岳山を参拝する「御岳講(みたけこう)」が今でも残ります。
田植えにとって大事な川の水、
その源の山を昔から大事にしてきました。
山がない地域でも、川を通して遠くの山と繋がっていた。

そして、入間川なら川越にも流れている。
川越は。。。??

 

川越は商人の街なので、

 

神奈川の大山にある阿夫利(あふり)神社に参拝に行くそうなんです。
商売繁盛の神様が祀られる神社には、
今でも2、3年に一度は連雀町のお店同士で訪れる、と花鐡さんは教えてくれました。

初山の山岳信仰から、流れを辿るようにして入間川を想う。

そして入間川を身近にする自分達の生活を想いました。

初山という伝統行事は、時間も場所も今の自分達と密接に繋がっています。

 

そうそう、この山頂にも富士山の石が積んであり、

 

間近で見ると迫力があります。

浅間神社の奥、富士見稲荷の入口に大きな岩がたくさん積まれ、

富士山の石で、富士山が再現されていました。




 

川越の富士山で、富士の御利益に預かれる。

 

初山は、毎年7月13日です。。。


 


 

 


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